新韓銀行
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新韓銀行(しんかんぎんこう、韓国語:신한은행)は、大韓民国に所在する銀行。本店はソウル特別市中区に置く。1982年、在日韓国人の資本によって韓国では初めての純粋民間資本の銀行として設立された[1]。
概要
1982年に在日韓国人の資本によって設立された。2003年9月に政府の管理下にあった老舗の朝興銀行を買収し、グループ合計で国内での預金高は国内第2位になった。銀行の全株式を新韓金融持株会社が保有し、韓国証券取引所(証券コード:55550)とニューヨーク証券取引所(証券コード:SHG)に株式を上場している。傘下には済州特別自治道を地盤とする地方銀行の済州銀行、証券会社(新韓金融投資、2009年グットモーニング新韓証券から変更)、クレジットカード、投資顧問等の子会社を有する。韓国で最も成長著しい金融機関の一つ。韓国外14ヶ国48個(6支店、10現地法人、34現地法人子支店、2代表事務所)の海外営業所を有する[2]。フランスのBNPパリバと資本提携を結んでいる。韓国での分類は「市中銀行」で銀行コードは26である。
2010年現在、ウリィ金融持株会社(332兆3000億ウォン)、KB金融持株会社(329兆7000億ウォン)に次ぎ、韓国で3位の資産規模の金融グループ(310兆8000億ウォン)に成長したが、ハナ金融持株会社(200兆3000億ウォン)のローンスターからの韓国外換銀行(116兆2000億ウォン)買収により4位となる見込みである[3][4]。
日本支店
日本では、東京都港区虎ノ門の東京支店の他、大阪市中央区の船場と福岡市中央区の天神に支店を、羽田空港国際ターミナルと博多港国際ターミナルに両替所を設けていた[1]。
2009年4月に日本現地法人の予備免許を取得、7月27日に営業免許を取得し、9月14日にSBJ銀行として営業を開始。日本にある新韓銀行3支店の営業を引き継いだ。日本ではシティバンクに続いて2番目の外資系銀行となる[5]。現地法人の設立により顧客信頼感の増大、資金調達や営業拡大の容易化など様々なメリットが見込まれている[1][6]。
SBJ銀行という名称の「SBJ」は、「Shinhan Bank Japan」の頭文字をとったものである。
沿革
- 1897年2月、前身の一つとなる漢城銀行設立[7]
- 1943年10月、漢城銀行と東一銀行が合併して朝興銀行に銀行名を変更
- 1945年8月、第二次大戦終結、朝鮮半島分断で38度線以北にあった平壌、咸興、海州支店など12支店を喪失
- 1956年3月、大韓証券去来所(現韓国証券取引所)に上場株式第1号として上場(コード番号 00010)
- 1963年4月、外国為替業務取扱い開始
- 1982月6月、クレジットカード業務開始
- 1982年7月、在日韓国人信用組合協会会員信用組合が母体となり、韓国初の純民間資本銀行として新韓銀行を創立(初代銀行長金世昌)
- 1984年2月、信託業務開始
- 1984年2月、第2代銀行長に李竜万が就任
- 1987年5月、新韓総合研究所設立
- 1988年2月、第3代銀行長に金在潤が就任
- 1988年11月、ソウル中区太平路2街120デキョンビルに本店が移転
- 1989年8月、朝興リース株式会社設立
- 1989年10月、企業公開、11月、株式上場
- 1991年4月、新韓リース設立
- 1990年7月、明洞支店に韓国国内初のATMコーナーを設置
- 1991年2月、第4代銀行長に羅應燦が就任
- 1995年11月、韓国最古の銀行・法人企業の認証を獲得
- 1996年7月、朝興100周年記念館開館
- 1996年11月、財団法人朝興百年財団設立
- 1997年3月、朝興金融博物館開館
- 1999年2月、第7代銀行長に李仁鎬が就任
- 1999年4月、忠北銀行と合併
- 1999年7月、韓国内銀行中で初となるインターネットバンキングサービス開始
- 1999年9月、江原銀行と合併
- 2000年10月、持株会社設立準備委員会及び設立事務局設置
- 2001年1月、済州銀行と経営諮問契約締結
- 2001年5月、オーストラリアのマッコーリー社と新韓マッコーリー金融諮問(株)設立
- 2001年6月、金融持株会社出帆のためBNPパリバ銀行と業務提携に合意する了解覚書締結
- 2001年9月、新韓金融持株会社設立
- 2002年8月、新韓銀行及び新韓金融持株会社、コーポレートアイデンティティ変更
- 2003年3月、第9代銀行長に申相勳が就任
- 2003年8月、新韓銀行との合併を前に朝興銀行銀行長に崔東洙が内定[8]
- 2003年9月、アメリカ証券取引き委員会登録及びニューヨーク証券取引所上場
- 2004年2月、Cyber朝興金融博物館開館
- 2004年3月、福岡に「博多港両替所」設置
- 2004年6月、「羽田空港両替所」設置
- 2004年9月、韓国女子バスケットボールリーグチーム新韓銀行エスバード創立
- 2004年11月、崔東洙朝興銀行銀行長[9]、アジア銀行家協会第12代会長に就任
- 2006年2月、新韓・朝興銀行合併本認可取得、4月、統合新韓銀行業務開始、申相勳が統合銀行頭取に就任
- 2006年12月、インドにニューデリー支店開店
- 2007年6月、国民年金管理公団受託銀行に指定
- 2007年9月、ベトナムに新韓ビナ銀行トンナイ支店開店
- 2007年10月、カンボジアに新韓クメール銀行開店
- 2007年12月、中国に北京支店開店
- 2008年4月、バーゼルII内部等級法使用承認獲得
- 2008年5月、新韓バンクアメリカアーバイン (カリフォルニア州)支店開店
- 2008年6月、中国現地法人中国新韓銀行有限公社開業
- 2008年9月、中国青島城陽支行開店
- 2008年12月、100%出資現地法人「新韓カザフスタン銀行」開業
- 2009年3月、カナダ新韓銀行開店、李伯淳が新韓銀行頭取に就任
- 2009年9月、日本現地法人SBJ銀行東京上野支店開店、新韓ウエディング・コンベンションオープン
- 2009年10月、新韓銀行中国有限公社、上海虹橋支行開店
- 2009年11月、SBJ銀行上本町支店、ホーチミンで100%出資新韓ベトナム銀行営業開始
- 2010年9月、申相勲前銀行長を横領と背任の容疑で告発
- 2010年10月、金融監督院、金融実名制法違反で羅應燦会長と新韓銀行元現職役職員に懲戒方針を通知
- 2010年9月、日本の金融庁によるSBJ銀行の検査後、日本の預金保険の対象となっているSBJ銀行の預金を韓国で運用することは問題との指摘を受け、2012年からはSBJ銀行分は日本国内でのみ運用し、これまで韓国に送金していた預金16億ドルも全て日本に戻す方針であることを明かした[10][11]。
- 2014年5月、国民銀行 (韓国)東京支店の不正融資疑惑などに関連し、日本の金融庁がSBJ銀行など韓国系銀行を立入検査[12][13]。
不正融資・横領・金融実名制違反容疑(新韓事態)
2010年9月2日、新韓銀行はトゥモローグループ系列のトゥモロー、金剛山ランド両社に行った総額438億ウォンの不正融資により銀行に損害を与えたとして、前銀行長で新韓持株社長申相勲を横領と背任の疑いで告訴[14]、またトゥモローグループのクク・イルホ会長を含む関係者7人も告訴、ソウル中央地検は10月28日にクク会長を逮捕した[15]。金融持株会社の社長を子会社の銀行長が訴えるというこの内紛は「新韓事態(신한사태)」「新韓持株内紛事態」と呼ばれ、羅應燦新韓持株会長の借名口座開設情報をリークした申社長に対する羅会長側からの報復や[16]、羅会長、李伯淳新韓銀行長と申社長の間の後継者争いの可能性が指摘されている[17]。申社長には、2003年に不正融資事件で執行猶予付き有罪判決を受けた元信用組合関西興銀会長[18][19]で在日本大韓民国民団(民団)常任顧問[20]、新韓銀行の創業者でもある李熙健名誉会長に支払われるはずだった顧問料15億ウォンの横領疑惑も持たれている[14][16]。
羅会長の借名口座開設および横領容疑については、2007年、盧武鉉大統領自殺にも関連する朴淵次泰光実業会長に50億ウォンを贈ったことが確認された羅会長は、2009年初めに韓国検察の調査を受けた時、李名誉会長の顧問料を弁護士費用として流用したとされる[21]。
9月14日、取締役会は申社長の職務停止を決定[22]。10月7日、金融監督院は、金融実名制法に違反したとして羅会長と借名口座を管理した新韓銀行の元現職役職員に対し懲戒方針を通知した[23]。10月14日、在日同胞株主が羅会長、申社長と、告発を行った李銀行長三者の即時辞任と、グループ内部からの新経営陣選任を要求、これは金融当局など外部の影響を遮断する意図と見られている[24]。10月30日の理事会で羅会長が辞任、第一銀行銀行長や全国銀行連合会会長を歴任した柳時烈新韓金融非常勤理事(法務法人世宗顧問)が会長代行に就任した[25][26]。11月4日、金融監督院は、実名確認義務に違反し金融秩序を乱したとして新韓銀行にも「機関警告」を行い[27]、また金融監督院の勧告を受け、11月18日金融委員会は在日韓国人名義の借名口座開設時に行員に実名確認を行わないよう指示したとして、羅前会長を金融実名制法違反で重懲戒処分を下した[28]。
これに関連して2010年10月22日の韓国国会政務委国政監査で、民主党の辛建議員が「新韓銀行設立当時、在日同胞の投資金は政府の黙認のもと、非合法的に入ってきた。羅應燦新韓持株会長の借名口座をきちんと把握するには、新韓銀行設立初期の在日同胞投資家を調べなければならない」と主張、これに対し金鍾チャン金融監督院長は「実名制法の枠内で調査する」と答弁、11月8日に予定される新韓銀行に対する総合検査で在日同胞株主の借名口座に対する調査が行われる可能性を示した[29]。日本の金融庁は新韓銀行の日本現地法人SBJ銀行を9月に検査しているが[21]、韓国当局が調査をすれば日本の金融・税務当局も本格的な調査に動き出す可能性があり、在日社会ではこれらの動きを懸念している[29]。11月2日、ソウル中央地検金融租税調査3部は新韓銀行本店にある羅前会長、申社長、李銀行長のオフィスや秘書室などを家宅捜索した[30]。11月8日、金融監督院は、羅会長の金融実名制違反容疑をはじめとして申社長が横領したとされる李名誉会長の顧問料15億ウォンや、李銀行長が在日同胞株主から受け取ったとされる寄託金5億ウォンの使用内訳等を調査する事前検査を開始した[31]。事前検査は12日まで行われ、収集した資料を基に22日から4週間かけて本検査を行った。
一方、ある在日韓国人株主の名義を新韓銀行が盗用し、50以上の口座を開設・管理してきたとの疑惑も提起されている。これに対し新韓銀行は「2つの口座はともに本人の意思によって開設され、解約されたもの」であり金融実名制に背くものではないと釈明している[32]。
2013年1月16日、ソウル中央地裁は申相勲、李伯淳らに対して判決を下し、申相勲と李伯淳に金融持株会社法違反によりそれぞれ懲役1年6カ月、執行猶予2年を宣告、これに対し両者は控訴した[33]。一方、トゥモローグループと金剛山ランドに不正融資したという背任容疑と李熙健顧問料の横領疑惑には無罪が言い渡された。なお、羅應燦は「新韓事態の衝撃で認知症を患い、治療を受けている」として2012年11月14日の公判を欠席している[34]。
2007年大韓民国大統領選挙後、李明博大統領就任式直前の2008年2月、羅会長の指示で李大統領の兄である李相得ハンナラ党国会議員の元に送られたという「南山3億ウォン疑惑」については[35]、2013年2月、ソウル中央地検金融租税調査3部が本格的捜査に着手した[36]。
一審判決後、申相勲は韓国日報のインタビューに答え、新韓事態の本質は”内部軋轢争いではなく(朴淵次50億ウォン事件発覚により会長職を追われそうになった)羅前会長が組織私有化のために行った権力型不正”と規定、また50億ウォンの出処について羅前会長は、1991年新韓銀行頭取に就任した時に、李名誉会長と一部の在日韓国人株主たちがお祝いにくれた30億ウォンに利子などが付いたものだとしているがこれはありえず、羅前会長が管理してきたとされる多数の在日株主の借名口座との関連を指摘している[37]。