沼津御用邸
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沼津御用邸(ぬまづごようてい)は、明治期から昭和中期まで利用されていた御用邸。1893年(明治26年)7月、大正天皇(当時は皇太子)の静養のため、静岡県駿東郡静浦村(現・沼津市)の島郷御料林内に造営された。1969年(昭和44年)に廃止され、現在は沼津御用邸記念公園となっている。
概要
敷地面積は約15万平方mに及び、千本松原に連なる広大な松林と駿河湾に面した砂浜の中にある。明治時代、周辺には大山巌や西郷従道、大木喬任など元勲の別荘も存在していた。北北西の方向に富士山が見える風光明媚、かつ温暖な地である
1945年(昭和20年)、沼津大空襲で本邸を焼失し、1969年(昭和44年)12月に廃止されて沼津市へ移管される。そして翌年1970年(昭和45年)7月、残された東附属邸と西附属邸を中心として周囲の緑地と共に、沼津市が沼津御用邸記念公園として開設した。1994年(平成6年)には今上天皇が行幸した。
現在でも市民などの憩いの公園となっており、また海岸沿いを走る国道414号から近く交通の便も良い。市民らからは公園地域共々「御用邸」と呼ばれて親しまれている。
備考
- 明治中期から昭和初期にかけ、沼津は有数の避寒用途の別荘地であった。政財界要人の別荘地として格別の配慮を受けた結果、東海道本線や国道1号等の交通の便が向上した。これは後の沼津市の発展にも大きく寄与している。
- 昭和天皇は生後70日からの幼少の折、当御用邸で育った。このため思い入れも少なからずあった模様で、沼津市に移管する以前は度々訪れていた。
- 第二次世界大戦当時は、この付近も重点的に爆撃され、また付近が砂地でもあったために投下された爆弾が爆発せずに砂にめり込んでいた事もあったという。
1970年代頃までは度々不発弾騒動があり、1950年代には付近で遊んでいた市民が不発弾で負傷した事故も何度かあったようで、学校教育の一環でこの付近を訪れる際には、引率教員から不審物はみだりに触らないよう、児童・生徒らに注意が成される事も1970年代末までは多かった。