伊吉博徳

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伊吉 博徳(いき の はかとこ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代の人物で、斉明朝から天智朝にかけての豪族外交官。姓は伊岐、壱伎などとも表記し、カバネのち。中国系渡来氏族の第11代王である宣王の末子尚父の子孫で長安人の楊雍の後裔であるとする[1]壬申の乱において近江朝廷(大友皇子)側で活躍した壱伎韓国は同族と思われる。

経歴

『伊吉博徳書』

『伊吉博徳書』[2]は、伊吉博徳が第四次遣唐使に随行した際の紀行記録で、成立年代は天武天皇12年(683年)前後、または持統天皇4年(690年)から同9年(695年)とする見方がある。 『日本書紀』において、白雉5年2月条(654年)、斉明天皇5年7月条(659年)、同6年7月条(660年)、同7年5月条(661年)にこの記録が引用されている。

日本古代を知る数少ない記録であり、貴重である。

参考文献

脚注

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関連項目

  • 新撰姓氏録』左京諸蕃・右京諸蕃
  • 読みは「いきのはかとこのしょ」