神田義英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 神田 義英(かんだ よしひで、1979年2月27日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

プロ入り前

高松市立屋島中学校を卒業後、高松商業高校に入学。2年生時のテンプレート:By全国高等学校野球選手権香川大会で決勝に進出したが、第67回選抜大会優勝校の観音寺中央に敗れる。同年の秋季県大会で優勝して出場した秋季四国地区高等学校野球大会では準決勝に進出し、翌テンプレート:By第68回選抜大会に出場。初戦で国士舘と対戦し先発完投したが敗戦。夏は香川県大会を制し、第78回選手権大会に出場。初戦(2回戦)の浦和学院戦ではリリーフで登板し勝利に貢献。3回戦の熊本工戦では先発登板し、打撃でもタイムリーヒットを打つなど奮闘したが敗れた。

高校卒業後は川崎製鉄水島に入団。抜群のスタミナで何度も完投を重ねたことから「ミスター完投」の異名を取る。2002年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズに4巡目で指名され入団。翌年に川崎製鉄水島がNKKと合併しJFE西日本となったため、横浜ベイスターズに6巡目指名された北川利之と共に、川崎製鉄水島出身のプロ野球選手としては最後の選手となった。

プロ入り後

テンプレート:Byの春季キャンプで首脳陣から高い評価を得て開幕一軍入りを果たし、3月28日の対福岡ダイエー戦で早くも初登板。松中信彦からプロ初の三振を奪う。さらに4月20日の対オリックス戦では初勝利をあげる。その豊富なスタミナからローテーション入りの期待も高く、先発も三度経験するものの、被弾癖と制球難が治らず、その後二軍落ち。結局そのままファームで残りの一年を過ごした。

テンプレート:By、肩を痛めて出遅れるが、その後中継ぎとして一軍に定着する。テンプレート:Byは好調な投手陣に割って入れず、一年の大半を二軍で過ごし、一軍に昇格しても出番は殆ど得ることが出来なかった。後半はファームの抑えとして定着し、5セーブをあげる。9月末に再昇格を果たすも、プレーオフ日本シリーズでの登板は無し。

テンプレート:By、開幕一軍の座を得るも、すぐに二軍落ちとなる。その後チームの右のセットアッパー薮田安彦の故障離脱をうけ、5月に一軍に再昇格すると、9試合連続無失点など、セットアッパーとして1勝11ホールドを挙げる活躍を見せる。8月に入ると2戦連続押し出しなど調子を落とし、二軍に再降格。9月23日に一軍に復帰し、9月26日の対西武戦でプロ入り初セーブを挙げた。テンプレート:Byは初めて一軍登板が無く、10月1日に戦力外通告を受ける[1]。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加したが獲得する球団はなかった。その後は社会人野球西濃運輸に所属した。

プレースタイル

最速140km/h台後半の速球とスライダーシュートで左右に揺さぶり、フォークなどの落とす球やカーブなどの緩急をつける球など多彩な変化球も魅力。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 ロッテ 10 3 0 0 0 1 3 0 -- .250 114 24.1 28 8 13 1 2 29 1 0 19 19 7.03 1.68
テンプレート:By2 16 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 128 29.2 30 6 11 0 2 23 2 0 19 19 5.76 1.38
テンプレート:By2 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 27 6.1 7 2 3 0 0 2 0 0 4 4 5.68 1.58
テンプレート:By2 27 0 0 0 0 1 0 1 11 1.000 117 27.1 28 1 12 0 2 24 4 0 14 11 3.62 1.46
テンプレート:By2 16 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 82 19.2 19 3 5 0 1 14 1 0 7 7 3.20 1.22
テンプレート:By2 4 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 28 6.1 9 1 2 0 0 2 0 0 4 4 5.68 1.74
通算:6年 79 3 0 0 0 3 4 1 12 .429 496 113.2 121 21 46 1 7 94 8 0 67 64 5.07 1.47

記録

背番号

  • 11 (2003年 - 2009年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:千葉ロッテマリーンズ2002年ドラフト指名選手
  1. 戦力外通告のお知らせ