芦屋小雁

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芦屋 小雁あしや こがん1933年12月4日 - )は、日本喜劇俳優。所属事務所小雁倶楽部さち子プロ。本名、西部 秀郎(にしべ ひでお)。

来歴・人物

京都府京都市出身。兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。西部里菜は姪。身長155cm、体重74kg。

1959年花登筺大村崑、芦屋雁之助らと共に劇団「笑いの王国」を結成する。

1960年、兄・雁之助、大村とともに3組合同による『テレビ結婚式』を行い、最初の結婚。

1961年 、兄弟で出演したテレビ『番頭はんと丁稚どん』で人気を博す。

1964年 に劇団「喜劇座」を結成。

芦屋三兄弟で最初の吉本新喜劇デビューは雁之助ではなく小雁だった。

1960年代からSF映画ホラー映画の蒐集を始め、日本有数のフィルムコレクターとしても知られる。家庭用ビデオ機器が普及していない頃から、日本国外より闇の複製フィルムなど多数のフィルムを入手して、1985年当時には500本余りのコレクションを築く。テレビ局から定期的にフィルムの貸し出し依頼を受けるほどだった。もともとは映画を作ろうと、勉強のためフィルムを入手したことがきっかけで始まったコレクションである[1]

1982年には新築した自宅の2階に映写室をしつらえて、約50人を収容するミニ映画館も設置した[1]

1987年、17年間別居状態だった妻と正式離婚し、女優の斉藤とも子と再婚。28歳の年齢差が話題になる[2]。妻となった斉藤はフィルムコレクションを嫌がり、その大半を泣く泣く処分。後年、コレクション処分を悔やんでいる。

1995年に斉藤と離婚し[3]1996年、30歳年下の女優勇家寛子と再々婚。

2004年から『裸の大将放浪記』舞台版では山下清役を兄の死後受け継いで演じている[4]

2007年から神戸映画資料館の名誉館長も務めている[5]

出演

テレビドラマ

その他の番組

映画

  • 女殺し油地獄(1957年)
  • 森の石松幽霊道中(1959年)
  • 番頭はんと丁稚どん(1960年)
  • 続番頭はんと丁稚どん(1960年)
  • 続々番頭はんと丁稚どん(1961年) 
  • 続々々番頭はんと丁稚どん(1961年)
  • 新二等兵物語 めでたく凱旋の巻(1961年)
  • 秀才はんと鈍才どん(1961年)
  • 雁ちゃんの警察日記(1962年)
  • 義士始末記(1962年)
  • 悪名市場(1963年)
  • てんやわんや次郎長道中(1963年)
  • 悪名一番(1963年)
  • 大笑い殿さま道中(1964年)
  • 博徒(1964年)
  • 悪名太鼓(1964年)
  • 暴れ犬(1965年)
  • 主水之介三番勝負(1965年)
  • 続・兵隊やくざ(1965年)
  • やくざGメン 明治暗黒街(1965年)
  • 新・鞍馬天狗 五條坂の決闘(1965年)
  • 骨までしゃぶる(1966年)
  • 兵隊やくざ 大脱走(1966年)
  • 博奕打ち(1967年)
  • 悪名十八番(1968年)
  • 吹けば飛ぶよな男だが(1968年)
  • 大事件だよ全員集合!!(1973年)
  • 父(1988年)
  • どついたるねん(1989年)
  • あーす(1991年)
  • ザ・ハリウッド(1998年)

 長崎ぶらぶら節(2000年)

オリジナルビデオ

  • ヤクザタクシー 893 TAX(1994年)
  • 激安王 通天の角 酒販の巻(1995年)
  • 日本暴力地帯 美しき野望(1998年)
  • 首領への道 9、10、23 (1999年~2003年)
  • 裏ゼニ楽 法の穴商売(2001年)

著書

  • 豆たぬきの本141 ドラキュラ百科 廣済堂出版 (1980年)
  • シネマで夢を見てたいねん 晶文社 (1997年)
  • 小雁の京都人の取扱説明書―いやいやかなんわぁものすごいこといわはる 京都新聞社(2009年)

関連項目

出典

  1. 1.0 1.1 「小雁、苦心のコレクション 怪奇映画追いかけて20余年」『中日新聞』1985年8月19日付夕刊
  2. 「28歳下の斉藤とも子を射止めた『丁稚どん』芦屋小雁は熟年の星」『週刊朝日』1987年1月30日号
  3. 「斉藤とも子 芦屋小雁との8年の結婚生活にピリオド 27歳差離婚の原因は『ホラー映画』」『女性セブン』1995年12月7日号
  4. 「新・裸の大将放浪記」芦屋小雁が会見 日刊スポーツ 2007年8月24日
  5. <見る>神戸映画資料館 神戸新聞 2007年4月3日

外部リンク