江川智晃
テンプレート:Infobox baseball player 江川 智晃(えがわ ともあき、1986年10月31日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)。
経歴
プロ入り前
小学校2年生の時より野球を始める[1]。当時から身体能力は高く、陸上競技に出場すると地区記録を更新してしまう程の俊足の持ち主であった[1]。二見町立二見中学校3年生時に第18回全日本少年軟式野球大会に出場し、全国制覇を達成[1]。他県からの野球強豪校からの誘いもあったが、地元の仲間と野球を続けるため、宇治山田商に進む。高校時代は投手兼外野手[2]。投手としては140km/hを超える速球を投げ[2]、打者としては広角に長打を打ち分ける技術があり、早い時期から投手としても打者としてもプロ野球関係者から注目されていた。高校2年夏の県大会では決勝でサヨナラホームランを打ち、甲子園出場を決めている。しかし、高校3年夏は甲子園確実と言われながらも決勝で鈴鹿高校にまさかの逆転サヨナラ負け。高校通算33本塁打[2]。50m5.8秒の走力を誇る[2]。
2004年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスの1巡目指名を受ける。ホークスは江川を野手として評価していたので、プロでも投手をやりたかった江川は社会人野球のシダックスに進む意向だったというが、最終的には入団を決める。その後11月30日に正式にソフトバンクへの球団譲渡が決定したが、12月8日の2004年ドラフト指名選手の入団発表会見はダイエーホークスのユニフォーム姿で行われた。
プロ入り後
テンプレート:By、当時二軍監督の秋山幸二の方針により、将来の主軸候補として1年目から二軍の4番・遊撃手として英才教育を受ける[2]。ウエスタン・リーグ開幕戦で山井大介から顔面に死球を受け頬を骨折し、一時的な視力の低下もあったが、現役時代に松坂大輔から同じ経験をしたことがある秋山の配慮で、特注の顔面保護ヘルメットを身に着け脅威的なスピードで復帰した[2]。
テンプレート:By、5月5日に一軍に初昇格し、不振のライバル・松田宣浩に代わって即スタメン起用。7番・三塁手で出場し、松坂大輔(西武)から初打席初安打を放つなど5打数2安打と結果を残した[2]。翌日には西口文也からプロ初打点[2]。さらに本拠地デビューとなった対広島戦では黒田博樹からタイムリーヒットを放ち、初めてヒーローインタビューを受けた[2]。しかし、5月12日の対阪神戦でかかとを痛め登録抹消。その後再登録されるもデビュー時のような活躍はできず、二軍でシーズンを終えた。またシーズン途中から外野に挑戦した。これは入団当初からのプランである[3]。
テンプレート:By、開幕一軍入りを果たし、4月13日の対オリックス戦で吉井理人から京セラドーム大阪の3階席まで届く特大のプロ初本塁打を放った[2]。この日は4打点を挙げたが、結局これがこの年挙げた全打点であった。4月に早くも二軍落ちしその後一軍出場はなかった。
テンプレート:By、2年連続で開幕一軍入りしたが、2試合に出場しただけで3打席3三振。前年に続き4月早々に二軍落ちしその後は一軍出場なし。翌テンプレート:Byも6試合の出場にとどまった。
テンプレート:By、夏場に長谷川勇也の不調から一軍に合流し、中堅でのスタメン出場の機会が増えた。堅実な守備と猛打賞をマークするなど持ち前の打力でアピールしたが、確実性が乏しく、また代走として出場した試合でけん制アウトでサヨナラのチャンスを潰してしまうなど走塁ミスも多くレギュラー奪取にはいたらなかった。一方で、ウエスタン・リーグでは183打数61安打で打率.333、打点39、本塁打14本(ウエスタンホームラン王)、長打率.639、出塁率.464、OPS1.103の好成績を残した。
テンプレート:By、開幕は二軍で迎えるも好調をキープし、多村仁志の怪我にともない、ルーキーの柳田悠岐と共に一軍昇格。内川聖一やホセ・オーティズら外野陣の相次ぐ故障により、6月24日の日本ハム戦でシーズン初のスタメン出場を果たすと、ダルビッシュ有から右方向へのホームランを放った。しかし、その後は一本もヒットを打つことができず、シーズンを終えた。
テンプレート:By、開幕一軍入りを果たし、出場試合数他、自己最高の成績を残した。
テンプレート:By、4月10日の対オリックス戦においてプロ入り9年目で自身初となる1番打者で起用された。その後も中村晃や柳田悠岐などライバルの離脱が相次ぎ、新外国人ブライアン・ラヘアも安定を欠いたことなどから外野手や一塁手としての起用が増えた。結果的には77試合に出場し、打率.260、12本、35打点と自身最高の成績をのこした[4]。
テンプレート:By、前半戦では開幕から一軍の座を守り続け、主に右の代打として役割を果たした。右打者である主力の内川や松田の負傷離脱があり出場機会が増えるかと思われたが、同時期に一軍登録された吉村が好成績を維持したため出番は逆に減ってしまった。
プレースタイル
打撃センスが良く長打力もありウエスタンリーグでは毎年のように好成績を残しており、2012年シーズンまでで2軍では通算71本塁打をマークしている[1]。
打撃はフルスイングが多く長打力を活かせる反面、ボールを点で捉えるために確実性は高いとはいえない。
50m走5.8の脚力に加え[2]、投手出身であることから非常に強肩である。故障の多さ(腰痛と2011年秋には右肩の出術)と競争心の低さが課題[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | ソフトバンク | 11 | 43 | 42 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | .190 | .186 | .190 | .377 |
テンプレート:By2 | 8 | 17 | 17 | 1 | 4 | 0 | 1 | 1 | 9 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .235 | .235 | .529 | .765 | |
テンプレート:By2 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 6 | 13 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .083 | .083 | .083 | .167 | |
テンプレート:By2 | 20 | 47 | 44 | 3 | 11 | 6 | 1 | 0 | 19 | 8 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 18 | 0 | .250 | .261 | .432 | .693 | |
テンプレート:By2 | 11 | 10 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | .111 | .200 | .444 | .644 | |
テンプレート:By2 | 56 | 175 | 160 | 12 | 39 | 3 | 4 | 4 | 62 | 18 | 1 | 0 | 4 | 3 | 8 | 0 | 0 | 37 | 3 | .244 | .275 | .388 | .662 | |
テンプレート:By2 | 77 | 264 | 227 | 32 | 59 | 4 | 1 | 12 | 101 | 35 | 2 | 2 | 3 | 1 | 30 | 0 | 3 | 64 | 3 | .260 | .352 | .445 | .797 | |
通算:8年 | 191 | 572 | 514 | 52 | 123 | 13 | 7 | 18 | 204 | 71 | 3 | 3 | 9 | 6 | 40 | 0 | 3 | 154 | 6 | .239 | .295 | .397 | .692 |
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- 2013年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場:2006年5月5日、対西武ライオンズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、7番・三塁手で先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に松坂大輔から左前安打
- 初打点:2006年5月6日、対西武ライオンズ7回戦(インボイスSEIBUドーム)、4回表に西口文也から中前適時打
- 初本塁打:2007年4月13日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)、3回表に吉井理人から左越ソロ
- 初盗塁:2012年5月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、3回裏に二盗(投手:戸村健次、捕手:嶋基宏)
背番号
- 8 (2005年 - 2009年)
- 43 (2010年 - )
登場曲
- GReeeeN 「口笛」
- ナオト・インティライミ 「Hello」