広島西飛行場
テンプレート:Infobox 空港 テンプレート:Vertical images list 広島西飛行場(ひろしまにしひこうじょう、Hiroshima-Nishi Airport)は、広島県広島市西区観音新町にかつて存在した公共用その他飛行場である。初代の広島空港でもある。
定期路線があった空港としては日本初の廃港例となった。
現在は広島ヘリポートとして、ヘリポートの機能のみが残されている。
歴史
- 1940年(昭和15年):現在の中区吉島に陸軍の飛行場である吉島飛行場(廣島飛行場)が存在したが、広島市への原子爆弾投下により焼け野原となり、戦後はグライダー訓練施設としてのみ活用される状況であった。
- 1961年9月15日:天満川と太田川放水路の中州河口に当たる西区観音地区に、新たに運輸大臣管理の「(初代)広島空港」として供用開始。
- 1972年:滑走路延長(1,200m→1,800m)
- 1993年10月29日:新広島空港供用開始に伴い広島西飛行場へ名称変更。乗り入れ航空会社は、ジェイエアのみを残して全て新広島空港へ移管。その他飛行場に種別変更し、管理者を広島県に移管。
- 2004年9月:台風18号の被害に遭い、滑走路、事務所、格納庫など飛行場のほぼ全域にわたって水没した。
- 2005年2月:ジェイエアが当飛行場から完全撤退。
- 2010年10月31日:日本エアコミューターの宮崎便と鹿児島便が廃止され、定期航空路線が全廃される。
- 2011年3月10日:広島市議会にて広島西飛行場の市営化条例案(広島シティ空港条例制定案)が否決、廃港が事実上決定。
- 2011年9月22日:観音VOR/DME廃止。
- 2012年3月2日:広島県が国土交通省大阪航空局長に対してヘリポート設置許可申請。
- 2012年6月5日:国土交通省大阪航空局長よりヘリポート設置許可申請が認可。
- 2012年11月15日:広島西飛行場としての供用廃止(国交省告示1143号)、広島ヘリポートとしての供用開始(国交省告示1144号)。
過去の就航路線
また、ジェイエアは設立当初から2005年の撤退まで拠点空港としていた。
以下は広島西飛行場便としては休廃止となったが、広島空港には就航している路線
アクセス
運行本数・運賃・経路等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。
定期便就航当時は、広島空港発着便との乗り継ぎに必要な時間が「150分以上[1]」と案内されていた。直通する公共交通機関はないため、広島駅や紙屋町(広島バスセンター)にて乗り継ぐことになる。
飛行場の存廃問題
広島の空の玄関口として活用されてきたが、滑走路長が大型機[2]の離着陸が不可能な1800mしかなく、用地上の問題から拡張が困難なこともあって、同空港の機能を1993年(平成5年)に豊田郡本郷町(現・三原市)に新たに建設された空港(現・広島空港)に移転、その後は広島県管理のその他飛行場である「広島西飛行場」として運営されていた。
広島西飛行場は県営空港であると共に、広島市に所在する唯一の空港であることから、空港管理運営費の赤字分、整備事業費、環境対策費は、広島県と広島市で折半している状況であった[3]。広島市では搭乗率の目標値を掲げて飛行場の利用促進を市の施策目標として掲げていた[4]が、小型プロペラ機であるサーブ340Bによる2路線でも搭乗率は50%台[4]と、芳しいとは言えない状況であった。また、飛行場の北側で東西に横断する広島南道路の建設方式を巡って、飛行場の機能維持を求めてトンネル方式を主張する広島市と工費面から橋梁方式を主張する広島県との間で対立があったが、2004年5月31日に開催された藤田雄山広島県知事と秋葉忠利広島市長とのトップ会談によって橋梁方式での建設に合意し、滑走路北端部を340m南側に移動する必要がある[3]ことから、飛行場機能の縮小が避けられない状況となっていた。広島市は、リージョナルジェットによる羽田空港への直行便復活を模索していたが、空港の管理者が広島県ということもあり、具体的な方向性には乏しい状況だった。
2007年10月17日、藤田広島県知事は定例記者会見での質疑応答の中で「県としては西飛行場そのものをもはや必要としていない」「安佐南(区)のほうの方でしたら広島空港に行ったほうが早い。西飛行場のほうが便利だっていう方はごく一部」と、空港機能を広島空港に集約し、西飛行場を廃止させたい意向を表明する[5]。これにより、広島西飛行場の存廃問題が一躍クローズアップされることとなった(ただし、航空路線を広島空港に集約させたいとの広島県の意向は、この会見より前からの基本的スタンスであった[6])。
ちなみに、2005年度(平成17年度)の旅客数は67,059人、2008年度の旅客数は56,453人[7]であった。
2009年9月16日付の読売新聞は、経営再建中の日本航空が広島西飛行場を含む国内7空港からの撤退を決めたと報じた(実際に撤退を発表したのは2010年4月28日[8])。定期路線が無くなった時点での運営からの撤退を検討していた広島県は2009年10月22日、広島西飛行場の管理運営から撤退する方針を固め[9]、今後、広島市が存続を希望するなら単独で赤字負担をするよう広島市に申し入れた。
広島市は単独負担を拒否する構えであったが、2010年1月27日に行われた、藤田の後任である湯崎英彦広島県知事と秋葉広島市長との会談で知事は県市共同で運営するヘリポートに転換するよう提案、市長は東京線誘致を視野に入れ、市営化かヘリポート化を2010年度中に判断することで合意する[10]。広島市では「広島西飛行場あり方検討委員会」を設置して市営空港化の検討を行い、2010年12月27日秋葉市長は湯崎知事に対して市営として広島西飛行場を引き続き、運営する旨の方針を表明[11]、翌年3月市議会に「広島シティ空港条例制定案」を提出するが、市議会がこれを否決[12]。湯崎知事は3月8日の記者会見で「本会議で市営化を否決された場合は、市の重大な意思決定だと受け止める」として西飛行場を廃港し、市に提案していた県市共同運営のヘリポートに転換する手続きを早期に進めるとして[13]、3月14日には「テンプレート:PDFlink」を公布した。秋葉の後任として当選した松井一實は2011年5月27日の湯崎知事との会談で市営化断念とヘリポート化受け入れを表明し[14]、この時点で2012年末での廃港・ヘリポート化が事実上決着した。
その後、広島県は「テンプレート:PDFlink」を公布、広島西飛行場を広島ヘリポートとして運用することを決定、2012年11月15日午前0時をもって広島西飛行場としては廃港され、同時に広島ヘリポートとしての業務を開始した[15]。今後は滑走路北端を横切る広島南道路の工事の進み具合に合わせて敷地面積を縮小させ、並行してドクターヘリの拠点として出動に備える医師や看護師が待機、研修する拠点を2013年度末までに1億円かけて整備する予定である。
その他
- ターミナルビルの1階には、サンフレッチェ広島の事務所がある。
- かつてターミナルビルの2階には、展示室が設置されており、大小の飛行機模型やジェットエンジンのカットモデルなどが設置してあった。
- 広島空港~広島西飛行場であった当時は、構内を始終点とするバスが数多く運行されていた。ヘリポートとなった現在でも、近隣に三菱重工業の広島製作所(観音工場)があることなどから、構内を始終点とするバスが朝晩を中心に運行されている。
脚注・参考資料
- 広島西飛行場廃港へ 問われる県と市の連携 - 中国新聞社説2011年3月10日付
関連項目
外部リンク
- 空港振興課(広島県。広島西飛行場の公式サイト)
- 航空法による手続きについて(広島市。広島西飛行場の制限表面について記載あり)
テンプレート:Airport-info テンプレート:日本の空港
テンプレート:Airport-stub- ↑ JAL国内線 - 乗り継ぎのご案内
- ↑ 1993年当時で言えば、主力機であったB747,DC-10,L-1011等のジェットエンジンが三発、あるいは四発の航空機である。同空港は、最大で双発のB767までしか発着できなかった。
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:PDFlink - 広島市公式サイト
- ↑ 4.0 4.1 重点施策一覧 7 広島西飛行場の利用促進 平成21年度(2009年度)テンプレート:リンク切れ - 広島市公式サイト
- ↑ 広島県ホームページ知事記者会見(2007年(平成19年)10月17日)
- ↑ 2007年10月23日記者会見テンプレート:リンク切れ - 広島市公式サイト
- ↑ テンプレート:PDFlink - 国土交通省航空局(100ページに広島西飛行場)
- ↑ JALグループ、再生に向けた2010年度路線便数計画を策定 - 日本航空2010年4月28日付けプレスリリース
- ↑ 広島西飛行場「撤退」表明 県、年6億円赤字で市に 47news2009年10月22日
- ↑ 【社説】広島県・市トップ会談 飛行場 連携の第一歩に - 中国新聞2011年1月28日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 広島西飛行場が廃港へ 定期路線持つ空港で初めて -朝日新聞2011年3月9日付
- ↑ 広島西飛行場の廃港決まる - 中国新聞2011年3月9日
- ↑ 【社説】西飛行場廃港受け入れ 空港アクセス改善急げ - 中国新聞2011年5月28日付
- ↑ テンプレート:Cite web