室蘭駅
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テンプレート:駅情報 テンプレート:駅情報 室蘭駅(むろらんえき)は、北海道室蘭市中央町4丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線(支線)の駅で、室蘭支線の終着駅である。駅番号はM36。電報略号はムロ。
駅構造
- 頭端式1面2線の地上駅。
- 東室蘭駅管理の業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネット、早朝と夜間は駅員は不在である)。
- みどりの窓口設置(営業時間7時20分 - 19時00分)。夜間(20時30分 - 7時10分)は待合室が締め切りになる。
利用状況
2010年度の1日平均乗車人数は611人である。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2006 | 545 |
2007 | 549 |
2008 | 548 |
2009 | 573 |
2010 | 611 |
駅周辺
かつては付近に丸井今井室蘭店があり、賑わっていたが、その後東室蘭に移転し、市街地の中心も東室蘭地区に移った(丸井今井室蘭店は現在閉店)。
- 満冏寺(江戸時代に開山)
- 北海道道699号室蘭港線
- 国道36号(室蘭新道)
行政・公共施設等
- 胆振総合振興局庁舎
- 室蘭市役所
- 室蘭警察署室蘭駅前交番
- 室蘭郵便局
- 室蘭幸町郵便局
- 北海道労働金庫室蘭支店
- 室蘭信用金庫本店
- 北洋銀行室蘭中央支店
- 北海道銀行室蘭駅前支店[1]
- 室蘭漁業協同組合
- NHK室蘭放送局
- 室蘭税務署
- 室蘭年金事務所
- 室蘭地方気象台
- 市立室蘭総合病院
- 入江運動公園(室蘭市入江運動公園陸上競技場)
商業施設
- 室蘭太陽ビル(コープさっぽろ驛前店などが入店)
観光
バス路線
道南バスの室蘭市内線や高速バスが発着。路線は#室蘭市内線、#都市間バスを参照。札幌市方面の高速バスは北海道中央バスも運行する。路線は高速むろらん号を参照
歴史
- - 移転地域の運用ができるまで、エトスケレップ桟橋と移転地域に作られた仮桟橋を使用して石炭船積みを行う。[3]
- 1893年(明治26年)10月1日 - 日本郵船が青森-函館-室蘭の3港連絡定期航路開設。(一応船車連帯輸送ではあったが、連絡船用の艀桟橋は海岸町にあったので、輪西の初代・室蘭駅までは徒歩や馬車での移動で時間や手間がかかり不便であった。)
- 1897年(明治30年)7月1日 - 2代目・室蘭駅移転開業。仏坂下に停車場及び駅舎(初代駅舎)が置かれる。これまでの初代・室蘭駅は輪西駅(移転前の現・東室蘭駅の事で、後にほぼ同位置に現・輪西駅が開設)に改称。[3]
- 1898年(明治31年) 上期 - 機関車庫が新設。それまでは輪西駅の設備を流用[7]。
- 1903年(明治36年) - 同構内の海岸町に貨物駅が置かれ、仏坂下の2代目・室蘭駅が旅客駅となる。
- 1904年(明治37年)
- 1906年(明治39年)
- 1911年(明治44年)11月 - 石炭船積用の高架桟橋(長さ579m、満潮水面高19m、幅上部17m)設置。[3][9]
- 1912年(大正元年) - 海岸町内で駅舎移転新築(現在の旧室蘭駅舎・3代目駅舎)。
- 1913年(大正2年)6月2日 - 室蘭機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。
- 1914年(大正3年)11月 - 扇形機関庫新設。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 青蘭定期航路から日本郵船が撤退し、室蘭有志の陳情により北日本汽船会社の運用に変更。(なお、駅付属の船車連絡待合所は後に民間に売却され、1928年(昭和3年)に道路を隔てた向かい側に移転した。また、鉄道院は自前の青函航路の連帯輸送を優先させ、青蘭航路の連帯輸送に制限を加えた。[10])
- 1934年(昭和9年)12月7日 - 第1期水陸連絡設備工事竣工。陸上高架桟橋、1号・2号貯炭場、トランスポーター(橋形クレーン)、ローダー等石炭船積設備設置。[11]
- 1936年(昭和11年)2月 - 高架桟橋撤去。[3]
- 1950年(昭和25年)2月10日 - 室蘭客貨車区設置。
- 1953年(昭和28年)4月27日 - 中央埠頭(市営)への引込み線増設。(中央埠頭拡張整備の一環)
- 1959年(昭和34年)3月31日 - 第2期水陸連絡設備工事竣工。高架桟橋跡にドルフィン及び3号貯炭場設置。[11]
- 1960年(昭和35年)5月10日 - 当駅 - 西室蘭間の貨物支線(公共臨港線)開業。
- 1969年(昭和44年)11月 - 石炭貨物取扱い廃止[11]。
- 1970年(昭和45年)11月20日 - 室蘭客貨車区廃止。
- 1971年(昭和46年) - 石炭荷役機械設備撤去完了[11]。
- 1977年(昭和52年)7月22日 - 貨物取扱い廃止。
- 1979年(昭和54年)3月 - 3代目駅舎改修。
- 1982年(昭和57年)3月9日 - 構内石炭埠頭跡地売却。(後に入江運動公園)
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 当駅 - 西室蘭間の貨物支線廃止。荷物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)7月 - 旧駅舎が登録有形文化財に指定。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 駅業務を「日交観北海道」(現・北海道ジェイ・アール・サービスネット)に委託。
- 2008年(平成20年)4月30日 - キヨスクが閉店。
- 2010年(平成22年)10月 - 旧駅舎が準鉄道記念物に指定。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道
- 室蘭本線
- 母恋駅 (M35) - 室蘭駅 (M36)
写真集
- Muroranst 02.jpg
駅舎内(2007年7月)
- Muroran station Platform 20120902.jpg
ホーム(2012年9月)
- 室蘭駅母恋方.JPG
母恋方を望む(2007年10月)
- 室蘭駅構内車止め.jpg
1番線の車止め(2007年10月)
脚注
- ↑ 同支店は、元は輪西駅近隣に所在した旧輪西支店だが、室蘭支店旧所在地にブランチインブランチで移転し、その後室蘭支店が東室蘭地区に移転し単独店舗となったため、現店舗名に変更。
- ↑ 北海南門之鎖鑰(明治27年)室蘭大観(明治42年)等ではイトツケレップとしているが、ここでは北海道炭礦汽船70年史、北海道鉄道百年史の記述に従う。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 北海道炭礦汽船70年史 昭和33年発行
- ↑ 新室蘭市史 第3巻 P118、「室蘭港實地繪圖」川瀬善一編著 明治25年10月発行等
- ↑ 海軍省から鎮守府予定地指定や軍港指定を受ける以前の明治22年に、北海道庁から派遣されたイギリス人の港湾技師C.S.メイク(en:Charles Meik)により、①要求されている年間最低60万トンの石炭搬出のためには非常に大規模な設備を要するため、市街地ではその土地を求めるのが困難であること。②市街にまっすぐ向かうには2つのトンネルが必要となり、その費用が節約できること。以上から「エトスケレップとして知られている岬の近くで鉄道を終点とするのが鉄道技師の意向であるように思われます。」と上申しており、加えて北海道炭礦鉄道は運炭が主業務であり旅客扱いは「副次的」(北海道炭礦汽船70年史)であったことから、エトスケレップに室蘭駅を設けたのは、軍港指定により変更したのではなく当初からの計画であった。
- ↑ 後に室蘭に鎮守府を置く計画は廃止された。
- ↑ 北海道炭礦鉄道会社 第十八回営業報告。流用に関しては外部リンク:「明治30年5月15日 北海道炭鉱鉄道株式会社室蘭延長線の内室蘭停車場等を仮に建設し運輸営業開始の件」P9 文中但し書き参照。後に輪西駅の機関車庫1棟は白老駅へ移設。
- ↑ 輪西-室蘭間 2M45Cから2M71Cへマイル改程(約+0.52km)。 鉄道局年報 明治36年度および明治37年度より。
- ↑ 沿線炭礦要覧 札幌鉄道局 昭和12年発行
- ↑ 新室蘭市史 第2巻 昭和58年発行 P434
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 札幌工事局70年史 昭和52年発行
- ↑ JR時刻表 1997年10月号
- ↑ “きょうから10月 室蘭見つめ85年 木造駅舎が引退”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年10月1日)
関連項目
外部リンク
- 室蘭駅構内図(JR北海道)
- 室蘭市旧室蘭駅舎 - 北海道文化資源DB
- 函館市中央図書館デジタル資料館より明治・大正・昭和初期の室蘭駅
- 御崎の桟橋 明治 初代室蘭駅から伸びていた北海道炭礦鉄道の石炭積出用桟橋で、右の島の名前からエトスケレップ桟橋と呼ばれていた。鉄道国有化後には北海道炭礦汽船所有の自社石炭船積埠頭として使用され、系列会社の日本製鋼所も利用した。
- 海岸町の駅舎(2代目)と駅前(移転改築前)明治 右は船車連絡待合所。
- 同上(上方より俯瞰)明治
- 室蘭駅構内(扇形車庫建設前)明治 中央左手正面が移築前の室蘭駅駅舎とカーブ状のホーム、その右の黒い建屋が貨物駅。旧機関車庫は右手平屋、手前に炭水所と転車台が設置されている。初代の駅舎とホームは、仏坂トンネルに近いこの炭水所の位置に置かれていた。
- 海岸町の駅舎(3代目)と駅前(移転改築後)大正 西室蘭へ貨物線を延伸するために、駅前通りに正対するように直されている。
- 同上(上方より俯瞰)昭和初期 西室蘭方に線路が伸ばされ、埠頭寄りの貨物駅へは踏切の他に歩道橋が設置されていて、丁度そこを機関車が通り抜けている。
- 扇形車庫建設中 大正初頭
- 高架桟橋建設中 明治末
- 高架桟橋 大正
- 室蘭駅構内貯炭場と繋船岸壁及び橋形クレーンとそれに重なって正面奥に高架桟橋 昭和10年頃
- 室蘭駅構内 昭和初期
- 西室蘭方面の倉庫に伸びる貨物線 大正 右は主に木材を扱っていた駅舎裏手の拓殖(拓計)埠頭で、後の中央埠頭。
- テンプレート:アジア歴史資料センター
添付図に初代室蘭駅(図中「室蘭仮停車場」と記載)と構内配線及びエトスケレップ桟橋の詳細位置、延長先の埋立及び新桟橋計画図(ただし2代目室蘭駅の位置は記されていない)。国立公文書館デジタルアーカイブ。 - テンプレート:アジア歴史資料センター P14-21に「室蘭延長線室蘭停車場之図」仏坂下の2代目室蘭駅計画図。国立公文書館デジタルアーカイブ。
- 鉄道国有始末一斑 逓信省 明治42年発行、明治39年の国有化にあたっての調査報告書。P113-116に仏坂下から海岸町へ移転した後の構内配線図。ホームは頭端櫛型だが片側がカーブ状になっていて配線上から旅客扱いは反対側片面だけ使用と推定される。その道路側に留置線1本も認められる。後に駅舎の位置が変わり、頭端部が開いて西室蘭側に突き抜けた。国立国会図書館 近代デジタルライブラリー。
- 室蘭市街之図 明治44年 輪西駅-室蘭駅までの敷設状況が記載。高架桟橋はまだできておらず、石炭船積みに御崎のエトスケレップ桟橋が重要な役割を果たしていた事がわかる。国立国会図書館 近代デジタルライブラリー。
- 工都室蘭 1934年(昭和9年) 石炭積出設備が増強された頃の室蘭鳥瞰図。北海道立図書館 北方資料デジタル・ライブラリー。