嬉野温泉

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嬉野温泉(うれしのおんせん)は佐賀県嬉野市嬉野町(旧国肥前国)にある温泉武雄温泉と並び県を代表する温泉である。 なお、「日本三大美肌の湯・嬉野温泉」、「佐賀・嬉野温泉」の名称は嬉野市により商標登録されている。

泉質

  • ナトリウム - 炭酸水素塩・塩化物泉

美肌に効果がある重曹泉で、入浴した後につるつる感がある。その泉質は中央温泉研究所と藤田聡によって「日本三大美肌の湯」に選ばれている(残り2つは斐乃上温泉喜連川温泉)。

温泉街

町の中心地に湧く温泉地で、九州でも有数の大温泉街である。嬉野川を挟んで大小50軒近くの旅館が軒を並べ、その中には第38回全国植樹祭の際に昭和天皇が宿泊した和多屋別荘等がある。また、嬉野の中で最も古い旅館は天保元年に創業した旅館大村屋といわれる。商店街中心部の足湯広場には、「シーボルトの足湯」があり、無料で利用できる。そのほど近くには大正13年ドイツ人の設計で造られた公衆浴場「古湯」があったが、老朽化と2005年3月20日に発生した福岡県西方沖地震の影響により取り壊された。しかし、2010年4月1日に、当時の設計通りに建て直され、新名称「シーボルトの湯」として再開された。

美肌の湯とも呼称される嬉野温泉は、飲用にも適しており、中でも温泉を使って炊いているという温泉湯豆腐は嬉野を代表する名物である。また、嬉野市においては「湯どうふ」として表記されており、『嬉野温泉湯どうふ』の名称は嬉野市により商標登録されている。

歴史

歴史は非常に古く、神功皇后の西征にまで遡る。その帰途に白鶴を見付けたが、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あな、うれしや」と感歎された。この語が転訛して「あなうれしや」と感想を述べたという。嬉野という地名は、この逸話に因み、嬉野は元々「うれしや」と呼ばれていたとされる(温泉組合では「うれしいの」が嬉野となったと記述されており、由来に諸説がある)。

また、和銅七年に記された肥前国風土記には万人の病を治す名湯として嬉野の名が挙がっている。

江戸時代には長崎街道宿場町として栄え、多くの往来があった。その中で『和漢三才図会』や『江戸紀行』などに嬉野温泉の様子が記され、この頃から歓楽温泉としても知られていたようである。

戦後は西の別府といわれるほど歓楽温泉として名を馳せた。だが、各の温泉旅館は風格が調っており、それぞれが趣を持った風呂を持っている。また、イベントも多く実施されているが、他の温泉地と比較すると、新たな施設の投入は少ない方である。

嬉野市旧嬉野町では、古くからが栽培されている。そのため、嬉野市や観光協会では、「お茶といで湯の」温泉地であることを積極的に宣伝しており、両者を結びつけた様々な取組みも行っている。

アクセス

ファイル:Ureshino Onsen Tofu.jpg
<center>名物の湯豆腐

関連項目

外部リンク

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