荒川真嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

荒川 眞嗣(あらかわ まさつぐ、1964年3月4日[1] - )は宮城県出身[1]監督アニメ演出家アニメーター荒川真嗣クレジットされることがある。

経歴

学校法人南光学園 東北高等学校1982年に卒業。宮崎駿のファンで、テレコム・アニメーションフィルムの新人募集に応募して落選するも、大塚康生から亜細亜堂を紹介されて入社[1]1985年に亜細亜堂からテレビアニメおねがい!サミアどん』でデビュー。1988年にIGタツノコ(現・Production I.G)へ移る。以後、同社を拠点に活動し[2]シンエイ動画を中心に数多くの他社制作作品に携わる。

1996年からProduction I.Gで押井守が主宰していた押井塾に参加。いくつもの企画を提出して、同塾で初のA評価を押井守から下された。同塾に参加した神山健治からは「器をまとめるのがうまい」と言われた[3]

絵柄はペーター佐藤とアニメーターの大川弘義からの影響を受けたとしており、リアルでシンプルな絵柄を好む[2]1998年にはProduction I.Gがアニメパートを制作したゲーム『雪割りの花』ではキャラクターデザイン作画監督を担当し、アニメーターの湯浅政明はそのシンプルなデザインがいいと発言していた[4]

I.Gを離れた後はスタジオロンに在籍し、同社オリジナル作品『大きな瞳のフウ』の監督とキャラクターデザインを手がける予定だったが、同社の閉鎖によって立ち消えとなり、フリーランスに転じる。メインスタッフとして作品に参加する場合は谷津美弥子が、脚本家(シリーズ構成)は、山田隆司井上美緒(めちゃモテ委員長セカンドコレクションを除く。[5])と組むことが多い。

参加作品

テレビアニメ

OVA

映画

ゲーム

  • 雪割りの花 (1998) キャラクターデザイン、ビジュアルコンセプト、絵コンテ、作画監督

その他

  • HEART EATER (2000) 監督

参考文献

  • 『Genius Party BEYOND 公式ガイドブック』(2008年芸文社) ISBN 978-4-87465-925-0

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 「'86年のホープを捜せ! 56人」『アニメージュ』1986年1月号、徳間書店、p.28
  2. 2.0 2.1 『V VERSION』1990年9月号、みのり書房、p.10
  3. 「押井塾からBLOOD THE LAST VAMPIREへ」『キネマ旬報』2000年12月上旬号、キネマ旬報社。
  4. 小黒祐一郎「この人に話を聞きたい」『アニメージュ』1999年2月号(小黒祐一郎『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、2006年、所収)
  5. これは、山田と井上が、めちゃモテ委員長と同じバンダイがスポンサーである 『ハートキャッチプリキュア!』の脚本に参加しているため。

関連項目

外部リンク


テンプレート:Anime-people-stub