江戸川競艇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 競艇場 江戸川競艇場(えどがわきょうていじょう)は、東京都江戸川区東小松川三丁目にある競艇場[1][2]

通称は、BOAT RACE江戸川(ボートレースえどがわ)。全国で唯一、河川の水面を利用した競走水面をもつ[1]

概要

1955年(昭和30年)8月12日に初開催が行なわれた。江戸川区にある競艇場ということから江戸川の名を冠してはいるが、実際に競艇が行われているのは中川である。

主催者は、東京都六市競艇事業組合(構成自治体:八王子市武蔵野市昭島市調布市町田市小金井市)と東京都三市収益事業組合(構成自治体:多摩市稲城市あきる野市)で、いずれも一部事務組合である[3]

施設のオーナーは「関東興業」で、東京都三競艇場施設所有企業中唯一、鉄道または同系列会社資本ではない[4][5]

また、日本最東端の競艇場でもある。

主な競走

正月には新春金盃、ゴールデンウィークにはゴールデンカップ、お盆には大江戸賞、年末には京葉賞が行われている。

例年、6月頃に周年記念 (GI) として江戸川大賞が行われている。

  • 2007年の第52回の準優勝戦で4艇F[6](1号艇 中野次郎、2号艇 濱野谷憲吾、3号艇 山崎智也、4号艇 荒井輝年)のスタート事故が発生した。
  • 2008年の第53回大会は蒲郡競艇場を借り上げて開催された(理由は後述)。競艇の開設周年記念競走が別の競艇場で行われるのは異例である。

水面の特徴

全国で唯一、河川の水面を利用した競艇場である[1][† 1]。河口近くに位置し、水質は海水である[2]。年中の影響を受けやすく、そのために競走(レース)中止がよく発生する[2][† 2]。また、川の流れの他、河口に近いことから上げや下げ潮による水位の影響を受けやすく[1]、全競艇場の中でも屈指の難水面として知られている。このため、選手の中には江戸川競艇場への斡旋を受け付けない者が多くいたが、2001年1月より原則として江戸川競艇場への斡旋拒否は選手会と施行者との話し合いでできなくなったため、現在では全選手が江戸川競艇場へ出走することになった(それでも斡旋後の欠場など走らない選手もいる)。

そういった特異的な水面であるため、艇界トップクラスの選手でも旋回に苦戦することが多々ある。逆に江戸川を得意とする「江戸川巧者」と呼ばれる選手も存在しており、実力が逆転することが多く、この水面に対する巧拙は予想ファクターとして他場以上に重要な意味を持つ。 特に潮流と風向きがぶつかり合うと波長が長いうねりを伴う波水面となり、波乗り技術の差が大きく出る事になる。 古くは高田登、大岩章、植草英二、豊川二郎、神山義雄、茂垣達也などが波水面を得意とし活躍した。

進入はアウト屋等が大外に出る以外は、ほぼ全レースが3対3の枠なり(進入固定競走と違い全艇オールダッシュとはならない)となる。これは潮の満ち引きに、スローに入る艇は定められた時間までにホームストレッチに艇を入れる必要があること、内規により3コースまでに入る艇はスローに入れるという決まり(4コース以降はスロー、ダッシュは問わない)。前づけの反則を厳しく取ること、およびピットの位置などの問題もあるが、基本的にはこの水面の特殊性ゆえに選手間に存在する暗黙の合意(江戸川競艇場だから枠なり)に基づいている部分が大きいようである。

なお、1991年 - 2002年にかけて、フリースタイルの進入が採用され、3-3スタイルの内規廃止、前付けを含むコース変動が可能であった。(昔はインコースは6号艇が取りやすく、インから654321と並んでいたが、全国競艇場の共通化によりピットの順番が入れ替わり1号艇がインコースを取りやすいようになった。この時にフリースタイルの進入が採用された)

実際、1991年の36周年記念の優勝戦では岩口昭三が(6コース→2コース)、43周年記念の優勝戦では金井秀夫が(6コース→2コース)前付けを成功させているが、連対には至っていない(金井秀夫は準優勝戦でも前付けを行い、ここでは連対を果している)。

また44周年記念では初日のダイヤモンドレーサー賞にて、17年ぶりの江戸川参戦であった中道善博が1号艇の熊谷直樹、2号艇の濱野谷憲吾に対し前付けを敢行。見事イン逃げを決めている。ただし、当時はスタート展示が無く、前付けを予測するのは非常に難しかった。

施設の特徴

スタンド対岸に大型映像装置がない(徳山競艇場と2場のみ)。これは、真上に高速道路(首都高速中央環状線)があり、大型映像装置を設置できないため。代わりにスタンドの2マーク側に小さな映像装置があるため、この競艇場のみスタートの際などにレースコースに対し横に向きながら観戦する。首都高速からはレース場付近から防音壁が高くなるために内部は全く見ることができない。なお、首都高速下の堤防(スタンドの対岸側)からは無料観戦が可能であるが、場内実況は聞こえず、舟券を買うことができない。

また、堤防の法面自体が階段状のスタンドになっており、舟券購入後水面に出るには一度堤防を上らなければならない。

さらに建物とスタンドの間は都道(東京都道450号新荒川葛西堤防線)となっており、レース開催日は締め切られ、レースの開催されていないときは道路として利用される。

外向発売所

2012年4月3日に、外向発売所がBOAT RACE 365としてリニューアルし、最大4場の発売を開始した。なお施設名称には365と入っているが、年間営業日数は330日である。

備考

  • 開催時期によって、第1レースが12時締め切りのハッピーサマーレースと、10時締め切りのハッピーウインターレースがある(通常は11時締め切り)。
    • 前者は主に日没の遅い夏季開催(薄暮競走に準じる)、後者は日没が早い冬季開催に行う
  • 1958年の第5回全日本選手権競走が江戸川競艇場で行われた唯一のSG競走(当時の四大競走、特別競走)である。
  • マスコットキャラクターはラリーとバディ(ラリーズ)、それにちなんでラリーズカップが行なわれている。また、2007年10月27日から外れ券を食べるDREAM GOATという名のヤギ型回収機が登場している。
  • 中川の護岸耐震補強工事を施行した為、2009年5月まで本場開催を中止し場外発売のみを行っていた[† 3]
  • 2008年5月、入場門の左右に2体の大魔神が設置された。
  • 改装後のスタンドでは「昭和」をイメージした展示(映画の看板など)が行われている。
  • トータリゼータシステムは競艇場としては唐津との2場のみとなる富士通フロンテックを採用している。
  • 2011年2月より、関東全5場とボートピア岡部・栗橋・横浜・平和島競艇劇場との間で相互払戻(関東総合払戻)を開始、2012年4月より全国総合払戻サービスを開始した。なお、ボートピア習志野で購入した投票券は、江戸川本場との相互払戻のため、前述の総合払戻の対象外となる。
  • 2013年4月18日に、これまでの指定席「EXE(エクゼ)」がリニューアルされ、指定席「MIYABI」になった[7]。プレミアムラウンジ「遊」も同日に特別観覧席「GOLD」と名称変更した。「MIYABI」は、これまでの個室の他にカラオケも楽しめる部屋や女性専用ルームが用意され、一部の座席はリクライニング式になる。また、両座席共に事前入金したICカードによるキャッシュレス端末使用も可能になった。

珍事件

江戸川競艇場は「日本一の難水面」と言われ、以下のレースはその影響を大きく受けた。

  • 波高40cmで優勝戦開催(2001年4月2日11R)
  • 待機行動中に舟艇転覆(2001年8月11日11R)
  • 大波でレース挙行不能(2002年8月20日8R)

専用場外発売場

アクセス

無料送迎バス

ファイル:Tobus V-E368 HIMR.jpg
無料バス(西葛西・船堀発着)

徒歩

  • 都営地下鉄新宿線船堀駅前より徒歩15分
  • 都営バス新小21系統東小松川小学校前停留所より徒歩8分

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

参考文献

外部リンク

テンプレート:Navbox
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 蛭子1992、198頁。
  2. 2.0 2.1 2.2 藤野2006、210頁。
  3. 所在の江戸川区など特別区23区は両団体とも加盟していない。これは大田区平和島競艇場も同じ。
  4. なお同社は「関東鉄道」(京成グループ)や「関東バス」などとは無関係。
  5. ちなみに平和島競艇場京急資本、多摩川競艇場西武資本である。
  6. 2007年第52回大会準優勝戦で4艇F
  7. 指定席「MIYABI」のオープンお知らせ
  8. 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite web
  9. 9.0 9.1 テンプレート:Cite web


引用エラー: 「†」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="†"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません