青岸渡寺
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テンプレート:日本の寺院 青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。
本堂[1]および宝篋印塔[2]は国の重要文化財。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部[3]。
目次
歴史
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる[4]。
伽藍
- 本堂
- 如法堂(大黒天堂)
- 鐘楼
- 尊勝院
- 尊勝院別館
- 写経蔵
- 観照坊
- 宝篋印塔
- 山門
- 瀧宝殿
- 三重塔
- 瀧寿庵
文化財
重要文化財
- 本堂
- 宝篋印塔
- 那智山経塚出土品
- 銅造如来立像(どうぞうにょらいりゅうぞう) - 1躯。奈良〜平安時代の作[5]。
- 銅造観音菩薩立像(どうぞうかんのんぼさつりゅうぞう) - 1躯。奈良時代の作。左手に水瓶をもつ。[6]。
- 銅造観音菩薩立像 - 1躯。飛鳥時代の作。腹前で水瓶をもつ。[6]。
- 金銅大日如来坐像(こんどうだいにちにょらいざぞう) - 1躯。平安時代の作[7]。
- 金銅薄肉阿閦如来坐像(こんどううすにくあしゅくにょらいざぞう) - 1面。平安時代の作[8]。
- 金銅薄肉宝生如来坐像(こんどううすにくほうしょうにょらいざぞう) - 1面。平安時代の作[9]。
- 金銅薄肉不空成就如来坐像(こんどううすにくふくうじょうじゅにょらいざぞう) - 1面。平安時代の作[10]。
- 金銅薄肉金剛宝菩薩坐像(こんどううすにくこんごうほうぼさつざぞう) - 1面。平安時代の作[11]。
史跡
世界遺産
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(2004年7月登録)の資産「青岸渡寺」は以下3件の文化財を含む[3]。
- 重要文化財「那智山青岸渡寺本堂」
- 重要文化財 「那智山青岸渡寺宝篋印塔」
- 史跡「熊野三山」(青岸渡寺境内)
主な行事
- 2月 節分の日 - 秘仏本尊開扉
- 4月 第2日曜 - 開山祭
- 11月 第1日曜 - 大黒天七福神祭
御詠歌
- 補陀洛や
- 岸打つ波は
- 三熊野の
- 那智のお山に
- ひびく滝津瀬
前後の札所
交通アクセス
脚注
参考文献
- 和歌山県立博物館編・発行『熊野三山の至宝 熊野信仰の祈りのかたち』(展覧会図録)、2009
- 大阪市立美術館編『祈りの道 -吉野・熊野・高野の名宝-』(展覧会図録)、毎日新聞社、2004
- 『東京国立博物館図版目録 日本彫刻編』、大塚巧芸社、1999
- 奈良国立博物館・NHKプラネット近畿編 『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』(展覧会図録)、奈良国立博物館、名古屋市博物館、NHKプラネット近畿、NHKサービスセンター刊、2008
- 『特別展 金銅仏』(展覧会図録)東京国立博物館、1987
関連項目
外部リンク
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite book ja-jp、pp.39,75
- ↑ 『西国巡礼の寺』p64- 角川学芸出版 2008年
- ↑ 『熊野三山の至宝 熊野信仰の祈りのかたち』、p.155
- ↑ 6.0 6.1 『熊野三山の至宝 熊野信仰の祈りのかたち』、p.155; 『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』、p.240
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 昭和12年5月25日文部省告示第250号
- ↑ 『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』、p.240
- ↑ 『特別展 金銅仏』、p.312
- ↑ 『東京国立博物館図版目録 日本彫刻編』、p.143 - 144
- ↑ テンプレート:Cite web