無量寿経
テンプレート:JIS2004 『無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。 原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(テンプレート:Lang-sa-short)で、「極楽の荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。
なお漢字制限(当用漢字・常用漢字・教育漢字)により現表記となる。
概要
サンスクリット原典、チベット語訳、漢訳が現存する。 日本では特記が無い限り『無量寿経』というと、康僧鎧の訳とされる『仏説無量寿経』の事をさす。
漢訳
漢訳[1]は、12訳あったといわれ、現在に伝わっているものとして、5つの訳本が現存し、7つの訳本は、欠本になっている。五存七欠十二訳と呼ばれる[2]。現存するうち、「漢訳[1]」・「呉訳」・「魏訳」の訳者に関しては諸説ある。
仏説無量清浄平等覚経
仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経
- 『大正蔵』第12巻 P300~P317。
- 原文の経題の表記は、『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷上』、『佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷下』 呉月支國居士支謙譯。
- 別称には、『大阿弥陀経』がある。
- 後漢の支婁迦讖訳とする説もある。
- 阿弥陀仏の本願は、「四十八願」ではなく、「二十四願」である。
- 主な引用先…源信…『往生要集』、法然:『選択集』、親鸞:『教行信証』。
仏説無量寿経
- 漢訳のうち日本の浄土教諸宗において主に用いられるのは、康僧鎧が訳したとされる『仏説無量寿経』2巻である。浄土教諸宗において「無量寿経」といえば、特に注意書が無い場合は、康僧鎧訳の『仏説無量寿経』を指す。
- 上下巻の2巻からなるため『双巻無量寿経』(『雙巻無量壽經』)、『双巻経』(『雙巻經』)とも呼ばれる。また、経名に「大」の字を冠して『大無量寿経』と称し、略して『大経』とも称する。[3]。
- 日本の浄土教の根本聖典の一つで、『仏説観無量寿経』(畺良耶舎訳)、『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)とともに「浄土三部経」と総称される。
- 浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、この経典を特に重んじ、、浄土真宗の最重要経典である。また「浄土三部経」の中でも、『大無量寿経』を根本経典と位置付けている。
- 『大正蔵』第12巻 P265~279。
- 原文の経題の表記は、『佛説無量壽經卷上』・『佛説無量壽經卷下』 曹魏天竺三藏康僧鎧譯。
- 訳者に関しては、様々な説がある。一般の経典には、「曹魏天竺三蔵康僧鎧訳」と書かれている。
- 「魏訳」の特徴として、「自然」「無為」「清浄」など、曹魏・西晋時代の老荘ないし道教と共通する用語が多く見え、それらの影響が強く反映されている。
内容
- 上巻
序分に王舎城の耆闍崛山において、優れた比丘や菩薩たちに対して、釈尊が五徳の瑞相をあらわし説かれた。
正宗分には、ある国王が世自在王仏のもとで出家し法蔵菩薩と名乗り、偈文(「讃仏偈」)を作り師を讃嘆し、諸々の仏の国土の成り立ちを見せて欲しいと願いを述べ、その仏国土より優れた点を選び取り、発願(ほつがん)し、五劫の間思惟して行を選び取った。 願と行を選び取った法蔵菩薩は、師に向かい48の願(四十八願)を述べた。 続けてこの願の目的を述べ重ねて誓った(「重誓偈(四誓偈・三誓偈)」)。 そして兆戴永劫にわたり修行し、願が成就し、無量寿仏(阿弥陀仏)と成り、その仏国土の名が「極楽」であると説かれる。 願が成就してから十劫が経っていて、阿弥陀仏の徳とその国土である「極楽」の様子が説かれる。
- 下巻
極楽浄土に生まれたいと願う者は皆、仏になることが約束され、阿弥陀仏の名号を聞信し喜び、心から念ずれば往生が定まると説かれる。 その者たちは、上輩・中輩・下輩に分けられ、それぞれの往生の方法が説かれる。修行もやり遂げられない、善行も戎も守りきれない下輩の者は、たとえわずかな回数でも、一心に念ずれば往生がさだまると説かれる。 そして釈尊は、偈文(「東方偈〈往覲偈〉」)を読み、教えを聞き、阿弥陀仏を敬い、「極楽」への往生を勧める。 さらに浄土に往生した聖なる者たちの徳を説かれる。 次に釈尊は弥勒菩薩に対して、煩悩のある世界(穢土)に生きる衆生の苦しみの理由を、三毒(貪欲〈とんよく〉・瞋恚〈しんい〉・愚痴)・五悪(殺生〈せつしよう〉・偸盗〈ちゆうとう〉・邪淫〈じやいん〉・妄語〈もうご〉・飲酒〈おんじゆ〉)によると示し、誡める。 続けて弥勒菩薩に、そのままではその苦しみから逃れられない事を説き、「極楽」に往生する事が苦しみから逃れる方法であると説かれる。 それは、ただ無量寿仏の名を聞いて、たった一度でも名を称えれば(念仏)すれば、功徳を身に供える事ができると説いた。この教えを聞いたものは、後戻りする事は無い(必ず往生できる)と説かれる。
流通分には、無上功徳の名号を受持せよとすすめ、時が流れ一切の法が滅しても、この経(『無量寿経』)だけは留めおいて人々を救いつづけると説かれる。
無量寿如来会
仏説大乗無量寿荘厳経
- 『仏説大乗無量寿荘厳経』3巻 宋の法賢(ほっけん)訳…「宋訳」
- 『大正蔵』第12巻 P318~P326。
- 原文の経題の表記は、『佛説大乘無量壽莊嚴經卷上』、『佛説大乘無量壽莊嚴經卷中』、『佛説大乘無量壽莊嚴經卷下』 西天譯經三藏朝散大夫試光祿卿 明教大師臣法賢奉詔譯。
- 略称は、『荘厳経』が用いられる。
- 阿弥陀仏の本願は、「四十八願」ではなく、「三十六願」である。
欠本とされている7つの異訳本
- 『無量寿経』2巻 後漢の安世高訳とされる。
- 『仏説無量清浄平等覚経』2巻 曹魏の白延訳とされる。
- 『仏説無量寿経』2巻 西晋の竺法護訳とされる。
- 『仏説無量寿至真等正覚経』1巻 東晋の竺法力(じくほうりき)訳とされる。
- 『新無量寿経』2巻 東晋の仏陀跋陀羅訳とされる。
- 『新無量寿経』2巻 東晋の宝雲(ほううん)訳とされる。
- 『新無量寿経』2巻 劉宋の曇摩蜜多(どんまみった)訳とされる。
注釈書
- ヴァスバンドゥ(世親・天親)造・菩提留支訳 『無量寿経優婆提舎願生偈』(『浄土論』) - 2024年現在、菩提留支による漢訳が現存するのみで、サンスクリット語の原典は発見されていない。
- 曇鸞註解 『無量寿経優婆提舎願生偈註』(『浄土論註』) - 『浄土論』の注釈書。
- 憬興(璟興)撰 『無量寿経連義述文賛』 - 親鸞撰 『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)において多く引用される。
経典成立時期と編纂者
「仏説[5]」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる[6]。(詳細は、大乗仏教#「大乗非仏説」論を参照)。
- 成立時期などに関する諸説
- 仏典研究上では、阿弥陀仏に対する信仰は、客観的な資料がとぼしく諸説[7]存在するが、インドおよび近隣諸国の思想の影響下、「釈尊観の展開によるとする説」が有力である。原始仏教以来の釈尊観の発展、および『無量寿経』の法蔵菩薩説話における仏伝の投影から、浄土教は大乗仏教が伝播するに伴う菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開としたものと考えられる。
脚注
参考文献
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- 信楽峻麿「阿弥陀仏論」(龍谷大学仏教文化研究所 編『仏教文化研究所紀要』第20集、1982年3月
- 信楽峻麿「現代真宗真偽論」(真宗連合学会 編『真宗研究』2002年1月)
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関連項目
外部リンク
- 大正新脩大藏經…『大正新脩大藏經』のオンライン検索(テキストデータによる閲覧)
- 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー…『大正新脩大藏經』と入力検索すると、同書が写真により閲覧ができる。
- 本願寺派聖典
- 聖教電子化研究会 (冒頭~) ・(第十八願の部分)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 漢訳…ここでは『仏説無量清浄平等覚経』4巻のことを「漢訳」と略称する。後漢の時代の訳の意。
- ↑ 「『無量寿経』の漢訳は、古来「五存七欠」の十二訳があったといわれているが、実際にそれだけの翻訳があったかどうかは疑わしい。」(『新訂 仏教学概論』p150、浄土宗、2004)
- ↑ 『大無量寿経』…法然『選択本願念仏集』、親鸞『顕浄土真実教行証文類』などで『大無量寿経』の語を用いている。(『選択本願念仏集』岩波文庫、P.168、『教行信証』岩波文庫、P.29を参照。)
- ↑ 唐の菩提流志(ぼだいるし)…北魏の菩提流支とは別人
- ↑ 仏説…仏教の教義。また特に、釈迦が自らの口から直接説いた教え。(『大辞林』第二版より)
- ↑ 『仏教学辞典』 法藏館、1995年、新版、P.317「大蔵経」を参照。
- ↑ 成立時期の諸説…なおまた、この阿弥陀仏思想が、いつごろ、どのようにして成立したかについては、それを解明する客観的な資料がとぼしく、種々の問題が残るところである。しかし、現在にいたる研究成果によれば、この阿弥陀仏思想は、大乗仏教興起の初頭、1世紀のころに成立したものと考えられ、またその成立事情については、多くの異説が存在するが、それらを整理すると、インド以外の外来思想に基づくとする説、インドのヴエーダ神話に基づくとする説、仏教内の神話に基づくとする説、および釈尊観の展開に基づくとする説がある。その中でも最も妥当な見解としては、インド内外の諸思想の影響を認めつつも、基本的には、釈尊観の展開によるとする説であろう。すなわち、原始仏教以来の釈尊観の発展や、法蔵菩薩説話における仏伝の投影などからすれば、この阿弥陀仏思想は、基本的には、大乗仏教における菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開として、生成、発展してきたものと理解されるのである。(信楽峻麿「阿弥陀仏論」より引用)
- ↑ 「浄土教は部派仏教小乗仏教がいちおう確立したのちに出現したものであることは違いない。浄土経典の成立の中に出て来る仏教術語は、部派仏教のものをとり入れ、それを前提にしている。(『浄土三部経』下P.249より引用)