日本大学第二中学校・高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(日本大学第二高等学校から転送)
日本大学第二中学校・高等学校(にほんだいがくだいにちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都杉並区天沼一丁目にある男女共学の私立中学校・高等学校。中高一貫制。略称は「日大二中・二高」、「日大二」。
目次
概要
本校は日本大学の特別付属校であり、正付属校とは異なる。したがって学校法人は学校法人日本大学とは異なる。日本大学第二学園が日本大学と契約して付属校となっている。日大系列校の中では進学校としての意識が強く、およそ7割の生徒が意欲的に他大学への進学を目指している。伝統的に自由な校風で、体育大会・文化祭など生徒が中心となって行う行事も多い。現在の制服は男女ともにブレザー(夏・冬で多少異なる)である。閑静な住宅街にあり、構内にある銀杏並木は杉並区保護樹林に指定されている。教育理念は「信頼敬愛」「自主共同」「熱誠努力」。高校部校長は井上登(2014年現在)。中学部校長は悉知弘一(2014年現在)。
年間行事
- 4月 - 入学式・始業式・日大標準学力試験(高校部)
- 5月 - 教育実習・中間試験
- 6月 - 中3修学旅行・高校体育大会
- 7月 - 期末試験・終業式・中1林間学校・中2臨海学校
- 9月 - 始業式・文化祭
- 10月 - 高2修学旅行・中学体育大会・中間試験・創立記念日
- 11月 - 日大統一テスト・中学部校外学習日
- 12月 - 期末試験・終業式・スキー教室(希望者)
- 1月 - 始業式・全校実力試験・高校推薦入試
- 2月 - 入学試験・マラソン大会・中学弁論大会
- 3月 - 学年末試験・卒業式・修了式
同好会をつくる会
同好会をつくる会は部活動の前身組織である。
学校長の承認を経て組織され、活動4年で部活動への昇格資格を得る。 部費が支給されないなど部活動とは差別化される。
現在、2団体が同好会をつくる会として活動している。
文化部系
- 合唱同好会をつくる会(2007年~)
運動部系
- ダンス同好会をつくる会
部活動一覧
部活動は以下に示す文化系・運動系から成る。
近年では演劇部が海外招待公演を行なった。またチアダンス部が全国大会で好成績を残している。
文化部系
- 囲碁将棋部
- 英語部
- 演劇部
- 化学部
- 家庭部
- 華道部
- 茶道部
- 社会部
- 写真部
- 書道部
- 吹奏楽部
- 生物部
- 釣り部
- 美術部
- フォークソング部
- 物理パソコン部
- 文芸部
- 放送部
- 漫画イラスト研究部
- 美術部
運動部系
- アメリカンフットボール部
- 剣道部
- 硬式野球部
- 中学サッカー部
- 高校サッカー部
- 柔道部
- 少林寺拳法部
- 水泳部
- スキー部
- 卓球部
- チアダンス部
- 中学テニス部
- 高校テニス部
- 軟式野球部
- 中学バスケットボール部
- 高校バスケットボール部
- バドミントン部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- ラグビー部
- 陸上競技部
- ワンダーフォーゲル部
沿革
- 1926年 - 校舎建築開始。
- 1927年 - 旧制・日本大学第二中学校開校。
- 1928年 - 旧制・日本大学第二商業学校(夜間4年制の甲種実業学校)開校。銀杏並木を植樹。
- 1932年 - 日大二商に昼間5年制の第一本科(甲種実業学校)を開設。従来の夜間部は第二本科に改称。 戦前の日大組織内では、二中と二商は「第二普通部」としてまとめられていた。
- 1944年 - 戦時統制により商業学校の募集を停止、日本大学第二工業学校に転換(翌年商業学校に復帰)。
- 1946年 - 日大から経営部門を分離する形で、財団法人日本第二学園が設立。日大二中は日本第二中学校、日大二商は日本第二商業学校に改称。
- 1947年 - 学制改革により新制・日本第二中学校が開校。
- 1948年 - 学制改革により新制・日本大学第二高等学校が開校。旧制・日大二商第二本科は新制高校の夜間4年制として継続。新制中学校も日本大学第二中学校に改称。
- 1949年 - 近隣にあった敷島女子中・高を吸収合併し、中高の女子部に改組。学園歌発表。校訓三則、色別学年章制定。
- 1950年 - 私立学校法に基づき学校法人日本第二学園に改組。
- 1953年 - 木造2階建て女子部校舎完成(現在の武道館の場所)。
- 1955年 - 体育祭で二高音頭が始まる。現在も高3の最後の締めくくりとして行われている。
- 1956年 - 西館鉄筋校舎完成。陸上競技部高校総体全国優勝。
- 1959年 - 野球部甲子園春夏連続出場。また、秋の国体初優勝。
- 1961年 - 本館男子部鉄筋校舎完成。
- 1963年 - 新制高校夜間4年制閉校。立川グラウンド造成。主に、野球部、ラグビー部が利用。
- 1964年 - 女子部鉄筋校舎完成。庭園を造成。荻窪の都電が廃止になり、線路の敷石が銀杏並木の並木道に移設された。この敷石は、2007年現在も南門側に現存している。
- 1966年 - 水泳プール(25m×9コース)、図書館棟(食堂1階、図書室2階、視聴覚室3階)、講堂兼体育館・地下体育館完成。
- 1969年 - 長野県志賀高原寮完成。
- 1973年 - 第一中・高、第三中・高と共に、「特別付属校」としての地位を確立する。
- 1976年 - 芸術校舎完成。
- 1982年 - 硬式野球部、夏の甲子園大会に出場(4年ぶり4回目)。
- 1983年 - 中学校舎完成。
- 1985年 - 理科校舎完成。1Fが生物、2Fが物理、3Fが化学、それぞれの実験室となっている。
- 1986年 - 武道館完成。 1Fが剣道場・トレーニングルーム、2Fが柔道場となっている。
- 1996年 - 中学部共学化に伴い、中学女子募集再開。創立70周年。
- 1997年 - 本館・新校舎完成。高校一斉に共学化。
- 2000年 - 卒業生総数35,753名。法人名を学校法人日本大学第二学園に変更。
- 2001年 - 21世紀初めの同窓生の集い21年ぶりに二高で開催。卒業生総数36,266名に。
- 2006年 - 創立80周年。
- 2007年 - 夏休みを利用して中校舎、体育館、図書館棟などを耐震補強工事、グリーンロード建設。その間、周辺の小学校などの協力を得て部活動などを行った。
- 2008年 - 立川グランドに、新棟完成。主に、硬式野球部・ラグビー部使用
- 2009年 - 硬式野球部は夏の西東京大会決勝で兄弟校・日大三高と対戦、準優勝となり27年ぶりの甲子園出場を逃す。
- 2014年 - 校庭が人工芝化される。
交通
主な出身者
政治
経済・学術
- 大平貴之(プラネタリウム設計者)…物理部所属、2005年に本校で自身のプラネタリウムを披露。
- 大村政男(心理学者、日本大学名誉教授)
- 高山忠利(肝臓外科医、日本大学医学部教授)
- 柴田勝治(元JOC委員長、名誉会長、元学校法人日本大学理事長)
- 佐々木周二(元学校法人國學院大學理事長)
- 次原悦子(サニーサイドアップ社長)
芸術
- 荒俣宏(小説家)
- ねじめ正一(詩人、小説家)
- 桐山襲(小説家)
- 亀倉雄策(グラフィックデザイナー)
- 沢渡朔(写真家)
- ジョー・ホンダ(写真家)
- 一色一成(写真家)
- ホンマタカシ(写真家)
- 井上清司(写真家)
- 天宮一大(教師、作家)
- 萩原英雄(画家)
- 板井れんたろう(漫画家)
- 中園ミホ(脚本家)
- 深田晃司(映画監督)
スポーツ
- 鈴木忠(元プロ野球選手)
- 妻島芳郎(元プロ野球選手)
- 井上善夫(元プロ野球選手)
- 神山修(元プロ野球選手)
- 五十嵐信一(元プロ野球選手、日本ハムファイターズ)
- 相馬勝也(元プロ野球選手、西武ライオンズ)
- 渡辺英昭(元プロ野球選手)
- 川尻哲郎(元プロ野球選手、東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 川口泰直(元プロ野球選手)
- 原正俊(元プロ野球選手)帝京高校から転校
- 池田豪(元プロ野球選手、アメリカ独立リーグ)
- 太田哲也(カーレーサー)
- 村田達哉(元プロサッカー選手・DF)
- 古屋信哉(元プロサッカー選手・FW、映像制作プロデューサー)
- キローラン裕人(元プロサッカー選手・東京ヴェルディDF)
- 八川修士(バスケットボール選手)
芸能
- 若林正恭(お笑いタレント、オードリー)
- 春日俊彰(お笑いタレント、オードリー)
- 青樹泉(元宝塚歌劇団月組男役)
- 松坂慶子(女優)
- 伊藤蘭(女優、元キャンディーズ)
- 吉田真希子(女優)
- 姿美千子(元女優)中退
- 田中千代(元女優)
- 篠田三郎(俳優)中退
- 中田博久(俳優)
- 塩沢兼人(声優)
- 水島裕(声優、タレント)
- 近石真介(声優、初代「フグ田マスオ」)
- 三波伸介(コメディアン)
- 赤羽健一 (お笑い芸人、ジューシーズ)
- 小森まなみ(声優、歌手、作家)
- 関清香(ファッションモデル)
- 菅原進(歌手、ビリーバンバン)
- 牧村泉三郎(俳優)
- 坂本英三(ミュージシャン)
- 安藤玉恵(女優)
- おのののか (タレント、レースクイーン)
マスコミ・放送
- 越智正典(元日本テレビアナウンサー)
- 畠山智之(NHKアナウンサー)
- 山崎正(元テレビ朝日アナウンサー)
- 秋葉隆史(テレビディレクター)
- 用稲千春(フリーアナウンサー、プロ野球選手二岡智宏夫人)
- 有田直矢(株式会社サーチナ代表取締役社長)
- 吉村真理子(フリーアナウンサー)
- 北嶋興(フリーアナウンサー)
脚注
- ↑ 日本大学『日本大学百年史』第2巻 p. 345 - 349、第3巻 p.586 - 589を一部参考にした。