木更津県

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木更津県(きさらづけん)は、1871年(明治4年)に上総国安房国一円の管轄のために明治政府によって設置された。現在の千葉県南部を管轄した。

概要

1871年(明治4年)7月14日廃藩置県が行われ、旧幕府領の県の加え、300にも上る県が成立した。そのために行政に支障を来したことから、政府は同年11月14日に府県の統合(第1次府県統合)を行った。

安房国内の旧藩領を管轄する4県(館山県加知山県長尾県花房県)、上総国内の旧藩領を管轄する11県(鶴舞県久留里県鶴牧県一宮県桜井県松尾県菊間県飯野県大多喜県佐貫県小久保県)に、両国の旧幕府領を管轄する宮谷県と、両国外の県の飛地領を統合し、木更津県が発足した。宮谷県のうち下総国常陸国に属する区域は新治県の管轄となった。県庁は望陀郡貝淵村の旧桜井県庁(現在の木更津市貝淵三丁目11番)に設置された。

1873年(明治6年)2月7日から権令柴原和が隣の印旛県の権令を兼務した。そして、同年6月15日に印旛県と合併して千葉県が成立し、県庁は両県の境界に近い千葉郡千葉町に設置。柴原が引き続き初代権令、初代県令となり、現在の千葉県の基礎を築いた。

沿革

●は太政官布告の日付であり、実施日と異なる場合がある。

  • 1871年(明治4年)
    • 11月13日● - 館山県、知山県、長尾県、花房県、鶴舞県、久留里県、鶴牧県、一宮県、桜井県、松尾県、菊間県、飯野県、大多喜県、佐貫県、小久保県の16県が合併して木更津県が成立。額田県の上総国武射郡のうち(旧西端県)、同望陀郡のうち(旧豊橋県)、吉見県の上総国望陀郡のうちの各飛地領を編入する一方、鶴牧県の丹波国船井郡のうち、加知山県の越前国敦賀郡のうちの飛地領を一時的に管轄。
    • 11月15日● - 額田県が上総国武射郡(旧西端県)、望陀郡(旧豊橋県)、安房国平郡(旧西尾県)の飛地領を当分管轄するよう布告される。上総国2郡に関しては上記の布告と矛盾しており、この時期の実際の両飛地領の管轄は不明。
    • 11月20日● - 越前国敦賀郡の飛地領を敦賀県に移管。
    • 11月22日● - 丹波国船井郡の飛地領を京都府に移管。
  • 1872年(明治5年)7月1日 - 大網、大多喜、北条の出張所を廃止し、大網、松尾、勝浦、一宮本郷、北条、横渚に取締所・分局を設置。
  • 1873年(明治6年)
    • 2月7日 - 権令の柴原和が印旛県権令を兼務。
    • 6月15日 - 印旛県と統合して千葉県となる。同日木更津県廃止。

管轄範囲

人口57万4,652人(房総通史)。区域の詳細は各郡の項目を参照。矢印の右は旧管轄県。●は木更津県の管轄区域外に所在した県の飛地。

歴代知事

関連項目

脚注

外部リンク

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  1. 「旧高旧領取調帳」によると、山泉村、野坂村、長谷村、砂流村、御名村、山村、公文名村、櫛林村、筋生野村、沓見村(いずれも現敦賀市)。
  2. 「旧高旧領取調帳」によると、北久保村、質美下村、質美上村、上大久保村、水呑村(いずれも現京丹波町)。