ムーンライト信州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(山男列車から転送)
テンプレート:列車名 ムーンライト信州(ムーンライトしんしゅう)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が主に新宿駅 - 松本駅・信濃大町駅・白馬駅間を中央本線・篠ノ井線・大糸線経由で運行している臨時夜行快速列車である。
本項では、中央本線東京駅 - 塩尻駅間(中央東線)で運転されていた夜行快速列車・普通列車の沿革についても記述する。
目次
概要
2002年12月1日ダイヤ改正で運転開始された臨時快速列車で、同改正で廃止された急行「アルプス」代替としての役割も担っている。
運行概況
テンプレート:節stub 臨時列車であることから主に多客期に運転されており、下り新宿駅→信濃大町駅間の83号は2006年の夏は金曜日に運転された。
上り列車は定期列車であった急行「アルプス」時代から利用が少なく、2010年現在で年2回上諏訪駅近くで開催される花火大会の実施当日深夜(終了後)のみの運転である。
- 2009年までは茅野駅 - 大月駅間を有効時間帯とするダイヤが設定された[1]。
- 2010年は既存ダイヤを一部変更した90号と続行列車として小淵沢駅や甲府駅といった途中主要駅のみに停車する92号が運転された[2]。
停車駅
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
使用車両・編成
全車両座席指定席を採用。
- かつて夏季は9両でグリーン車を連結し普通車もグレードアップ車中心の幕張車両センター所属C編成も投入されていたが、2008年春のダイヤ改正以降は幕張車が「中央ライナー」からの撤退に伴い、現在は原則長野総合車両センター所属の普通車6両のN編成で運転される。
- 長野所属車が投入できない場合は豊田車両センターのM50編成で代走となるが、車両運用の都合で幕張所属の旧「あずさ」色マリ31・32編成が投入された実績もある。また2006年3月24日・31日には、長野車の検査と豊田・幕張車によるほかの臨時列車運用が重なったため田町車両センター所属で国鉄色のH61編成が投入された。
- 長野所属車は旧「あさま」色編成。簡易リクライニングシートの6号車以外(N101編成は1号車も該当)はグレードアップ車と同じ改良座席に交換されている。
- 豊田所属車は1号車 - 3号車が改良座席車でが4号車 - 6号車簡易リクライニングシート、田町所属車は6号車のみグレードアップ車で他は簡易リクライニングシート車となる。
- E257系
- 2007年8月15日は「ムーンライト信州92号(諏訪湖花火大会号)」として運転され、松本車両センター所属のあずさ用E257系11両編成が投入された。これは通常充当される幕張所属の183系が臨時あずさ号で運用され車両が不足したため。
- 2008年3月28日の81号と2009年夏季の一部列車はE257系9両で運転された。
- E351系
- 2008年の諏訪湖花火大会でも例年通り92号が運行されたがE351系12両編成が投入された。午後に下り臨時スーパーあずさで松本へ送り込み夜にムーンライト充当とした[3]。
その他の列車
「ファンタジー舞浜」
2002年7月に東京駅 - 穂高駅間で快速「ルンルン舞浜」として運転を開始。同年12月に「ファンタジー舞浜」とし、下りが夜行列車、上りは昼行列車として運転された。183・189系の6両編成で1号車が女性専用車両である。
- 1990年から1997年まで169系による舞浜駅 - 長野駅間を信越本線・高崎線・武蔵野線・京葉線経由で運行する夜行快速列車の名称であった。この列車は、全列車停車が原則の横川駅で客扱いしない列車であった。
ベイドリーム横濱
2008年9月13日・14日に横浜線開業100周年記念として臨時快速「ベイドリーム横濱号」が磯子駅・桜木町駅 - 松本駅・白馬駅間で運転された。
- 下りは夜行、上りは昼行で運転。
- 八王子駅までは横浜線経由で中央東線内はムーンライト信州のダイヤで設定された。
中央東線夜行快速・普通列車沿革
中央東線では1993年12月まで主に登山客向けの夜行普通列車が設定されていた。
戦前
- 1906年(明治39年)6月:中央本線の昌平橋駅[4] - 塩尻駅間(中央東線)が全通。
- 1911年(明治44年)5月:塩尻駅 - 名古屋駅間(中央西線)が全通し、飯田町駅 - 名古屋駅間に東西直通運転の始まりとなる直通夜行列車705・706列車を設定。
- 1913年(大正2年)4月:飯田町駅 - 長野駅間に夜行列車1往復を新設。
- 1921年(大正10年)6月:二等寝台車を連結開始。
- 1922年(大正11年)3月:飯田町駅 - 長野駅間の夜行列車を2往復に増発。ただし増発列車に寝台車は不連結。
- 1923年(大正12年)7月:3往復に増発。
- 1927年(昭和2年)1月:2往復に削減。
- 1931年(昭和6年)7月:飯田町駅 - 甲府駅間に臨時の夜行列車を下り1本新設。
- 1933年(昭和8年)9月:飯田町駅の旅客営業が廃止。長距離列車は新宿駅始発となる。
- 1934年(昭和9年):甲府駅 - 名古屋駅間の長距離列車を新設。
- 1938年(昭和13年)2月:中央本線経由の新宿駅 - 名古屋駅間直通列車は一旦消滅。
- 1944年(昭和19年)4月:新宿駅 - 長野駅間列車の寝台車連結を廃止。
- 1945年(昭和20年)6月:戦時体制の悪化により新宿駅 - 長野駅間列車を1往復に削減し下り夜行・上り昼行とする[5]。新宿駅 - 名古屋駅間の直通列車[6]が下り昼行・上り夜行で復活する。
戦後
- 1950年(昭和25年)10月:中央東線の夜行普通列車が新宿駅 - 長野駅間1往復の407・408列車となる[7]。
- その後に世情が落ち着くにつれて短距離の登山客向け臨時夜行列車が設定された[8]。
- 1972年(昭和47年)3月 - 11月:中央東線下り夜行列車の最盛期である。
- 定期普通列車425列車(419列車を改番)のほかに臨時の夜行普通列車は甲府駅・上諏訪駅・河口湖駅などへゴールデンウィーク中に3 - 5本、更に急行「アルプス」「たてしな」が定期2本・臨時7本程度設定された。
- 上りは定期普通列車である426列車(418列車を改番)のほか急行「アルプス」が定期1本・臨時1本のみ。
- 1975年(昭和50年)3月:ダイヤ改正で425・426列車は電車化されて441M・442Mとなる。
- 1985年(昭和60年)3月:442M廃止。441Mが上諏訪止りとなる。
- 1992年(平成4年)3月:441Mが1521M甲府行きとなる[9]。
- 1993年(平成5年)12月:1521Mを廃止[10]。以後は松本行き臨時快速8421Mなどが運転されたこともあったが1998年5月を最後に運転が終了。
- 2002年(平成14年)7月:東京駅 - 穂高駅間で快速「ルンルン舞浜」の運転開始。同時に115系を使用した新宿駅 - 松本駅・白馬駅間で臨時快速列車も運転。同列車は秋シーズンには松本電車区所属の「あずさ」用183・189系に置換え全車指定席とし新宿駅 - 長野駅・白馬駅間を「しらかば白馬」「しらかば長野」「しらかば新宿」の愛称で運転。
- 2002年12月1日:ダイヤ改正で急行「アルプス」廃止。「ムーンライト信州」を運転開始。「ルンルン舞浜」を「ファンタジー舞浜」に改称。
脚注
関連項目
- ↑ 大月駅には1:50到着し1時間10分停車で3:00に発車。次の猿橋駅でも1時間の運転停車をしていた。
- ↑ 90号は甲斐大和駅で、92号は塩山駅でそれぞれおよそ2時間20分の運転停車をするため大月駅には早朝4時台の到着としたほか、この年から茅野駅が通過に変更された。
- ↑ 9月の新作花火大会でも同様の運用となるがE257系が投入されたため通常のあずさとして運転。
- ↑ 神田駅 - 御茶ノ水駅間にあった仮駅。
- ↑ 廃止された夜行1往復は以後も復活・廃止を繰り返す。
- ↑ 後に再び塩尻駅を境に中央本線の直通列車は系統分割される。
- ↑ そのほかにも準急列車が設定されており以後比較的長距離のものは準急・急行として増発されるようになった。
- ↑ 多くの登山客は週末に登山することから下り往路は夜行で帰りは昼行列車を使用する事が多かった。例として1956年10月では定期419・418列車(407・408列車から改番)のほかに上り夜行普通列車は存在しないが、下りは長野駅・松本駅・甲府駅・富士山麓電鉄大月河口湖線(現・富士急行富士急行線)直通河口湖駅などに6本の臨時列車が設定されていた。また臨時準急も新宿駅 - 松本駅間に1往復存在した。
- ↑ しかし実際には2:25の甲府到着後は、そのまま甲府4:00発松本行き普通列車となり旅客は乗り通す事が可能であった。このため新宿では「甲府〔松本〕行」と案内された。
- ↑ ほぼ同時刻に東京発大月行の通勤電車を新設し終電機能を代替。