幌別駅
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幌別駅(ほろべつえき)は、北海道登別市幌別町3丁目20にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。駅番号はH30。電報略号はヘツ。 駅名の由来はアイヌ語の「ポロ・ペツ(大きい川)」から。
市役所をはじめ同市の中心的施設はみな当駅の附近にあるため乗降客が多いが、優等列車はL特急「すずらん」のみが停車する。
歴史
- 1892年(明治25年)8月1日:北海道炭礦鉄道の駅として開業。一般駅。
- 1894年(明治27年)上期:砂利専用線約2.2km敷設[1]。
- 1899年(明治32年)12月8日:火災により焼失。
- 1902年(明治35年)9月1日:停車場を室蘭寄りに移転改築[2]。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、国有鉄道に移管。
- 1907年(明治40年)11月30日:小田良治により幌別鉱山シノマンベツから駅前までの9.6km間に馬車軌道敷設[3]。
- 1910年(明治43年)8月:幌別川上流まで砂利専用線敷設。
- 1927年(昭和2年)12月:幌別鉱山軌道に機関車が導入され軽便鉄道となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月:駅舎改築。
- 1951年(昭和26年)9月26日:北海道曹達(株)幌別工場操業開始。専用線1.6km運用開始[5]。
- 1954年(昭和29年):幌別鉱山軌道撤去[6]。
- 1957年(昭和32年)5月:西口開設[7]。
- 1978年(昭和53年)3月30日:橋上駅となる。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。
- 2002年(平成14年):北海道ジェイ・アール・サービスネットに駅業務を委託し直営駅から業務委託駅になる。
駅構造
単式・島式混合2面3線の地上駅である。配線の関係上、列車の待避は下りのみ可能となっている。大きな橋上駅舎を持っている。
業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネット、早朝夜間駅員不在)。みどりの窓口設置(営業時間6時55分 - 18時25分)。
利用状況
2011年度の1日平均乗車人数は737人である。
駅周辺
- 国道36号
- 道央自動車道登別室蘭インターチェンジ
- 登別市役所
- 室蘭警察署登別西駐在所
- 登別郵便局
- 室蘭信用金庫幌別支店
- 伊達信用金庫幌別支店
- 北海道銀行登別支店
- 伊達市農業協同組合(JA伊達市)登別支所
- 登別記念病院(2004年(平成16年)1月19日診療開始)[8]
- 登別市立幌別小学校
- 登別市立幌別西小学校
- 登別市立幌別東小学校
- 登別市立幌別中学校
- 登別市立西陵中学校
- 北海道登別青嶺高等学校
- 北海道登別明日中等教育学校
- 刈田神社(平安時代ころの創建)
- 登別市民会館
- 幌別ダム
- 登別市郷土資料館
- 胆振幌別川
- 来馬川
- 道南バス「幌別西口」停留所
- 道南バス・北海道中央バス「幌別中央」停留所
隣の駅
脚注
関連項目
テンプレート:室蘭本線2 テンプレート:北海道ジェイ・アール・サービスネット業務受託駅
- ↑ 北海道炭礦鉄道会社 第十回営業報告。
- ↑ 市史ふるさと登別 上巻 昭和60年発行。旧位置は現在地より登別駅寄りの現・幌別町5丁目20辺りであった。鉄道局年報では幌別・輪西間が明治34年7M77Cから同35年7M36Cへ41C(約800m)の移動となっている。市街地から離れていたので不便を感じていた市民有志から、明治32年の火災を機に移転の要請が北海道炭礦鉄道に出されていた。
- ↑ 市史ふるさと登別 上巻及び資料編 昭和60年発行より。1909年(明治42年)に旭坑までの14.2kmに延長。後に小田良治は隣接する硫黄鉱山も買収して北海道硫黄(株)を設立し、幌別鉱山をその傘下とした。
- ↑ 市史ふるさと登別 上巻 昭和60年発行によると、5t蒸気機関車1台、6t蒸気機関車1台、6tガソリン機関車1台の計3台運用。
- ↑ 昭和26年版~58年版 全国専用線一覧。総延長3.7km。
- ↑ 胆振線久保内駅へ索道を介したトラック輸送に切り替えられたため。
- ↑ 市史ふるさと登別 上巻より。一方、国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの1948年や1953年の米軍撮影航空写真 USA-R249-36/USA-M228-72では、既に跨線橋が西口まで伸び、建家も確認できる。
- ↑ “リハビリ科を新設 登別記念病院 19日に診療開始”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年1月16日)