梶芽衣子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Mboxテンプレート:ActorActress 梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日本女優歌手東京都千代田区神田出身。本名:太田 雅子(おおた まさこ)。オフィスカネダ所属。

来歴

八雲高校在学中より高橋圭三の事務所に所属し、1965年、高校卒業と同時に日活に入社。同年に映画悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし、石原裕次郎小林旭松原智恵子吉永小百合らが主演する映画で助演していた。

子役からのアイドルスターであった太田博之とコンビを組み、W太田として青春スターとして売り出され、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たす。この頃は慣れないアフレコに四苦八苦しており、そんな梶をある大物女優があざ笑い、怒った梶はその女優に啖呵を切ったという。その噂は撮影所に瞬く間に広がって武勇伝となり、会社の重役からは絞られたものの、その事が切っ掛けでアフレコを一生懸命に練習し、上達した[1]1969年に出演した映画『日本残侠伝』で監督マキノ雅弘芸名梶 芽衣子改名される。

1970年の日活映画『野良猫ロックシリーズ』を皮切りに、東映の『銀蝶シリーズ]』と『女囚さそりシリーズ』、東宝の『修羅雪姫シリーズ』など、各社で主演映画が製作されていく。これらの作品は海外でも人気を呼び、クエンティン・タランティーノは梶の熱狂的ファンと公言。タランティーノは映画『キル・ビル』で『修羅雪姫』のオマージュをし、梶の歌「修羅の花」と「怨み節」を流している。

東映の『女囚701号/さそり』を撮影していた当時、大手レコード会社のディレクターとの縁談が進んでおり、同作を最後に芸能界を引退して専業主婦となる決意を固めていた。映画が予想以上の大ヒットとなったため続編が企画されるが、梶は結婚を理由に出演を断る。しかし岡田茂の説得により「あと一作だけ」の条件で続編の出演に応じたところ、その後も俊藤浩滋ら多くの関係者の説得を受ける形でなし崩し的に続編の制作が続けられ、縁談は最終的に破談になってしまった[2]

一方でイメージ打破のためノーギャラで出演した『大地の子守歌』では、ほのかな優しさを主人公に向ける農婦の役を演じた。1978年には宇崎竜童と組んで2人の主演映画をやりたいという自身のブランのもと製作された『曽根崎心中』では[3]、強い女の情念を演じて新境地を開拓し、国内の主要映画賞を複数受賞した。

テレビドラマではフジテレビ系列の大映ドラマ時代劇サスペンスドラマに出演し、『鬼平犯科帳シリーズ』では密偵・おまさでレギュラー出演してきた。

歌手としても前述の楽曲を歌い、これらは2000年代以降にCDで次々と復刻発売されている。2009年6月24日には25年ぶりの新曲「女をやめたい」をリリースし、2011年5月25日には31年ぶりのオリジナル・アルバム「あいつの好きそなブルース」をリリースした。

ヴァーナルの対談番組で「お酒は一滴も飲めない」と語っている。

受賞

1976年度
1978年度『曽根崎心中
1995年度

出演

映画

テレビドラマ

劇場アニメ

バラエティ

CM

ディスコグラフィ

  • 銀蝶渡り鳥(『銀蝶渡り鳥』主題歌)
  • 怨み節女の呪文(『女囚さそり』シリーズ主題歌)
  • 修羅の花(修羅雪姫主題歌)
  • ジーンズぶるうす(『ジーンズブルース 明日なき無頼派』主題歌)
  • 芽衣子の夢は夜ひらく
  • 女をやめたい(2009年6月24日)※25年ぶりの新曲
  • 梶芽衣子ベスト・コレクション(2010年3月24日、歌手40周年記念CD-BOX)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞 テンプレート:ブルーリボン賞主演女優賞

テンプレート:毎日映画コンクール女優主演賞
  1. 日本経済新聞私の履歴書」。
  2. 東京スポーツ』2011年6月8日付12面「梶芽衣子 あいつの好きそなブルース」
  3. 藤井浩明監修 『映画監督増村保造の世界』(1999年)ワイズ出版、515頁。