朝夷郡
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郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域にあたる。
歴史
古くは「あさひなのこおり」と読んだ(和名類聚抄)。朝平郡(あさひらぐん)と記されていたこともある。
近代以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 17村 | 川谷村、白渚村、西白渚村、乙浜村、●白浜村、●白間津村、○大川村、真浦村、石堂原村、宮下村、●北朝夷村、●南朝夷村、平館村、忽戸村、川口村、○平磯村、千田村 |
旗本領 | 8村 | 吉浦村、峰村、内遠野村、○仁我浦村、●○瀬戸村、松田村、○海発村、大夫崎村 | |
幕府領・旗本領 | 1村 | 真門村 | |
藩領 | 安房館山藩 | 1村 | 御子神村 |
上野前橋藩 | 26村 | 宇田村、大井村、黒岩村、珠師ヶ谷村、沓見村、小川村、×柴村、前田村、石神村、川戸村、●丸本郷村、川合村、牧田村、布野村、五十蔵村、磑森村、上三原村、滝原村、中三原村、下三原村、沼村、小向村、○岩糸村、西原村、小戸村、●石堂村 | |
武蔵岩槻藩 | 1村 | 和田村 | |
越前敦賀藩 | 2村 | ●大貫村、●久保村 | |
館山藩・前橋藩 | 1村 | ●○加茂村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・敦賀藩 | 1村 | 安馬谷村 |
旗本領・前橋藩 | 3村 | 白子村、青木村、江見村(東江見村) | |
旗本領・前橋藩・上総鶴牧藩 | 1村 | 江見村(西江見村) | |
その他 | 寺社除地、見捨地 | 1村 | 花園村 |
- 明治初年に江見村が東江見村、西江見村に分村。
- 慶応4年
- 明治4年
- 明治5年 - 滝原村が上三原村に編入。
- 1877年(明治10年)
- 中三原村、下三原村、沼村が合併して御原村が発足。
- 御子神村が宮下村に編入。
- 1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての朝夷郡が発足。「安房平朝夷長狭郡役所」が安房郡北条村に設置され、安房郡・平郡・長狭郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により朝夷郡に以下の11村が発足。
- 白浜村 ←白浜村、乙浜村(現南房総市)
- 七浦村 ←白間津村、大川村、千田村、平磯村(現南房総市)
- 曦村 ←南朝夷村、北朝夷村、平舘村、忽戸村、川口村(現南房総市)
- 健田村 ←川戸村、瀬戸村、大貫村、宇田村、牧田村(現南房総市)
- 千歳村 ←川合村、安馬谷村、峯村、久保村、白子村(現南房総市)
- 豊田村 ←加茂村、沓見村、岩糸村、西原村、小戸村(現南房総市)
- 満禄村 ←川谷村、石堂村、石堂原村、珠獅ヶ谷村、前田村、丸本郷村、大井村、嶺岡柱木牧(現南房総市)
- 北三原村 ←黒岩村、小川村、上三原村、小向村、布野村、磑森村、五十蔵村(現南房総市)
- 南三原村 ←海発村、松田村、白渚村、御原村(現南房総市)
- 和田村 ←和田村、真浦村、花園村、柴村、仁我浦村の大部分(外堀を除く)(現南房総市)
- 江見村 ←西江見村、東江見村、青木村、内遠野村、真門村、仁我浦村の一部(外堀)(現鴨川市)
- その他、吉浦村、太夫崎村が長狭郡太海村に編入。
- 1890年(明治23年)3月3日 - 満禄村が改称して丸村となる。(11村)
- 1897年(明治30年)4月1日 - 郡制の施行により、安房郡・平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって、改めて安房郡が発足。同日朝夷郡廃止。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 12 千葉県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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