江華島

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テンプレート:Infobox テンプレート:Infobox 江華島(カンファとう、こうかとう)は、大韓民国(韓国)のソウル特別市の北西の京畿湾黄海)に位置する。行政上は仁川広域市に属する。日本では「こうかとう」の読みが馴染み深い。

地理

島の面積は周辺の小島を含め408km2で、韓国の島では5番目の大きさである。韓国を代表する川のひとつである漢江の河口に位置する比較的平坦な島で、水田朝鮮人参(高麗人参)畑が広がっており、最高峰は島の南にある摩尼山(マニサン、마니산)で標高468mである。人口は7万387人(1995年)。

かつては京畿道江華郡であったが、1995年に仁川広域市江華郡となった。

対岸(韓国本土)の京畿道金浦市とは江華大橋(全長694m)によって繋がっている。このため、仁川広域市の飛地といえる。

南北休戦ライン近くにあり、島の北側は海を隔てて北朝鮮統治地域と至近距離で向き合っている。このため、防衛上、一部民間人統制区域となっているところがある。現に過去には北朝鮮の工作員が度々潜入してきていた。

歴史

紀元前から人が住んでいた痕跡があり、世界遺産に登録されている支石墓が有名である。

韓国では、江華島は檀君王倹がはじめて降臨した地と広く認識されている。摩尼山頂上の北西側にある塹城檀は檀君が檀紀54年に祭祀を行った場所とされ[1]、韓国の祝日で檀君が朝鮮を建国した日とされる開天節10月3日)には祭りも行われているが、伝承の根拠は不明である。なお檀君神話をはじめて記述した『三国遺事』に檀君と江華島を関連付ける記述は一切ない[2]

かつての(李氏)朝鮮時代においては謀反を起こした王族官僚たちの流刑の場としても活用されていた。

年表

産業

忠清南道錦山郡と並ぶ韓国有数の朝鮮人参(高麗人参)の産地として知られる。

江華島の名産に、スンムゥと呼ばれる蕪がある。一般的には赤い蕪が知られるが、白色のものもある。16世紀の朝鮮時代にはすでに食べられており、蕪の赤い色から宮中料理、貴族や富裕層の料理においては赤色の彩りのための食材としても使われた。

関連項目

脚注

  1. 塹城檀(참성단) 韓国観光公社
  2. 古朝鮮王儉朝鮮 魏書云 乃往二千載 有壇君王儉 立都阿斯達經云無葉山 亦云白岳 在白州地 或云在開城東 今白岳宮是 開國號朝鮮 與高同時 古記云 昔有桓因 謂帝釋也 庶子桓雄 數意天下 貪求人世 父知子意 下視三危太伯 可以弘益人間 乃授天符印三箇 遣往理之 雄率徒三千 降於太伯山頂 即太伯今妙香山 神壇樹下 謂之神市 是謂桓雄天王也 將風伯雨師雲師 而主穀主命主病主刑主善惡 凡主人間三百六十餘事 在世理化 時有一熊 一虎 同穴而居 常祈于神雄 願化爲人 時神遺靈艾一炷 蒜二十枚曰 爾輩食之 不見日光百日 便得人形 熊 虎得而食之 忌三七日 熊得女身 虎不能忌 而不得人身 熊女者無與爲婚 故毎於壇樹下 呪願有孕 雄乃假化而婚之 孕生子 號曰壇君王儉 以唐高即位五十年庚寅 唐高即位元年戊辰 則五十年丁巳 非庚寅也 疑其未實 都平壤城 今西京 始稱朝鮮 又移都於白岳山阿斯達 又名弓 一作方 忽山 又今彌達 御國一千五百年 周虎王即位己卯 封箕子於朝鮮 壇君乃移藏唐京 後還隱於阿斯達 爲山神 壽一千九百八歳

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