豊科町
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テンプレート:Infobox 豊科町(とよしなまち)は、長野県中西部の南安曇郡にあった町。現在の安曇野市南東部にあたる。本項では町制前の名称である豊科村(とよしなむら)についても記す。
目次
地理
隣接していた自治体
歴史
- 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩県安曇郡上鳥羽村・下鳥羽村・吉野村・成相町村・成相新田町村・本村が合併し豊科村となる。鳥羽・吉野・新田・成相の頭文字をとって「とよしな」とした。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、南安曇郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、豊科村が単独で自治体を形成。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 豊科村が町制施行して豊科町となる。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 南穂高村・高家村および東筑摩郡上川手村の一部と合併し、改めて豊科町が発足。
- 2004年(平成16年)7月23日 - 穂高町・三郷村・堀金村・東筑摩郡明科町と法定合併協議会を設置。
- 2005年(平成17年)2月28日 - 長野県知事に合併申請。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 穂高町・三郷村・堀金村・東筑摩郡明科町と合併して安曇野市が発足。同日豊科町廃止。
友好都市
国内
海外
経済
- 1937年に呉羽紡績豊科工場の誘致を皮切りに、工業生産が盛んになる。(東洋紡績(旧・呉羽紡績)は1992年に撤退。)この当時、工場を誘致するといえば軍需産業が主流であったが、豊科町はあえて繊維産業を選択した。
- 1952年に県内町村で初めて工場誘致条例を施行し、工場の進出が相次ぐ。
- 合併前(2005年)の時点で工業出荷額が県内2位を誇った。これが安曇野市の工業出荷額県内1位につながっている。
地域
健康
教育
交通
鉄道路線
バス
道路
高速道路
- 長野自動車道
- 豊科インターチェンジ(現・安曇野インターチェンジ)、梓川サービスエリア
一般国道
県道
- 長野県道57号豊科インター堀金線
- 長野県道310号柏矢町田沢停車場線
- 長野県道441号穂高松本塩尻自転車道線(あづみ野やまびこ自転車道)
- 長野県道495号豊科大天井岳線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 犀川白鳥湖
- 安曇野市豊科郷土博物館
- 田淵行男記念館
- 飯沼飛行士記念館
- 豊科近代美術館
- (本村区)古代文字の道祖神&菊紋の道祖神