稲嶺誉

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox baseball player 稲嶺 誉(いなみね ほまれ、1980年10月21日 - )は、沖縄県糸満市[1]出身の元プロ野球選手内野手)、プロ野球コーチ。2014年からは、福岡ソフトバンクホークス2軍内野守備走塁コーチ。稲嶺茂夫従兄である[1]

来歴・人物

プロ入り前

沖縄水産高では1番ショートとして後にホークスでもチームメイトとなった新垣渚とともにプレー[1]。3年生の時に第70回選抜高等学校野球大会第80回全国高等学校野球選手権大会に連続して出場[1]

高校卒業後は北海道網走市に所在する東京農大生産学部に進み、1年生からレギュラーとして活躍。全日本大学選手権に4度出場した。道六大学リーグでは首位打者3回、ベストナイン6回。大学通算打率.385、通算40盗塁。大学の同期に小森孝憲がおり、大学・学部の後輩にホークスの後輩である小斉祐輔がいる。大学の卒業論文のテーマは『ガチョウの研究』であった。

2002年ドラフト8巡目で福岡ダイエーホークス(のち福岡ソフトバンクホークス)に入団[1]

プロ入り後

2003年は、ルーキーながら同年の日本シリーズにも出場した。

元々左打ちだったが、2005年両打ちに挑戦、しかし2006年からは再び左打ちに専念した。

2006年はシーズン打率.196ながら西武とのプレーオフでは1回戦で1-0の9回表に、3回戦でも1-0の7回表2死二、三塁のチャンスで代打に登場。1回戦は凡退したが、3回戦では同点適時打を放った。合同自主トレ中の2007年1月22日多村仁志が打撃練習で放った場外弾が稲嶺の車を直撃するというハプニングがあった。後に多村が弁償した。プロ時代は練習熱心で、ユニフォームが汚れていたのを見ていたファンが「(黒が基調の)ビジターユニフォームを着ているのかと思った」と言ったことがある。巨人小笠原道大とは「顔が似ている」という理由で交流があり、2005年のオフには福岡県八女市で合同自主トレを行った。

守備では、主に二塁遊撃三塁を守ったが、2006年の秋季キャンプでは外野も練習していた。

2007年10月に戦力外通告を受ける。

引退後

2007年12月、四国・九州アイランドリーグ福岡レッドワーブラーズのコーチに就任し、2008年の1シーズン務めた。

2009年1月からは、古巣福岡ソフトバンクホークスのファームスタッフに就任。その後2軍マネージャーを務めた。2014年からは二軍内野守備走塁コーチを務める[2]

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ダイエー
ソフトバンク
2 8 8 2 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .250 .250 .250 .500
テンプレート:By2 13 26 24 2 3 1 0 0 4 1 0 0 2 0 0 0 0 12 0 .125 .125 .167 .292
テンプレート:By2 41 54 45 9 10 4 1 0 16 4 5 1 3 1 5 1 0 10 0 .222 .294 .356 .650
テンプレート:By2 26 65 56 4 11 2 2 0 17 4 1 1 3 1 4 0 0 11 1 .196 .246 .304 .550
テンプレート:By2 10 10 9 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 92 163 142 17 26 7 3 0 39 9 8 2 9 2 9 1 0 39 1 .183 .227 .275 .502
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 60 (2003年 - 2007年)
  • 79 (2014年 - )

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス

テンプレート:福岡ダイエーホークス2002年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、59ページ
  2. 2軍監督及びコーチ人事について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月28日配信