北川利之

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テンプレート:Infobox baseball player 北川 利之(きたがわ としゆき、1979年1月8日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手内野手)。2009年から2010年までの登録名は「北川 隼行」(読みは同じ)。

来歴・人物

小学生時代は大阪クーガース、大阪東ジャガーズに所属中学時代も引き続き大阪東ジャガーズに所属する。

大阪桐蔭高校では3番を打ち活躍。法政大学へ進学する。川崎製鉄水島を経て、2002年のドラフト6巡目で横浜ベイスターズに入団。社会人時代から好守の遊撃手として名を馳せ、堅実な打撃も評価されてプロ入りした。

テンプレート:By7月5日の対広島戦でプロ初出場を記録した。二軍ではルーキーながらチームトップの打率.323、8本塁打、11盗塁を記録し、守備だけでなく打撃でもアピールした。主に二塁手として出場しているが、三塁手や遊撃手もこなせる守備力を持つ。

テンプレート:By8月8日に横浜スタジアムで行われた対ヤクルト戦でプロ初安打を放った。二軍ではすでに二塁手のレギュラー格で、打撃では毎年3割に近い打率を残している。しかし、石川雄洋野中信吾藤田一也といった同じタイプで年齢が若い選手の存在もあり、一軍ではなかなか出場機会を得られない状態が続いていた。テンプレート:Byは6月25日のイースタン・リーグでの対ロッテ戦で大嶺祐太との対戦時にファウルチップで右手首遊離軟骨を骨折して1か月半戦線を離脱[1]、一軍出場も入団以来初となるゼロに終わった。

テンプレート:Byより、登録名を北川 隼行(読みは同じ)に変更した。6月8日の横浜スタジアムでのセ・パ交流戦の対ロッテ戦で大嶺から、プロ7年目で初本塁打となる逆転満塁本塁打を放った。この本塁打はプロ野球通算2000本目の満塁本塁打となり[2]、初本塁打が満塁本塁打となったのは横浜ではテンプレート:By鈴木尚典以来15年ぶり2人目で[1]、プロ野球史上36人目[3]。しかしその後は継続して活躍できず、6月中に二軍落ちとなった。シーズン終盤に再昇格したが、レギュラー奪取はならなかった。

テンプレート:Byは一軍出場がなく、10月1日に戦力外通告を受けた。現役続行を希望し、11月10日の12球団合同トライアウト1回目に参加するも獲得に乗り出す球団は現れず、現役引退を決断した[4]

引退後は横浜の球団職員として残り、主にNPO法人ベイスターズ・ベースボールアカデミーにて、同じく引退後球団職員として残った小山田保裕や鈴木尚典とともに少年野球指導などにあたっている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 横浜 8 7 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .000 .143 .000 .143
テンプレート:By2 8 16 16 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .250 .250 .250 .500
テンプレート:By2 5 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .333 .667
テンプレート:By2 11 14 13 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 2 1 .154 .214 .231 .445
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 19 47 44 6 10 2 0 1 15 4 0 0 2 0 1 0 0 13 0 .227 .244 .341 .585
通算:6年 53 87 82 8 17 3 0 1 23 4 0 0 2 0 3 0 0 25 1 .207 .235 .280 .516

記録

背番号

  • 4 (2003年 - 2010年)

登録名

  • 北川 利之 (きたがわ としゆき、2003年 ‐ 2008年)
  • 北川 隼行 (きたがわ としゆき、2009年 ‐ 2010年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:横浜ベイスターズ2002年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web