ジェネラル・シャーマン号事件
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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | ジェネラル・シャーマン号事件 General Sherman incident | |
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戦争:朝鮮による米国国旗を掲げた商船ジェネラル・シャーマン号への奇襲。 | |
年月日:1866年8月16日 | |
場所:朝鮮 | |
結果:朝鮮軍の勝利 辛未洋擾の発端 | |
交戦勢力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | テンプレート:JOS (朝鮮軍) | テンプレート:USA1865 (ジェネラル・シャーマン号) |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 朴珪寿 | |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 死者 - 7名 亀甲船1隻 損傷 |
死者 - 20名 商船1隻 沈没 |
テンプレート:Tnavbar |
ジェネラル・シャーマン号事件(ジェネラル・シャーマンごうじけん、テンプレート:Lang-en)は、1866年8月16日 にアメリカ合衆国の商船ジェネラル・シャーマン号が李氏朝鮮(朝鮮王朝)期の朝鮮の近海を航行中、朝鮮側の奇襲により沈められ船員全員が虐殺された事件。
経過
アメリカの武装商船ジェネラル・シャーマン号は、その名を南北戦争の英雄W.T.シャーマン将軍に由来するスクーナー型帆船である。当時、東アジア周辺の海には商船が頻繁に航行しており、シャーマン号はアメリカ商人W.B.プレストンとイギリスのメドーズ商会によって共同運航されていた。
1866年7月、李氏朝鮮との交易を求めて米国国旗を掲げた商船ジェネラル・シャーマン号は、大同江を経て平壌の羊角島に来航。ところがシャーマン号は、朝鮮側からの奇襲攻撃を受け、ペイジ船長、ウィルソン一等航海士以下船員20名全員が虐殺される。米国は、当初この事件を把握出来ていなかった。
1867年、フランス海軍から情報を得た米海軍は商船シャーマン号に何が起こったか調べるために司令官ロバートW.シューフェルトを朝鮮に派遣。 1868年4月、さらに司令官ジョン・C Feibergerが、シャーマン号の消息を調査し、米国は事件を把握した[1]。
事後
テンプレート:Main 1871年、清に駐在していたアメリカ公使のテンプレート:仮リンクは、この事件に対する謝罪と通商を求め、アジア艦隊を朝鮮に派遣、辛未洋擾が勃発した。[2]
脚注
- ↑ http://fch.ju.edu/FCH-2003/Bechtol-Avenging%20The%20General%20Sherman-2003.htm
- ↑ Report of Commander H.C. Blake, onboard the USS Alaska, Boissee Anchorage, 2 June, 1871。
参考文献
- 伊藤亜人他監修 平凡社編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年
- 姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』朝日新聞社、2006年
- 朝鮮史研究会編著 旗田巍編修代表『朝鮮の歴史』三省堂、1974年
- 李景珉監修 水野俊平著『韓国の歴史』河出書房新社、2007年
関連項目
日本に於ける類似の事件
朝鮮に於ける類似の事件
- プエブロ号事件 - ジェネラル・シャーマン号事件から約100年後の1968年にアメリカ海軍のプエブロ号が北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国によって拿捕された事件
外部リンク
- History of United States Naval Operations: Korea (Author James A. Field, Jr.) DEPARTMENT OF THE NAVY NAVAL HISTORICAL CENTER.
- 米国海軍歴史センター ジェネラル・シャーマン号の写真と簡単な説明がある
- USS General Sherman Incident
- 当時の写真テンプレート:Asbox