公共の福祉

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テンプレート:混同 テンプレート:Ambox 公共の福祉(こうきょうのふくし)とは、日本国憲法第12条第13条第22条第29条に規定された人権の制約原理である。

歴史

キケロはその著作『法について』(De Legibus)において "Salus populi suprema lex est."(人民の健康が最高の法たるべし)と唱えた。公共の健康は統治の主要な論点であった。「健康」の内実がどのようなものであれ、あらゆる政治思想家がこの格言を政治哲学の主要な眼目としてきた。

ラテン語 Salus の正確な日本語訳。 http://search.yahoo.co.jp/search?p=Salus%E3%80%80%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=slv1-necpc3&x=wrt

この用語は、日本国憲法

で用いられている。

公共の福祉の意味

公共の福祉の意味については、争いがある。尚、現行憲法では「公共の福祉に反する場合」国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。

一元的外在制約説

公共の福祉という用語は、当初は人権の外にある社会全体の利益を指すために用いられ、公共の福祉を理由として人権を制約することが判例上広く認められていた。この説は、もっぱら人権の外部に「公共の福祉」なる概念が存在し、あらゆる人権保障に制約を加えることができる、という意味で「一元的外在制約説」と呼ばれる。

この説は現在では支持されていない。なぜならば「公共の福祉」を根拠にいかなる人権も制限可能であるならば、大日本帝国憲法の“法律の留保型人権保障”(全ての人権規程に「法の定める範囲内において、かつ臣民の義務に背かない限り」という一語が記されている)と全く同じ運用が可能になってしまい、個人の自由を最高の保護法益とする日本国憲法とまったく相容れなくなるからである。

二元的内在外在制約説

公共の福祉により制約が認められる人権は、経済的自由権(22条・29条)と社会権に限られ、12条・13条は訓示的規定に過ぎない、とし、右の権利以外は憲法的制約はなく、それぞれの社会・文化関係から自律的に制約されるのみとする説がありテンプレート:誰2、これを「二元的内在外在制約説」と呼ぶ。

一元的内在制約説

宮澤俊義により主張され従来通説とされてきた[1]。公共の福祉を人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理と解する。この意味での「公共の福祉」とは、憲法規定にかかわらず、すべての人権に論理必然的に内在しているとする。この「公共の福祉」原理は、自由権を各人に公平に保証するための制約を根拠付けるためには"必要最小限度の規制"のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保証するために社会国家的公共の福祉として機能する、とする[2]

例えば、憲法上保障される表現の自由は、同じく憲法上、幸福追求権の一種として保障されると解されているプライバシーの権利と衝突する。このような事態が生じる場合に両者の調整を図るための概念が「公共の福祉」である。

もっとも、このような理解に対しては、いかなる場合にいかなる程度の人権の制約が可能であるのか明らかでなく、結局「社会全体の利益」と理解した場合と同程度の不明確さが残るのではないかとの批判がある。このため、一元的内在制約説を人権制約に関する具体的な違憲審査基準の規準として準則化したものとして、「比較衡量論」(ad hoc balancing)や「二重の基準」 (double standard) の理論が提唱されている。なお、公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令による規制が合理的であるかどうかは違憲立法審査によって行われる。法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されない。例えば契約書や約款・就業規則等の規定が公共の福祉の根拠となることはない。なぜなら民法90条「公序良俗に反する契約は無効」とは全く異なる概念であるからである。

近時の学説

近年、一元的内在制約説の理論的妥当性は、大いに疑問視されるようになっている[3]長谷部恭男は、人権を制約する根拠となるのは、かならず他の人権でなければならないとの前提は、『人権』という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難であり、すべての規制が公共の福祉という概念で一元的に説明がつく一方、公共の福祉を名目とする国家による規制をも無制約とする危険をはらんでいると批判している[4]。もともと「公共の福祉」は国家ないし国家活動の目的一般を指すことばであり、人権相互の矛盾・衝突の調整を「公共の福祉」の名で呼ぶことへの疑問は、内在制約説の提唱者である宮沢俊義自身が認めるところでもあった[5]。また、従来憲法学者の間では、人権規制の限界画定に関する基準を各個の権利・自由につき具体的に明らかにすることに主眼が置かれ、「公共の福祉」の原理そのものの意味について必ずしも深く考察されてこなかった[6]

そこで、近時の学説では、人権の制限根拠を人権相互の矛盾・衝突の調整に限定せず広く認めた上で、より詳細な類型論によって公共の福祉の意味を限定しようと試みられている。

たとえば、佐藤幸治は、内在的制約原理と政策的制約原理を区別し、いずれの原理が指導原理となるかは各基本的人権の性質に応じて決まり、22条と29条とは後者の制約原理が妥当する機会が多いことからとくに再言されたものと解し、さらに、22条の移転の自由は内在的制約のみに服するとしている[7]

浦部法穂は、(1) 他人の生命・健康を害する行為の排除、(2) 他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除、(3) 他人の人権と衝突する場合の相互の調整の必要という人権の観念それ自体から導かれる内在的制約のほか、経済的自由権には政策的制約があるとしている[8]

高橋和之は、人権制約はすべての個人に等しく人権を保障するために必要な措置と捉え、人権衝突の調整のほか、他人の利益のために人権を制限する措置や本人の利益のために本人の人権を制限する措置も公共の福祉に含まれるとする[9]

内野正幸は、公共の福祉の内容として、(1) 他者の権利・利益の確保、(2) 本人の客観的利益の確保、(3) 公共道徳の確保、(4) 経済取引秩序の確保、(5) 自然的・文化的環境の保護、(6) 国家の正当な統治・行政機能の確保、(7) 社会政策的・経済政策的目的の実現を挙げる[10]

渋谷秀樹は内野の7類型を整理して、(1) 他者加害の禁止、(2) 自己加害の禁止、(3) 社会的利益の保護、(4) 国家的利益の保護、(5) 政策的制約の5類型とし、(1) (3) を内在的制約、(4) (5) を外在的制約、(2) をこれらと異なるパターナリスティックな制約とする[11]

初宿正典は、人権相互の衝突の調整を根拠とする人権制約を「公共の福祉」とは別の問題であるとしている[12]

このように、現在の憲法学者の間では、公共の福祉を「人権相互の矛盾・衝突」の調整原理としてのみ狭く捉える見解はむしろ少数派であって、何らかの意味で公共の利益も「公共の福祉」の内容として認める見解が一般的である[13]。しかしながら、このような見解においても、公共の福祉それ自体が基本的人権制約の正当化事由となるわけではなく、全体の利益が個人の権利・利益を凌駕することを意味するわけではない[14]

公共の福祉の内容

一元的内在制約説における公共の福祉の内容については、「自由国家的公共の福祉」と「社会国家的公共の福祉」があるとする。

自由国家的公共の福祉

自由国家的公共の福祉とは、形式的公平・内在的制約・消極目的規制ともいわれ、「各個人の基本的人権の共存を維持するという観点での公平」であって、具体的には、『国民の健康・安全に対する弊害を除去』を目的とする制約」と解するのが多数説であるが、「他人の権利を害さないことと、基本的憲法秩序を害さないこと」を目的とする制約、と解する有力説(芦部)もある。

そして、自由国家的公共の福祉は、内心の自由を除くすべての人権に妥当するとされる。

社会国家的公共の福祉

社会国家的公共の福祉とは、実質的公平・政策的制約・積極目的規制ともいわれ、「形式的公平に伴う弊害を除去し、人々の『社会・経済水準の向上』を図るという観点での公平」と解するのが通説である。例えば、弱者保護や社会経済全体の調和ある発展のための規制である。

社会国家的公共の福祉は、経済的自由権社会権に妥当する、とする説や、経済的自由権にのみ妥当する、とする説が有力である。これは積極目的規制が形式的公平を害するおそれがあるため限定的でなければならないからである。

消極目的規制の事例

精神的自由権等の重要な人権には、自由国家的公共の福祉すなわち消極目的規制のみが可能である。

消極目的規制の代表例としては、集会の自由を制限する凶器準備集合罪の規定や、表現の自由(集団示威行進)を制限する公安条例の規定(集団示威行進の許可制)がある。一般に人権制限には、制限目的の合理性と制限手段の合理性が必要とされるが、集会の自由や表現の自由にも消極目的規制は可能であり、消極目的規制とは 国民の健康・安全に対する弊害除去を目的とする制約 と解する多数説でも、これらの場合は国民の安全が害されるおそれがある場合であるから制限目的は合理的といえる。

特殊事例

憲法学が一応正面から論じてはいるが、公共の福祉との関係などの理論構成が不明確な事例として、在監関係公務員関係未成年者の人権制限・国立大学学生がある。

例えば、公務員の政治活動の制限の根拠については、憲法は「官吏に関する事務を掌理する」73(4)として、公務員関係の存在と自律性(15,73(4))を憲法秩序の構成要素として認めているから、「公務員関係の存在と自律性」が制限根拠となる とする説が有力であるが、これは公共の福祉論とは異質な理論といえる。「憲法秩序の構成要素」とは憲法自体が制限を要請しているとの意味に解せるから、公共の福祉論の枠外で憲法の規定(15,73(4))をそのように解釈することで制限を根拠づけるものといえる。(在監関係や公務員関係は古くは特別権力関係として議論された。)

未成年者については、選挙権の制限・行為能力の制限・婚姻の制限・飲酒喫煙の制限、がある。未成年者の人権制限の根拠については、憲法は成年制度の存在を予定している(15Ⅲ)からとする成年制度説が有力であるが、これも公共の福祉論(消極目的規制)とはやや異質な理論であり、公共の福祉論の枠外で15Ⅲの規定から制限根拠を導いているとみることもできる。

規制目的と合憲性判定基準の関係

司法審査における判定基準(合憲性判定基準違憲審査基準)として、厳格な基準と緩やかな基準に大別する二重の基準理論があるが、消極目的規制の場合は厳格な基準の場合を含むものの、消極目的規制の場合は緩やかな審査基準の場合もあることに注意を要する。例えば経済的自由権の一種である営業の自由での薬事法距離制限の事例は、消極目的規制であるが、司法審査基準としては緩やかな基準である。(緩やかな基準のうちの「厳格な合理性の基準」が採られる。)

他方、積極目的規制がされる場合は、緩やかな審査基準であり、緩やかな基準のうちの「明白性の基準」等が採られる。

脚注

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関連項目

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  1. 「基本的人権と公共の福祉に関する基礎的資料」基本的人権の保障に関する調査小委員会(衆議院憲法調査会平成15年6月5日)P.10
  2. 「基本的人権と公共の福祉に関する基礎的資料」基本的人権の保障に関する調査小委員会(衆議院憲法調査会平成15年6月5日)P.10
  3. 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開』(日本評論社、2011年)9頁
  4. 長谷部恭男「国家権力の限界と人権」『憲法の理性』(東京大学出版会、2006年)63頁以下
  5. 宮沢俊義『憲法Ⅱ〔新版〕』(有斐閣、1971年)236頁参照
  6. 芦部信喜『憲法学Ⅱ人権総論』(有斐閣、1994年)198頁参照
  7. 佐藤幸治『憲法〔第三版〕〕』(青林書院、1995年)403頁
  8. 浦部法穂『憲法学教室〔全訂第2版〕』(日本評論社、2006年)84頁以下
  9. 高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第2版〕』(有斐閣、2010年)111頁以下
  10. 長谷部恭男(編)『リーディングズ現代の憲法』(日本評論社、1995年)47頁〔内野正幸〕
  11. 渋谷秀樹『憲法』(有斐閣、2007年)159頁
  12. 初宿正典『憲法2〔第3版〕』(成文堂、2010年)49頁
  13. 曽我部真裕、赤坂幸一、新井誠、尾形健(編)『憲法論点教室』(日本評論社、2012年)70頁〔曽我部真裕〕
  14. 宍戸常寿『憲法解釈論の応用と展開』(日本評論社、2011年)11頁参照