第三の男
テンプレート:Infobox Film 『第三の男』(だいさんのおとこ、原題: The Third Man)は、1949年製作のイギリス映画。キャロル・リード監督作品。第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール。
光と影を効果的に用いた映像美、戦争の影を背負った人々の姿を巧みに描いたプロットで高く評価されている。また、作品のテーマ曲となったアントン・カラスの演奏や、ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズでも知られている。
目次
作品解説
映画製作
映画の企画を立案したのは、イギリス人の映画プロデューサーであるアレクサンダー・コルダである。彼はオーストリア=ハンガリー帝国時代のハンガリー出身であり、往年の繁栄したウィーンを知っていた。ウィーンに対するコルダの思い入れが、第二次世界大戦で破壊され荒廃したウィーンを舞台にした映画制作の動機となったと言われている[1]。
脚本はカトリック作家として著名なグレアム・グリーンが執筆したものである。グリーンは同名の小説も書いているが、これは映画の公開後に出版されたものであり、通常の意味での原作とは異なっている(グリーンが映画のシナリオに取り掛かる前に私的に執筆したものであり、本来は出版される予定のないものであった[2])。コルダから脚本執筆の依頼を受けたグリーンは1948年の2月にウィーンに赴き、四分割統治下のウィーンをつぶさに観察した[3]。物語の重要な要素であるペニシリンの密売やウィーン地下の巨大な下水道は、シナリオ執筆のためにウィーンに滞在中のグリーンが実際に見聞した体験を参考にしている[4]。
映画の撮影は1948年10月22日に、物語の舞台であるウィーンで開始された。同年12月11日にウィーンでの撮影を終了したスタッフはイギリスに帰還し、ロンドンのシェパートン・スタジオで残りの部分を撮影した[5]。原作者のグリーンと監督であるキャロル・リードは二人きりで映画のストーリー・ラインについて話し合い、その結果脚本に何度も変更が加えられた。カットなしで撮影されたラストシーンは、当初の予定にはなかったものである。グリーンが最初に書いた脚本ではハッピーエンドとなるはずであった[6]。グリーンの原案に反対し、映画の幕切れを現在に残る形に変更させたのはプロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックであった[7]。また、当時彼のスタジオのお抱え俳優だったジョセフ・コットンやアリダ・ヴァリを映画に出演させるように取り計らったのもセルズニックだったとされる。
作中のハリー・ライムによる台詞「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」は、グリーンが執筆した脚本の草稿には存在せず、ライム役を演じたオーソン・ウェルズの提案によるものである[8]。セルズニックは当初ウェルズの起用に反対していたが、最終的にウェルズを強く推薦する監督のリードに同意せざるを得なかった[7]。ウェルズの起用は結果的に正解だったとされるが、撮影中ウェルズは様々なトラブル(ウェルズがウィーンに到着するのが遅れたために仕方なく彼の代役を立てて撮影したこと、映画のクライマックスである下水道での追跡シーンに出演するのを拒否したことなど[7])を引き起こしスタッフを悩ませた。
公開後
映画は1949年9月に開催された第3回カンヌ国際映画祭に出展され、そこで最高賞に相当するグランプリを獲得した。同年9月3日にイギリスで公開され、興行的にも批評的にも成功を収めた。1950年度のアカデミー賞では監督賞、撮影賞(白黒部門)、編集賞の3部門でノミネートされた。そのうちロバート・クラスカーが撮影賞(白黒部門)を受賞した。
現在では映画史に残る傑作として、高く評価されている。映画ベスト100などの企画で、必ずと言っていいほど名前が挙げられる常連作品である。
主なランキングと順位は以下の通り
- 「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌選出)
- 「AFIアメリカ映画100年シリーズ」
- 1998年:「アメリカ映画ベスト100」第57位
- 2001年:「スリルを感じる映画ベスト100」第75位
- 2003年:「ヒーローと悪役ベスト100・悪役部門」第37位(ハリー・ライム)
- 2008年:「10ジャンルのトップ10・ミステリー映画部門」第5位
- 1999年:「イギリス映画ベスト100」(英国映画協会選出)第1位
- 2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第30位
- 2008年:「歴代最高の映画ランキング500」(英『エンパイア』誌発表)第21位
- 2011年:「史上最高のイギリス映画ベスト100」(英『タイム・アウト』誌発表)第2位
以下は日本でのランキング
- 1980年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報発表)第3位
- 1988年:「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第2位
- 1989年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第2位
- 1995年:「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)第11位
- 1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第1位
- 2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第4位
テーマ曲
映画の撮影スタッフと共にロケ地であるウィーンを訪れたリードは、そこでツィター(オーストリアの民俗楽器)奏者のアントン・カラスに出会った。カラスの巧みな演奏に感銘を受けたリードは、既にオーケストラの楽曲が用意されていたにもかかわらず、カラスの音楽を映画のBGMとして起用するように主張した[7]。映画が公開された後、カラスの作曲したテーマ曲は1950年代最大のヒット曲となった[8]。
このテーマ曲は、映画の登場人物の名前から「ハリー・ライムのテーマ」とも言われている。日本ではヱビスビールのCM(これがきっかけでJR東日本恵比寿駅の発車メロディにも採用)や、阪急電鉄梅田駅で終電間際に流れる音楽などに使われている。また、ムーンライダーズがアレンジカバーしている。原由子のベストアルバム『ハラッド』にボーナストラックとして収録されている。
あらすじ
舞台は第二次世界大戦後、米英仏ソによる四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーン。当時ウィーンの酒場で人々に親しまれたツィターのメロディ(アントン・カラスによるテーマ曲)をBGMに物語の幕が開く。
アメリカの売れない西部劇作家ホリー・マーチンスは、親友ハリー・ライムから仕事を依頼したいと誘われ、意気揚々とウィーンにやって来た。ライムの家を訪ねるマーチンスだが、門衛はライムが前日、自動車事故で死亡したと彼に告げる。ライムの葬儀に出席するマーチンスは、そこでイギリス軍のキャロウェイ少佐と知り合う。少佐はライムが闇取引をしていた悪人だと告げるが、信じられないマーチンスはライムへの友情から事件の真相究明を決意する。
事件の関係者を調査すると、ライムの恋人であった女優のアンナ・シュミットと出会う。マーチンスと彼女は二人で事件の目撃者である宿の門衛に話を聞き、現場に未知の〈第三の男〉がいたことをつきとめる。しかし貴重な証言を残した門衛は何者かに殺害され、マーチンスがその下手人だと疑われてしまう。また、国籍を偽っていたアンナもパスポート偽造の罪でソ連のMPに連行されてしまう。
進退に窮したマーチンスは、アンナの下宿の近くで〈第三の男〉と邂逅する。ハリーがペニシリンの大闇で多数の人々を害した悪漢であることを聞かされていたマーチンスはMPに急報し、アンナの釈放と引きかえに彼の逮捕の助力をするようキャロウェイから要請される。マーチンスはハリーとプラーター公園の観覧車の上で話し合い、改めて彼の凶悪ぶりを悟り、親友を売るもやむを得ずと決意する。釈放されたアンナはマーチンスを烈しく罵る。しかし、病院を視察してハリーの流した害毒を目のあたり見たマーチンスはハリー狩りに参加することを決意、囮となって彼をカフェに待つ。現れたハリーは警戒を知るや下水道に飛込み、ここに地下の拳銃戦が開始され、追いつめられた彼はついにマーチンスの一弾に倒れる。改めてこの〈第三の男〉の埋葬が行われた日、マーチンスは墓地でアンナを待つが、彼女は表情をかたくしたまま一瞥もせず彼の前を歩み去って行く。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語版1 | 日本語版2 |
---|---|---|---|
ホリー・マーチンス | ジョゼフ・コットン | 咲野俊介 | 江守徹 |
アンナ・シュミット | アリダ・ヴァリ | 沢海陽子 | 松下砂稚子 |
ハリー・ライム | オーソン・ウェルズ | 相沢正輝 | 小池朝雄 |
キャロウェイ少佐 | トレヴァー・ハワード | 中博史 | 西沢利明 |
ペイン軍曹 | バーナード・リー | 藤田周 | 和田啓 |
門衛 | パウル・ヘルビガー | 山内雅人 | |
クルツ男爵 | エルンスト・ドイッチュ | ||
ポペスク | ジークフリート・ブロイアー | ||
ビンケル医師 | エリッヒ・ポント | ||
クラビン | ウィルフリッド・ハイド=ホワイト |
- 日本語版1:マックスター、ミック・エンターテイメント発売のパブリックドメインDVDより
- 翻訳:高橋有紀、演出:田島荘三、制作:ミック・エンターテイメント
- 日本語版2:テレビ放送版
備考
グレアム・グリーンが執筆した台本と実際に劇場公開された映画本編、後に出版された小説とでは微妙に登場人物の名前や国籍などの設定が異なっている。例えば主人公のアメリカ人作家ホリー・マーチンスはイギリス人のロロ・マーチンスとして、ルーマニア人のポペスクはアメリカ軍のクーラー大佐として小説版に登場している。これらの変更はアメリカの世論を意識したものであると、原作者であるグリーンが述べている。具体的には、「ロロ」という名前にホモセクシュアルの含みが有るようにアメリカ人には聞こえるというジョセフ・コットンからの指摘や、悪役の一人がアメリカ人であることを問題視したオーソン・ウェルズとの契約があったためである[6]。
また、小説版ではハリー・ライムの国籍もイギリスであり、アンナ・シュワルツはチェコスロバキア人ではなくハンガリー人として設定されている。オーストリア人のクルツ男爵は国籍こそオーストリアだが男爵ではない。台本版ではマーチンスはカナダ人、アンナはエストニア人として登場した。
ラストも小説版では「…追いつくと2人は肩を並べて歩きだした。彼は一言も声をかけなかったようだ。物語の終わりのように見えていたが、私の視界から消える前に、彼女の手は彼の腕に通された」(小津次郎訳)となっているが、映画は女性の絶望の中の、毅然とした態度が強調されている。
スタッフ
- 監督:キャロル・リード
- 製作:キャロル・リード、アレクサンダー・コルダ、デヴィッド・O・セルズニック
- 脚本:グレアム・グリーン
- 撮影:ロバート・クラスカー
- 編集:オズワルド・ハーフェンリヒター
- 音楽:アントン・カラス
- 録音:ジョン・コックス
- 助監督:ガイ・ハミルトン
主な受賞歴
テレビドラマ
1957年から1962年までイギリス人俳優のマイクル・レニーをハリー・ライム役としたテレビシリーズ『第三の男』(原題:The Third Man)が製作・放映されていた。
日本でも一部が1961年9月から1962年7月にかけて、NET(現:テレビ朝日)系列で放送された。日本での放送時間は、1962年3月までは土曜21:15 - 21:45だが、1962年4月以降は15分繰下がり、土曜21:30 - 22:00に変った。
脚注
関連書籍
- グレアム・グリーン著、小津次郎訳『第三の男』、ハヤカワepi文庫、早川書房、ISBN 978-4151200014
- 軍司貞則著『滅びのチター師 「第三の男」とアントン・カラス』、文春文庫、文藝春秋、ISBN 4167571021
- 山口俊明著『ウィーン 旅の雑学ノート』、ダイヤモンド社、1996年7月、ISBN 978-4478941294 - 『第三の男』のロケ地について詳解。
- 直井明著『本棚のスフィンクス 掟やぶりのミステリ・エッセイ』、論創社、2008年5月、ISBN 978-4846007294 - 『第三の男』の台本と映画と小説を詳細に比較した文章を収録。
- フィリップ・カー著『ベルリン・レクイエム』、新潮文庫 - 同時期のウィーンを舞台にしたスパイ小説。『第三の男』の撮影のシーンがある。
外部リンク
テンプレート:英国アカデミー賞作品賞 1947-1960テンプレート:Link GA- ↑ グレアム・グリーン著『第三の男』収録の川本三郎による解説「たそがれの維納」より、197~198頁
- ↑ グレアム・グリーン著『第三の男』、8頁
- ↑ グレアム・グリーン著『第三の男』収録の川本三郎による解説「たそがれの維納」より、198頁
- ↑ グレアム・グリーン著『第三の男』、11-14頁
- ↑ Charles Drazin、“Inside Information”(映画研究家チャールズ・ドラジンによる映画の紹介、クライテリオン・コレクション版DVD収録)
- ↑ 6.0 6.1 グレアム・グリーン著『第三の男』、10頁
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 Charles Drazin、“Behind The Third Man”(クライテリオン・コレクション版DVD付録の小冊子より)
- ↑ 8.0 8.1 Roger Ebert、“Great Movies – The Third Man”、1996年12月8日。(参照:2009年5月15日)