鯖街道

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鴨川に架かる出町橋。たもとには「鯖街道口 従是洛中」と書かれた石碑がある。

鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称である。主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特にが多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった[1]

概要

狭義では現在の小浜市から若狭町三宅を経由して京都市左京区に至る「若狭街道」を指し、おおむね国道27号国道367号に相当する[2]。ただし、往時の若狭街道は現在の国道367号ではなく大見尾根を経由する山道であったほか、それぞれの国道ではバイパス道路が建設されているため旧道(指定解除)となっている区間もあるため必ずしも一致しない。広義では現在の嶺南から京都を結んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ(後述)。

鉄道自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた。生サバをでしめて京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり[1]、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている[3]。夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる[3]。しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている[3]。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた[3]

鯖街道によって、サバだけでなく多くの種類の海産物なども運ばれた。平城宮の跡や、奈良県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、若狭からタイ寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推定され、鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられている[3]。また、現在の橿原市にある藤原宮跡から出土した木簡にはの荷札が多数見つかり、鯖街道を利用しても多く運ばれたとみられている[3]

現代においても、小浜や国道367号沿線などには鯖寿司の製造を生業とした店が多数存在する。

地域活性化における利用

鯖街道を地域活性化に利用するための取り組みとして、小浜・若狭・高島の3市町による「鯖街道交流促進会議」が2005年度に発足したが、2012年度には「鯖街道まちづくり連携協議会」として組織形態を発展させ、観光や名産品の売り込みなどが広域的に取り組まれている[4]。一方、終点の出町柳付近にある出町商店街では京都府の補助事業(地域商業チャレンジ支援事業)「鯖街道情報発信事業」における地域活性化のモチーフとして鯖街道が用いられたほか、この事業などにおいて街道沿線との交流の試みもなされている[5]

また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを往時のルートで走り通す「鯖街道ウルトラマラソン大会」[6][7]が毎年開催されているが、ルートの大半が未舗装路であることや高低差が大きいことから、別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。

熊川宿は2007年(平成19年)12月、近畿では8番目の日本風景街道「若狭熊川・鯖街道」として登録された[8]

沿線の名所・旧跡

その他の鯖街道

ここでは、主な街道やルートを挙げる。

琵琶湖経由のルート[9]
小浜から琵琶湖の水運を経由して京都へ至るルート。古代は勝野(現・高島市勝野)や木津(現・高島市新旭町)などが、鎌倉時代以降は今津(現・高島市今津町)を主な水陸中継地とした。のち、豊臣秀吉が若狭往還の荷物をすべて今津経由とするなどの庇護を受けたほか、若狭街道が朽木方面へ折れる道をさらに直進し今津へ至る道(九里半街道)が整備され、伏見城築城のための資材輸送にも利用された。なお、湖上から京都への陸揚げは山中越を介して最短となる坂本が利用されたが、のちに秀吉が伏見や大坂への利便性が高い大津を保護し、坂本などから移した船をあわせて大津百艘船[10]を組織した。
西近江路
今津から琵琶湖の西側を陸路で辿るルート。おおむね現在の国道161号に該当する。
小浜街道(根来・針畑ルート)[11]
小浜から遠敷川沿いを上り、根来坂峠・小入谷(現在の高島市朽木小入谷)から現在の滋賀県道783号を経て久多花脊峠へ。さらに鞍馬街道を経て京都へ至るルート。小浜から京都への最短距離をとることから良く利用された。昭和初期以降は利用が廃れたため根来坂峠が廃道となっていたが、近年になって観光や地域文化振興などの観点から登山道として整備されつつある。
周山街道
小浜から名田庄を経由するルート。おおむね現在の国道162号に該当する。

その他

近年の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と例える者もいる[1][12]

参考文献

  • 『鯖街道』 上方史蹟散策の会 編、向陽書房、1998年2月 ISBN 4906108342

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  • 向笠千恵子『食の街道を行く』平凡社新書 2010年 p.13
  • 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 八瀬はなだ 「鯖街道」- つかこうへい『鯖街道』
  • 広域連携で「サバずし」 新たなブランド定着期待 - 福井新聞(2012年2月24日付、同年6月7日閲覧)
  • テンプレート:PDFlink(京都商工会議所・出町商店街振興組合) - 京都府(2004年度事業、2012年6月7日閲覧)
  • テンプレート:PDFlink - 主催:鯖街道ウルトラマラソン実行委員会、主管:京都トライアスロンクラブ。
  • コースは、通称「本鯖」と称されるAコース(約76 ㎞、小浜 - 根来坂 - 小入谷 - 桑原 - 川合 - 久多(中間点) - 八丁平 - 尾越 - 花背峠 - 鞍馬 - 加茂川 - 出町公園)と、通称「半鯖」と称されるBコース(約42 ㎞、梅ノ木 - 川合 - 以下、Aコースと同じ)がある。
  • テンプレート:Cite web
  • 鯖街道 「鯖街道 湖のルート」(p.104-105,p.114,p.119)
  • 1587年に、秀吉の意向を受けた大津藩浅野長吉が百艘の船を大津に集めるため、琵琶湖岸の各藩に呼びかけた定書を端緒とする。大津港の荷役などに関する特権を代々の支配者から受けていた。 ※参考:大津百艘船(ぶらり近江のみち)
  • 鯖街道 「根来・針畑越えルート」(p.152-155)
  • 道場六三郎(料理家)や魚柄仁之助(料理研究家)などが自著や輸入を推進する新聞広告などで呼称している。