篠山城
篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県篠山市北新町にある日本の城(近世城郭)。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城。国の史跡に指定されている。
目次
歴史・沿革
江戸時代
1609年(慶長14年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。
篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。
近現代
- 明治6年から城郭の建造物は取り壊され始める。二の丸の大書院(おおしょいん)は取り壊しに多くの費用が必要な事や旧藩士の安藤直紀の働きかけで保存される事になった。しかし、取り壊しから免れた大書院も1944年(昭和19年)1月6日に失火により焼失している。明治維新後、城地には役所や学校などが建てられた。
- 昭和28年頃には内堀が埋め立てられ、公園化が進む。
- 昭和29年頃から多紀文化顕彰会や多紀郡町村会長が国に対して保存活動を行う。
- 昭和31年12月28日 - 国の史跡に指定される。
- 平成5年12月 - 城下町地区が兵庫県の景観形成地区に指定される。
- 平成6年3月 - 篠山幼稚園と篠山養護学校を城外へ移転させる。
- 平成16年4月 - 篠山中学校を城外へ移転させる。
- 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(57番)に選定された。
- 2009年4月23日 - 丹波篠山築城400年祭開幕[1]。
復元・整備
城周辺の整備がすすめられており、2000年(平成12年)4月には二の丸大書院(おおしょいん)が復元された。大書院は一般公開されている。
堀に不法投棄される自転車などのゴミや、増える外来種を駆除するために堀の水を抜いて作業するなどして水質を改善する活動が行われている[2][3]。
- 昭和46年1月 - 第1次「史跡篠山城跡総合整備計画」を策定。
- 昭和53年3月 - 第2次「史跡篠山城跡総合整備計画」を策定。
- 昭和61年3月 - 第3次「史跡篠山城跡総合整備計画」を策定。
- 平成11年3月 - 第4次「史跡篠山城跡総合整備計画」を策定。
- 平成24年3月 - 第5次「史跡篠山城跡総合整備計画」を策定。
縄張り
城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400メートルのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。
三の丸内に上級武士、外堀沿いに中級・下級武士、外堀南に足軽長屋、街道沿いに町や社寺が配置された。
三の丸は現在三の丸広場になっておりデカンショ祭や篠山ABCマラソンのスタート・ゴール地点などの催し物にも使用されている。外堀沿いには桜が約1000本、植えられている。これは1915年(大正4年)、篠山町青年会が大正天皇即位を記念して東堀に植樹した事に始まる。
文化財
史跡
馬出の遺構がよく遺っており、1956年(昭和31年)12月28日国の史跡に指定された。いずれの門か不明だが市内金照寺に山門として移築現存している。
観光
所在地
兵庫県篠山市北新町2-3(大書院所在地)
交通アクセス
JR福知山線篠山口駅より、神姫バスで15分、二階町下車、南へ300m。城の北側に市営駐車場あり。
料金
- 大人:400円
- 大学・高校生:200円
- 中学・小学生:100円
周囲の文化施設・観光名所
- 篠山市篠山伝統的建造物群保存地区 (国の重要伝統的建造物群保存地区として選定、保存地区には篠山城跡を含む)
- 篠山市立歴史美術館
- 大正ロマン館 - 旧篠山町役場。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Asbox- ↑ 丹波篠山インターネットTV
- ↑ 篠山市環境報告書「第2章 主要な環境施策」:篠山市資料(PDF)
- ↑ お城の南堀を市民150人が清掃:篠山市長日記(2011年1月22日)