横浜銀行
株式会社横浜銀行(よこはまぎんこう)は、神奈川県横浜市西区に本店を置く地方銀行である。略称は浜銀<はまぎん>。ブランドスローガンは、Afresh あなたに、あたらしく。
目次
概要
日本最大の地方銀行である。長らく総資産額で地方銀行の首位の座にある。
神奈川県・横浜市・川崎市・相模原市・横須賀市をはじめ、県下の多くの市町村の指定金融機関である。また県西部の市町村においてはスルガ銀行や当地を地盤とする信用金庫との輪番制で受託している[注 1]。
横浜市内や川崎市内に店舗が非常に多く、東京都町田市など神奈川県に隣接する地域でも店舗数は比較的多い。また町田市においては八千代銀行と輪番で指定金融機関を受託している[1]。愛知県、大阪府、さらに明治期の生糸貿易の名残で群馬県に支店を持つ他、かつては京成千葉駅前に千葉支店が開設されていたが数年前に閉店・撤退した。
景気の回復感から2005年(平成17年)より、新たに今まで出張所であった拠点を支店に昇格させるなど、バブル期以来出店の無かった東京都内に支店を出店させるなどして営業面では攻勢に転じはじめた[2]。更にこの1〜2年では従業員数が4〜5名程度の個人取引専用支店(ミニ店舗)を徐々にだが展開している。また、今まで契約社員(パートタイマースタッフ)扱の職員を正行員とし、待遇面で改善がみられる。
みなとみらい地区にある本店ビルは、約150mの威容を誇り、銀行の本店ビルとしては日本一の高さである。旧本店営業部近くに旧本店営業部別館が移設されている。
同行は、財務省国税局などの国庫金の(日本銀行)代理店業務を神奈川県内の13支店で行っている。本店営業部は日本銀行横浜中代理店として指定されている。
歴史
生い立ち
全国地銀の多くが有力両替商や旧国立銀行を母体としているのに対し、横浜銀行の前身・横浜興信銀行(よこはま こうしん ぎんこう)は第一次世界大戦後の反動恐慌下で破綻した七十四銀行・横浜貯蓄銀行を整理する目的で設立されており、いわば現在の整理回収機構に近い、どちらかといえば後ろ向きな業務を主業とする銀行として発足した。
その後、1928年(昭和3年)には第二銀行(1874年(明治7年)に横浜為替会社を母体に設立された旧・横浜第二国立銀行の後継行)が合流。横浜興信銀行が存続行となり、また第二銀行の横浜市本金庫業務(現在の指定金融機関)の承継に伴う地元・横浜市との結びつきも強化された。さらに神奈川県農工銀行[注 2]から神奈川県本金庫業務が移管された。
こうした経緯もあり、戦時下の「一県一行運動」の際には政府から神奈川県下の統合主体に選ばれ、スルガ銀行を除く県下各行を統合し、名実共に神奈川県を代表する地方銀行に成長した。この際、川崎財閥系の明和銀行(本店・小田原市)や鎌倉銀行(本店・鎌倉市)等を統合したため、同じ川崎財閥系の第百銀行を合併した三菱銀行との関係が生じ、現在も三菱東京UFJ銀行とは親密な関係にある。
なお1944年(昭和19年)、横浜市に本店を置く都南貯蓄銀行を合併したが、同行は合併直前まで他の大都市に本店を置く貯蓄銀行の集合体・日本貯蓄銀行[注 3]の統合に参加する予定となっていた。同行の合併で神奈川県随一の銀行となる。
戦後の復興期に業容が拡大し、1969年(昭和44年)に埼玉銀行[注 4]が都市銀行に転換したことにより、横浜銀行が日本最大の地方銀行となった。
沿革
- 1920年(大正9年)12月16日 - 横浜興信銀行として設立(七十四銀行と横浜貯蓄銀行の破綻整理として)
- 1927年(昭和2年) - 左右田銀行を合併。
- 1928年(昭和3年) - 第二銀行を合併。
- 1941年(昭和16年) - 鎌倉銀行、秦野銀行、足柄農商銀行、相模銀行、平塚江陽銀行、明和銀行を合併。
- 1957年(昭和32年) - 横浜銀行に行名を改称。
- 1993年(平成5年) - 横浜みなとみらい21地区に横浜銀行本店ビル竣工。
- 2000年(平成12年)11月1日 - システムの開発・保守・運用を、NTTデータに全面委託。NTTデータは100%出資の子会社NTTデータフォースを設立し、横浜銀行のシステム子会社・浜銀システムサービスの社員を転籍させた[3]。浜銀システムサービスは残務整理をした上で2002年度に解散した。
- 2003年(平成15年)6月20日 - 法令順守体制に不備があったとして、金融庁から内部管理体制の見直しなどを求める業務改善命令の発動を受ける[4][5]。
- 2006年(平成18年)7月18日 - ほくほくフィナンシャルグループ傘下の北陸銀行・北海道銀行とATM相互無料開放(現金自動支払機)を開始。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 1月29日頃 - 富士通FACT-V model10と20に指静脈認証装置の設置開始。各支店に最低1台設置している。
- 2月18日 - 現金自動入出金機で生体指認証取扱スタート。店舗外キャッシュサービスコーナーの現金自動入出金機での生体指認証取扱は現在はほぼ全て対応[注 5]。
- 4月1日頃 - 店舗外ATM(現金自動入出金機)富士通FACT-V model 10 と 20 に指静脈認証装置の設置開始。現在はほぼ全ての拠点で生体認証対応が可能となった[注 6]。
- 6月30日 - 地域金融機関としては初の預金残高が10兆円を超える[6]。
- 8月4日 - 常陽銀行・関東つくば銀行(現:筑波銀行)・武蔵野銀行、千葉銀行、東京都民銀行とのATM業務提携、現金自動支払機利用手数料無料及び先方の関東エリア地銀3行[注 7]を加えた計6行相互間によるATMでのカード扱振込手数料の優遇化を開始。
- 11月 - 浜銀TT証券の開業に伴い、第三者割当を引き受け同社を子会社化。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)1月4日 - 勘定系システムをMEJARへ移行。
- 2014年(平成26年)2月5日 - 浜銀の預金者情報を不正に入手し、キャッシュカードを偽造したとしてシステムの保守管理を委託されている富士通フロンテックの元社員が逮捕される[8][9]。
歴代頭取
代 | 氏名 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 原富太郎 | 1920年(大正9年)12月16日 - 1935年(昭和10年)7月 | 三渓と号し、三渓園を造ったことで知られる |
2 | 井坂孝 | 1935年(昭和10年)7月 - 1941年(昭和16年)12月 | 1869年生 1949年(昭和24年)没 東京帝大法卒 元東京瓦斯社長 元枢密顧問官 水戸市出身 |
3 | 高安礼三 | 1941年(昭和16年)12月 - 1944年(昭和19年)7月 | |
4 | 柳澤鑛一 | 1944年(昭和19年)8月 - 1949年(昭和24年)12月 | |
5 | 吉村成一 | 1949年(昭和24年)12月 - 1962年(昭和37年)8月 | 1904年(明治37年)生 1962年(昭和37年)没 東京帝大法卒 元大蔵省銀行局保険課長 東京府出身 |
6 | 伊原隆 | 1962年(昭和37年)11月 - 1975年(昭和50年)12月 | 1908年(明治41年)生 1976年(昭和51年)没 東京帝大法卒 元大蔵省理財局長 元駐英公使 神奈川県出身 |
7 | 吉國二郎 | 1975年(昭和50年)12月 - 1986年(昭和61年)6月 | 1919年(大正8年)生 1997年(平成9年)没 東京帝大法卒 元大蔵事務次官 神奈川県出身 |
8 | 大倉真隆 | 1986年(昭和61年)6月 - 1990年(平成2年)1月 | 1925年(大正14年)生 1990年(平成2年)没 東京帝大法卒 元大蔵事務次官 岡山県出身 |
9 | 吉國二郎 | 1990年(平成2年)1月 - 1990年(平成2年)6月 | 再登板 会長兼任 |
10 | 田中敬 | 1990年(平成2年)6月 - 1994年(平成6年)6月 | 1927年(昭和2年)生 東大法卒 元大蔵事務次官 広島県出身 |
11 | 平澤貞昭 | 1994年(平成6年)6月 - 2005年(平成17年)6月 | 1932年(昭和7年)生 東大法卒 元大蔵事務次官 東京都出身 |
12 | 小川是 | 2005年(平成17年)6月 - 2011年(平成23年)6月 | 1940年(昭和15年)生 東大法卒 元大蔵事務次官 東京都出身 |
13 | 寺澤辰麿 | 2011年(平成23年)6月 - | 1947年(昭和22年)生 東大法卒 元国税庁長官 島根県出身 |
主要融資系列
情報処理システム
横浜銀における総合オンラインシステムは、日本電信電話公社の直営方式で実施した上で、電子計算機、端末並びに通信回線の提供を同公社から受け、全科目を一つのシステムに乗せ、全営業店を対象に行うという方途の下、1971年(昭和46年)12月、第一次試行店4店で稼働が開始され、1973年(昭和48年)1月には、全営業店での転換が完了した。またその後の業容の拡大に合わせ、1979年(昭和54年)1月には、第二次総合オンラインシステムへの移行が完了している[6][注 8]。
1984年(昭和59年)4月には、第三次オンラインシステム移行の拠点として新横浜に新事務センターが竣工し、1989年(昭和64年)1月、NTTデータ通信との共同開発と富士通の支援の下に開発されてきた新勘定系システムが稼働。ここに、勘定系、情報系、対外系、国際系、営業店の5系統から構成される第三次総合オンラインシステムが運用を開始している[6]。
2010年(平成22年)1月4日には、ITの戦略的、効率的な活用を目的に、ほくほくフィナンシャルグループ傘下である北陸銀行、北海道銀行、NTTデータと共に構築に当たってきた「NTTデータ 3行共同利用システム」(MEJAR)に移行している[6][10][11][注 9]。
ATM関連
個人ならびに法人カードでは道銀・北陸銀・常陽銀・筑波銀・武蔵野銀・千葉銀・都民銀・千葉興銀・山梨中央銀行・東邦銀行と、個人カードでは神奈川銀行とATM相互無料開放を行っている。
また全国の鉄道会社に先駆け小田急の鉄道駅70駅全てにステーションATM PLUS BANK[注 10]、相模鉄道(相鉄)、最近では京浜急行電鉄(京急)の主要駅にもATMを設置し[注 11]、全国のコンビニATM(セブン銀行ATM・イーネット・ローソンATM)でも利用可能である(コンビニATMでは入出金ともに要手数料)。さらに、全国のイオングループに設置のイオン銀行ATMでも出金可能となったが、所定の手数料がかかる(逆にイオン銀行のキャッシュカードで、はまぎんのATM・CDを利用した場合も所定の手数料がかかる)。
2007年(平成19年)5月7日より、千葉銀行と共同でJR東日本の VIEW ALTTE との提携を開始した。
かつて、旧あさひ銀行とATM相互無料開放などの提携を組んでいたが、同行が大和銀行と統合してりそなグループが発足するのと同時に提携は解消された。
補遺
メジャーシステムへ変更により、入出金伝票類の改定・キャッシュサービスコーナーでの通帳を使用した入出金、通帳記入(繰越)の取扱時間が拡大(朝は(午前6時から稼動開始)拡大したが、夜間帯の取扱を縮小(最長で夜11時30分まで))となっている。更にキャッシュサービスコーナーの営業時間が約100ヶ店(一部の小田急や相鉄、京急駅構内にある店舗外キャッシュサービスコーナーを含む)のキャッシュサービスコーナーの営業時間を延長した。
支店内キャッシュサービスコーナー24時間営業を、2010年(平成22年)7月6日(火曜日)より神奈川県内13ヶ店と東京都内(町田支店)の1ヶ店の合計14ヶ店でスタートした。同コーナー24時間営業を14ヶ店で行っていたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴い、電力消費を抑えるため、24時間営業のキャッシュサービスコーナーを1ヶ店に限定している。現在24時間稼動店は横浜駅西口にある横浜駅前支店のみ。その他13ヶ店は全て午前0時までの営業に短縮し現在に至る。
2011年(平成23年)10月3日より、みずほ銀行、三井住友銀行、りそな銀行、ゆうちょ銀行で取り扱っていたペイジー(料金払込サービス)サービスを<はまぎん>の全てのキャッシュサービスコーナーのATM(現金自動入出金機)でも取扱できる事になった。但し現金扱は有人店舗(支店・出張所)に限定され、取扱時間も平日の午前8時45分から午後6時までとなっている。 また、収納取扱可能先も2大メガバンク(りそな銀行は一応、信託銀行として位置付けられているが、オンラインキャッシュサービス上は都市銀行扱)では取扱可能な収納先でも、横浜銀行では契約上の都合によってか、取扱ができないものがある。キャッシュサービス(バンクカード)カード扱でのペイジー収納サービスの取扱可能時間については、午後11時30分までになっている。払込手数料は原則無料だが、払込する先により手数料が別途必要となる。
インストアブランチ
同行におけるインストアブランチ(ショッピングセンターや百貨店の中に店舗)は最大3箇所程開設されていたが、現在ではそごう横浜店6階の資産運用専門箇所であるプレミアムラウンジと、イトーヨーカ堂大和鶴間店2階の大和オークシティ出張所のみとなっている。
カード事業
同行はかつて、ジェーシービー(JCB)のフランチャイズとして子会社である「はまぎんジェーシービー」(1996年(平成8年)4月設立)も運営していたが、カード事業をバンクカードへを集中させる方針に転換したため[12]、2002年(平成14年)3月末に解散、JCB本体に営業譲渡した。
ビュースイカ機能付バンクカード、旧型カードローンカード(カードローンカード、マイタウンカードローンカード、マイプランカードローンカード、大型カードローンカード)(新型カードローン:クイッキー)でのビューアルッテでのサービスが2010年(平成22年)1月31日で終了した。この取扱は、2010年(平成22年)2月1日をもってJR東日本が新たに設立したカード会社「株式会社ビューカード」へ移管されると共に、新会社では銀行法等の規定により、ビューカード社はJR東日本とは事業業務等が異なり、銀行系のカードローン等による委託業務ができないことによる[13]。但し、通常の預金引出サービス(定期預金担保の総合口座自動貸越サービスを利用している取引を除く)は平成22年5月6日より再開された。
キャラクター
イメージキャラクターは1993年(平成5年)4月から水野真紀を起用[14]。店頭ポスター等に出演してきたが、2009年(平成21年)4月から<はまぎん>キッズフォトコンテストに入選した作品を3ヶ月カレンダーに採用している。また、2012年(平成23年)10月1日より、「こども」をテーマとした写真とペンギンの粘土細工キャラクターが登場した。
その他
- 同じ横浜を本拠とする横浜DeNAベイスターズが負け越した際、他球団から見れば「貯金」[注 12]相手になることが多いため、横浜銀行と揶揄されることがある。横浜銀行は横浜スタジアムの外野フェンスに長年、広告を掲示しているものの、ベイスターズと直接的な関係はなかったが、2014年8月に初めてベイスターズのイベントに協賛することとなった[15]。
- 他の金融機関ではキャッシュサービスカードの事を、キャッシュカードと呼称しており、<はまぎん>ではキャッシュサービスカードと呼称している。また、キャッシュコーナーの事をキャッシュサービスコーナー、暗証番号の事を暗号と呼称していた。
グループ企業
- 浜銀TT証券株式会社[16]
- 株式会社浜銀総合研究所[17]
- 浜銀ファイナンス株式会社 口座振替扱の収納取扱業務を行っている。
- 横浜キャピタル株式会社
- 横浜信用保証株式会社(住宅ローンやバンクカードに付加しているカードローン等<はまぎん>で扱っている融資商品の保証業務を請け負っている)
- 横浜キャリアサービス株式会社 (はまぎん)の窓口出納業務及び渉外事務担当[18]
- 横浜事務サービス株式会社 <はまぎん>の事務センターに集中して来る書類(税金の納付書、小切手・約束手形)等の仕訳業務及びキャッシュサービスカードの発行業務等を行っている。
- 浜銀モーゲージサービス株式会社
- 株式会社はまぎん事務センター(店舗外キャッシュサービスコーナーの清掃管理等を行なっている。)
- 株式会社バンクカードサービス
- Yokohama Preferred Capital Cayman Limited
過去に在籍した著名人
脚注
注
出典
参考文献
- 横浜銀行経営企画部広報CSR室編 『写真でみる横浜銀行の歩み 地域とともに141年』 横浜銀行経営企画部広報CSR室、2011年
- 横浜銀行経営企画部広報CSR室編 『横浜銀行の歩み 地域とともに141年』 横浜銀行、2011年
外部リンク
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- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 『横浜銀行の歩み 地域とともに141年』
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:PDFlink 12ページ
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- ↑ 『写真でみる横浜銀行の歩み 地域とともに141年』
- ↑ 『YOKOHAMA STAR☆NIGHT 2014』第1弾情報 3年目の今年、地域に根差した横浜銀行がイベントパートナーに決定 - 横浜DeNAベイスターズ 2014年6月19日
- ↑ 浜銀TT証券の公式サイト
- ↑ 浜銀総合研究所の公式サイト
- ↑ 横浜キャリアサービスの公式サイト