翔ぶが如く
テンプレート:Portal 『翔ぶが如く』(とぶがごとく)は、司馬遼太郎の長編歴史小説。現行判は、文春文庫全10巻と『司馬遼太郎全集 35・36・37・38巻』(文藝春秋)。
題名は司馬と交友があった宮城谷昌光によれば、詩経小雅・鴻雁の什にある「斯干」という漢詩の「鳥のこれ革(と)ぶが如く、キジのこれ飛ぶが如く」から取ったものであるという。「斯干」は兄弟が仲良く新しい宮室を建てるという詩であり、明治という国家を作り上げた西郷隆盛と大久保利通を兄弟のようだと捉えているのだという。[1]上記の引用の通り、本来「翔ぶ」と書いて「とぶ」という読み方はせず、字義または飛翔の語句から「翔」の字を当て字として使用したとされる。近年子供への命名に「翔」の字を使用し「と」と読ませるケースが見られるが、この小説により誤った読み方が広まった影響が大きい。
概要
1972年(昭和47年)1月から1976年(昭和51年)9月にかけ、「毎日新聞」朝刊に連載された。
薩摩藩士として明治維新の立役者となった西郷隆盛と大久保利通。この二人の友情と対立を軸に征韓論・ 明治6年政変などを経て、各地で起こった不平士族の反乱、やがて西南戦争へと向ってゆく経緯と戦争の進行を、著者独特の鳥瞰的手法で描いた。「坂の上の雲」と並び、司馬作品中で最も長い長編小説で、登場人物も西郷・大久保以外に極めて多岐にわたる。中でも薩摩郷士の代表として大警視となった川路利良と、幕末期は西郷の用心棒として、維新後は近衛陸軍少将として薩摩城下士のリーダー的存在となった桐野利秋の二人が重要な位置を占めている。
初版単行本は、1975年(昭和50年)から翌年にかけ、文藝春秋全7巻が刊行。1980年(昭和55年)に文春文庫全10巻(新装改版2002年(平成14年)、解説平川祐弘)が出版された。
1990年(平成2年)のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の原作となった(なお前半部は幕末期で、『竜馬がゆく』他の司馬作品が原作となっている)。ドラマ化に併せ『「翔ぶが如く」と西郷隆盛 目でみる日本史』(ビジュアル版文春文庫、1989年11月)が出版された。
主な登場人物
- 西郷隆盛
- 大久保利通
- 川路利良
- 警視庁大警視。戊辰戦争での活躍から西郷に引き立てられ、西郷により警察の創設を任せられる。渡仏して警察制度を視察し帰国、そして警察こそ文明を牽引する源であるとの確固たる信念を持つに至る。西郷への恩義を感じつつも西郷を担ぐ不平士族や、不穏な動きを見せる反政府分子に対して過酷な取締を行うと共に、文明の前にあっては西郷すらも無用の長物であり、太政官にとっての悪であると捉えている。このため桐野をはじめとする私学校党から徹底的な憎悪の対象となった。薩摩に情勢偵察の使者を派遣した所、私学校党の知る所となり、これが遠因となって西郷軍の挙兵が引き起こされた。内務省設立を具申した事から、大久保の信頼が厚い。西郷・大久保と共に主役級の扱いで描かれており、本作は明治5年の川路のフランス視察から始まり、明治12年の川路の死をもって終わる。
- 桐野利秋
- 芦名千絵
- 宮崎八郎
- 増田宋太郎
- 西郷従道
- 木戸孝允
- 長州派の重鎮として、太政官内では大久保に並ぶ影響力を持つ。開明的な思考の持ち主で民権的な政策を具申するが、時期尚早として大久保にことごとく拒否され、大久保に対する憎悪が非常に強い。しかし一方で西郷側にも与せず、西郷の渡韓一件を無謀な策として批判し続けた。維新後の太政官に対する失望が強く、また長州人の伊藤や山県の、大久保とのつながりが深い事に嫉妬し、深刻な精神病を病むことになり、西南戦争中失意のうちに死亡した。
- 伊藤博文
- 参議。征韓策を具の骨頂として東奔西走し、その阻止に努めた。長州人でありながら大久保を尊敬し、また大久保からも厚い信頼を受けていたため、木戸から深く妬まれるようになる。
- 山県有朋
- 陸軍卿。山城屋事件を西郷に救われたことから西郷に厚い恩義を感じている。西郷挙兵の折は参軍として政府軍の総指揮権を得、慎重な采配をふるって戦争を有利に進め、西郷自決後はその首を探し出し、洗い清めて丁重に埋葬した。
- 江藤新平
- 板垣退助
- 大隈重信
- 参議・大蔵卿。征韓論に国家財政の視点から反対する。西郷を愚人としてしか見ていない人物として描かれている。
- 岩倉具視
- 右大臣。大久保とは幕末期からの盟友であるが、征韓論争において西郷の威圧を恐れ、大久保を裏切った事も。しかしその後は肚を決め、西郷ら征韓派の威圧を頑として受け付けず、征韓論を白紙撤回させた。
- 三条実美
- 太政大臣。征韓論争において賛成派・反対派から常に圧力を受け続け、西郷渡韓を決定したまさにその日に人事不省に陥った。これが結局は、征韓論争の行く末を決定づける事となる。
- 篠原国幹
- 陸軍少将。桐野とともに西郷軍を主導するが、その戦略感のなさから西郷軍の敗北を引き起こす。西郷軍幹部から発せられたあらゆる作戦案に対し、「死を恐れるのか」の一言でそれを否定し、無謀な戦闘を繰り返してそれが結果的に悲惨な末路を呼ぶこととなる。
- 村田新八
- 西郷軍幹部。洋行から帰国時に西郷の下野を知る。西郷・大久保両人と知己があり、二人の対立が一切の私欲がない争いであることを悟り、二人を体裁出来る者は誰もいないと結論付ける。征韓論が愚策であることを知りつつも、西郷への恩義のみという純粋な理由から西郷軍へ身を投じた。
- 島津久光