稲嶺茂夫
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テンプレート:Infobox baseball player 稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜ベイスターズのスカウト[1]。
経歴
プロ入り前
東海大相模高時代は森野将彦と同期。1995年に第67回選抜高等学校野球大会に出場するも、2回戦敗退。
東海大学に進学し、1998年には春に5勝をあげ同大学のリーグ優勝に貢献、全日本大学野球選手権大会で準優勝。
2000年のドラフト7位で横浜に入団。大学3年時に肘を痛め以後ほとんど試合に出場していなかったことから戦力として疑問視する声もあったが、肘は回復すると判断しドラフト下位で指名、入団となった。
プロ入り後
2001年10月11日の対中日戦で、ルーキーながら初登板を果たす。
2002年は、開幕当初は先発ローテーションの1人として期待されたものの被本塁打が多く、すぐにファーム行きになった。
2005年、これまで横浜2軍の湘南シーレックスでは悪くとも防御率2.50以下だったが、この年は7.71と急激に悪化した。
2006年は、久々に1軍で2試合登板。防御率は0.00だったが、得点圏に走者を許すなど不安定なピッチングで首脳陣にアピールできなかった。
2007年は、2軍では主にワンポイントリリーフとして2勝をあげ防御率1点台と好成績だったが、左腕投手が豊富になりつつあったチーム事情のため1軍昇格は見送られることとなった。10月にチームから戦力外通告され、現役引退を表明し、11月29日付で任意引退が公示された。
引退後は、スカウトに転身し、球団に残ることとなった。
プレースタイル・人物
- 左のサイドスロー気味のスリー・クォーターから繰り出す、キレのあるストレートとスライダーのコンビネーションを武器としていた投手で、チームに慢性的に不足する中継ぎ左腕として期待されていた。変化球は、他にカーブ・スクリューなどを投げる。
- 毎年二軍では良い成績を残しており、2003年はイースタンリーグで24試合に登板し投球回数30回2/3で自責点なしの防御率0.00を記録した。
- 元福岡ソフトバンクホークスの稲嶺誉内野手は従弟で、同じく2007年シーズン後に戦力外通告を受けた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 2 | 0.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | ---- | ---- |
テンプレート:By2 | 19 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 106 | 21.2 | 32 | 9 | 10 | 2 | 1 | 22 | 0 | 0 | 16 | 15 | 6.23 | 1.94 | |
テンプレート:By2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 2.0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4.50 | 1.50 | |
テンプレート:By2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 2.14 | |
通算:4年 | 26 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 129 | 26.0 | 39 | 10 | 13 | 2 | 1 | 23 | 0 | 0 | 20 | 18 | 6.23 | 2.00 |
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記録
- 初登板:2001年10月11日、対中日ドラゴンズ28回戦(横浜スタジアム)、8回表に5番手で救援登板、2走者を出して降板・2失点
- 初先発:2002年4月3日、対阪神タイガース2回戦(横浜スタジアム)、3回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に赤星憲広から
背番号
- 39 (2001年)
- 38 (2002年 - 2007年)
脚注
関連項目
テンプレート:横浜ベイスターズ2000年ドラフト指名選手- ↑ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21