復古的改憲論
復古的改憲論(ふっこてきかいけんろん)とは、改憲論を評論するための造語の一つ。憲法改正論議を「進歩的」と「復古的」の二種と捉えたさいに、憲法を昔の体系にもどす「復古的」な主張を指す。
日本においては、日本国憲法を大日本帝国憲法に近い形へ改正しようという主張に対するカテゴリ分類として利用されることがある。
概要
小林節はリバタリアニズム的復古主義を掲げているが、渡部昇一や南出喜久治など、制定過程に鑑みて日本国憲法は存在自体無効であると主張する者もいる。
沿革
一般に国会における憲法改正論議においては、日本国との平和条約(1952年発効)以降その議論の中核をなすのは個別的自衛権・集団的自衛権の問題であり、とくに日本国憲法第9条と日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(1960年発効)の整合性に関する議論が焦点であった。
「復古的」という語はその相対的語義から現行憲法を改正すべしとする主張に対して護憲派側によって付けられたレッテル(ラベル)であり、自衛隊の“軍隊”への発展[1]、野放図な経済的自由の憲法による制限、天皇の明文元首化、国民への愛国心涵養義務付け、人権は国民の義務を果たしてこそ付与されまた公益及び公共の秩序の下に置かれるべき(一元的外在制約説)といった提言に対して用いられることが通常である。
自民党においては、1990年代から2000年代にかけて、保守本流・護憲志向の経世会や宏池会が分裂弱体化し、清和政策研究会に所属する小泉純一郎が国民的人気を得て約5年半の長期政権を維持したことにより、「復古的」改憲論者の比較的多いとされる保守傍流の影響力が強化された。 同様に安倍内閣・第2次安倍内閣では、「戦後レジームからの脱却」が謳われ、政権そのものが「復古色」を帯びることとなったとしばしば批判された(安倍晋三も小泉と同じく清和政策研究会)。 2005年及び2012年に発表された自由民主党の新憲法草案は「復古的」改憲論であると批判されることがある。
民主党においても、旧民社党の流れをくむ民社協会の議員が中心となった創憲会議が、2005年に「復古的」な新憲法草案を発表したと護憲論者側からの批判を受けている。
2004年に読売新聞が発表した「憲法改正試案」、2013年4月に産経新聞が発表した「国民の憲法」が、やはり復古調と批判されている。読売試案では侵略戦争の放棄、徴兵制の禁止、無差別大量殺傷兵器の製造、保有、使用しないことを宣言する一方で、自衛力の保持を明記した。つぎに2000年5月3日に公共の福祉を明確にし、緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正第2次試案を発表し、さらに2004年5月3日、2回の試案を踏襲しながらも、社会の基礎としての家族の重要性、個人の努力、相互の協力の精神を盛り込んで国家の理念を強調する「憲法改正2004年試案」を発表した。産経要綱は独立自存の道義国家をうたって天皇を元首と明記し、国の安全・独立を守る軍を保持するとした。