王子ネピア
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テンプレート:Infobox 王子ネピア株式会社(おうじネピア、英文社名 Oji Nepia Co., Ltd.)は、王子製紙グループに属する衛生用紙メーカーである。製品のブランド名は「ネピア (nepia) 」。
概要
日本の大手製紙会社・王子製紙を親会社とする衛生用紙専門の製紙会社であり、ティッシュペーパーやトイレットペーパー、キッチンペーパー、紙おむつなどを生産する。製品のブランド名は「ネピア (nepia)」で1971年の販売開始。ブランド名は、同時期に王子製紙がパルプ工場を新設した、ニュージーランドの都市ネーピア (Napier) に由来する[1]。生産量を基準とした衛生用紙の国内市場占有率(シェア)は約11%(2009年)であり、大王製紙(エリエール)・日本製紙クレシアに次ぐ第3位[2]。
会社の設立は、製品発売開始と同じ1971年。元々は販売会社で生産は王子製紙が担当していたが、2003年4月に王子製紙の生産部門を統合し、生産・販売を一元化した会社として発足した。また同時に、旧本州製紙系のグループ企業であるホクシーも統合している。
傘下に、中華人民共和国を拠点とする王子製紙ネピア(蘇州)有限公司を持つ。中国でのブランド名は「妮飘 (nepia)」。
沿革
- 1971年(昭和46年)
- 1987年(昭和62年)
- 1993年(平成5年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)6月29日 - 王子製紙、家庭紙カンパニー(社内カンパニー)発足、家庭用紙春日井事業所は名古屋工場に、家庭用紙辰巳事業所は徳島工場に改称[10]。
- 2001年(平成13年)7月1日 - ホクシーの販売部門を統合[11]。
- 2002年(平成14年)11月 - 王子製紙ネピア(蘇州)有限公司を設立。
- 2003年(平成15年)4月1日 - ホクシーと合併・王子製紙家庭紙カンパニーを統合し、王子ネピア株式会社に社名変更、生産・販売を一体化[12][13]。
- 2005年(平成17年)3月27日 - 東京工場(旧・ホクシー、埼玉県草加市)で火災発生。被害が大きく復旧を断念。
ホクシーの沿革
- 1918年(大正7年)5月 - 北海製紙株式会社として設立[14]。
- 1969年(昭和44年) - ホクシー株式会社に社名変更。
- 1972年(昭和47年)10月 - 北海道製紙協業組合苫小牧工場操業開始[15]。
- 1976年(昭和51年)
- 1984年(昭和59年)8月 - 本州製紙(1996年王子製紙と合併)の関連会社となる[17]。本州製紙は安宅産業のの資産管理会社エーシー産業から株式の約40%を買収、約50%の株式を持つ筆頭株主となった[18]。
- 2001年(平成13年)7月1日 - 販売部門をネピアに移管。
- 2003年(平成15年)
主要拠点
本社は東京都中央区銀座5丁目12-8。「王子製紙1号館」というビルに入居している。
工場は、苫小牧工場(北海道苫小牧市勇払)・名古屋工場(愛知県春日井市王子町)・徳島工場(徳島県阿南市辰巳町)の3か所。いずれも紙をすく抄紙機や製品の加工設備を持つが、パルプの生産設備は持たない。抄紙機は3工場で計7台あり、約860トンの日産能力を有する(2009年10月時点)[19]。
製品
- ネピア - ティッシュペーパー・トイレットペーパー・ウェットティッシュ・キッチンペーパー。王子ネピアの中核ブランド。
- ネピネピ - ティッシュペーパー・トイレットペーパー。ネピアの妹分という位置付けのサブブランド。
- ネピア GENKI! - ベビー用紙おむつ・おしりふき
- ネピアテンダー - 介護おむつ
- ネピア 鼻セレブ - ティッシュペーパー。ソルビットと天然グリセリンに加え天然由来のスクワランも配合し、鼻触りの良さにこだわった高級保湿ティッシュ。
- ホクシー - ティッシュペーパー。旧ホクシーから承継。環境重視という位置付けだが、製品ラインアップの縮小が続いている。
- アネモネ - トイレットペーパー。旧ホクシーから承継。
- ブレンディア - トイレットペーパー
主なグループ企業
- 王子製紙ネピア(蘇州)有限公司(テンプレート:Lang-zh) - 本社は中国江蘇省蘇州市、衛生用紙の製造・販売を手がける。王子ネピアが100%出資するB&C International Co.,Ltd.(イギリス領ヴァージン諸島所在)が株式の100%を保有する[20]。
脚注
参考文献
- 王子製紙(編) 『王子製紙社史』本編・合併各社編・資料編、王子製紙、2001年
- 紙業タイムス社 『紙パルプ 企業・工場データブック』2010、テックタイムス、2010年
- 『日経市場占有率』2011年版、日本経済新聞社、2010年