菩薩
菩薩(ぼさつ)、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]) の音写は、仏教において一般的に成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことを指す。菩提薩埵とも音写される。
後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象ともなっていった。
概要
梵名ボーディ・サットヴァのbodhiとは漢訳「菩提」であり、[1] sattvaとは「生きている者」の意味で衆生や有情と意訳された。菩薩という用語が仏教成立以前から存在したか否かについての定説はないが、仏教で初めて菩薩という用語が用いられたのは釈迦の前世譚(ジャータカ)であり、釈迦が前世で辿りついた境地の意味だったとする説が有力である。
やがて仏教では、仏教成立以前から存在したとされる声聞や縁覚とともに、修行段階を指し示す名辞として用いられたが、その意味範疇は次第に多義化していった。その多義化はむしろ大乗仏教で盛んであり、華厳教学などは成仏を逃れた者も含めて、すべての修行者を菩薩とした。[2] これは華厳の蓮華蔵荘厳な無差別平等の世界観に基づくものと捉えられる。[3]
一方で、菩薩ではなく菩薩摩訶薩と、摩訶薩(偉大な衆生)を付加して菩薩を差別化する経典がみられる。[4] また、玄奘訳の般若心経には前段に「菩薩」、後段に「菩提薩埵」と音写した2種の訳語が使い分けられている。大部の経典である『大般若波羅蜜多経』にも菩薩摩訶薩とは別に、僅かだが菩提薩埵の訳語が6箇所で見られる。
般若心経にこのような用語が使われているのは漢訳における語源学的解釈(訓釈、nirukti)で、意図的に〈菩提+薩埵〉と分割したという説[5]が提起されているが定説ではない。
菩薩五十二位
菩薩の概念の広義化にともない、[6] 菩薩の階位が設けられた教学もある。これは大乗仏教の発展とともに細分化、構造化されたが、経論によって所説が種々不同になった。『華厳経』及び『菩薩瓔珞本業經』では、菩薩の境涯、あるいは修行の階位は、上から妙覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信の52の位にまで分けられ、この52位を採用することが多い。
今日では、この菩薩五十二位説に触れる仏教の解説書が多いが、歴史的には「別教」とされるもので、大乗起信論などとともに通教的にはむしろ異端視されたことに注意を要する。[7] また、十地は経典編纂の際に編入されたとする説がある。[8]
- 妙覚(みょうかく)
- 菩薩修行の階位である52位の最後の位で、等覚位の菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明を断じて、この位に入る。なお一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視される。
- 等覚(とうかく)
- 菩薩修行の階位である52位の中、51位であり菩薩の極位で、その智徳が略万徳円満の仏、妙覚と等しくなったという意味で等覚という。
- 十地(じっち、じゅうぢ)
- 菩薩修行の階位である52位の中、第41~50位まで。上から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位。仏智を生成し、よく住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教下利益することが、大地が万物を載せ、これを潤益するからに似ているから「地」と名づく。
- 十廻向(じゅうえこう)
- 菩薩修行の位階である52位の中、第31~40位まで。上から入法界無量廻向・無縛無著解脱廻向・真如相廻向・等随順一切衆生廻向・随順一切堅固善根廻向・無尽功徳蔵廻向・至一切処廻向・等一切諸仏廻向・不壊一切廻向・救護衆生離衆生相廻向の10位。十行を終わって更に今迄に修した自利・利他のあらゆる行を、一切衆生の為に廻施すると共に、この功徳を以って仏果に振り向けて、悟境に到達せんとする位。
- 十行(じゅうぎょう)
- 菩薩修行の位階である52位の中、第21~30位まで。上から真実・善法・尊重・無著・善現・離癡乱行・無尽・無瞋根・饒益・観喜の10位。菩薩が、十住位の終に仏子たる印可を得た後、更に進んで利他の修行を完うせん為に衆生を済度することに努める位。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・方便・願・力・智の十波羅密のこと。
- 十住(じゅうじゅう)
- 菩薩修行の位階である52位の中、第11~20位まで。上から灌頂・法王子・童真・不退・正信・具足方便・生貴・修行・治地・発心の10位。十信位を経て心が真諦(しんたい)の理に安住する、という意味で「住」と名づく。あるいは菩薩の十地を十住という説もある。
- 十信(じゅうしん)
- 菩薩修行の位階である52位の中、第1~10位まで。上から願心・戒心・廻向心・不退心・定心・慧心・精進心・念心・信心の10位。仏の教法を信じて疑心のない位。
なお、十信を外凡、十住~十廻向までを内凡あるいは三賢と称し、十信~十廻向までを凡と総称する。また十地と等覚を因、妙覚を果と称し、十地~妙覚までを聖と総称し、凡と相対する。
前提概念
大乗仏教運動が起こった背景にはさまざまな理由が考えられるが、声聞の修行をしていた部派仏教(小乗仏教)の僧侶が誰も成仏できなかったことから起こった運動とも考えられる。
その大きな要因を二つ考え、欠けた者たちを次のように呼んでいた。
- 仏陀の教えを聞いて覚った声聞
- 独力で悟りながら他人に説かない縁覚、辟支仏
初期大乗仏教ではこれらを二乗と呼び、成仏できないとされた。
修行者としての菩薩
初期から、悟りを開く前の修行時代の仏陀のことを菩薩と呼んでいた。さらに釈迦の前生物語である本生話(ジャータカ)では、釈迦の前生の姿も菩薩と呼んでいる。
この菩薩の代表として創造されたのが、次に成仏すると伝えられる弥勒菩薩である。弥勒菩薩は56億7千万年の修行を経て、この世に弥勒仏として現れるとされる。後に阿弥陀仏となった法蔵菩薩などもこの代表的事例である。
現世で活動するための菩薩
すでに悟りを得ているにもかかわらず、成仏を否定した菩薩も創造された。これは仏陀自身の活動に制約があると考えられたためで、いわば仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ。
この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩である。彼らは、釈迦のはたらきを象徴するたけでなく、はたらきそのものとして活動するのである。他にも、観世音菩薩、勢至菩薩なども、自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である。
インドの大乗僧
中国では、インドの有様が詳細に伝わったわけではないので、ことに初期大乗仏教の学僧たちを菩薩と尊称した。龍樹菩薩、世親菩薩などとするのがこれである。
注意が必要とされるのは、弥勒菩薩である。創造された一生補処(あと一回の生で仏を補う処にある)の菩薩としての弥勒菩薩と瑜伽師地論を編纂したと伝えられる弥勒(仮託説もある)とがいる。
日本における菩薩
日本では、仏教の教えそのものの象徴である如来とともに、身近な現世利益・救済信仰の対象として菩薩が尊崇の対象とされてきた。日本で広く信仰される主な菩薩としては、母性的なイメージが投影される観音菩薩、はるか未来で人々を救う弥勒菩薩、女人成仏を説く法華経に登場し女性に篤く信仰されてきた普賢菩薩、知恵を司る文殊菩薩、子供を救うとされ、道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩などがある。北極星を神格化した妙見菩薩は、名称に菩薩とあるが厳密には天部である。
また、神仏習合の一段階として、日本の神も人間と同様に罪業から逃れ自らも悟りをひらくことを望んでいるという思想が生まれた。それに基づき、仏道に入った日本の神の号として菩薩号が用いられた。八幡大菩薩が代表的である。
さらに、高僧の称号として「菩薩」の名が朝廷より下されることがあった。例えば行基菩薩、興正菩薩(叡尊)などである。
菩薩の像容
菩薩の像容は、出家前の釈迦の姿、すなわち、古代インドの王族のイメージが根底にある。髪は結い上げられ、結い残した髪は垂髪(すいほつ)といって肩を覆う。額には如来と同じく白毫がある。 下半身には裳(も)あるいは裙(くん)と呼ばれる巻きスカート状の衣を纏い、左肩と右腰を巻くように条帛(じょうはく)と呼ばれるたすき状の飾り布を掛ける。 さらにその上に宝冠、瓔珞(ようらく、貴金属や宝石をつないだ飾り)、臂釧(ひせん、 アームレット)、腕釧(わんせん、 ブレスレット)、足釧(そくせん、 アンクレット)、耳璫(じとう、 イヤリング)、天衣(てんね、肩や腕に掛ける細長い飾り布)といった装身具を身につける。 また、光り輝く身体を表現する光背を背後に負う。
さらに菩薩は蓮華座というハスの花を象った台座の上に座り、または立つ。一部 禽獣座(きんじゅうざ)といって動物の背に乗る場合もあるが(文殊菩薩の獅子や普賢菩薩の象など)、この場合でも動物の背の上に蓮華を載せ、その上に座る。
注
- ↑ 菩提は音訳だけではなく、それなりの意訳も含意されたと推定される。
- ↑ 華厳教学では六波羅蜜に四波羅蜜を加えて十波羅蜜とする。
- ↑ すべてを菩薩とすると経典として成り立たないため、阿羅漢、声聞、縁覚、如来などの用語も便宜的に残している。
- ↑ 菩薩摩訶薩の表現は部派経典である阿含部や華厳経を含む、全ての経・論・律部に見られる。兜率天上生・下生の別等、何らかの別を設けて使い分けられていると考えるのが妥当な経典もあるが一定ではなく、単に丁寧語として慣例的に使用されたケースも含めて、今後の研究対象と成り得よう。
- ↑ 大正大学名誉教授 真野龍海(現大本山清浄華院第82世 法主)『万人看過の心経「菩提-薩埵」のニルクティ』[1]
- ↑ 修行者以外の在家信者も含めて、ついには衆生皆菩薩とする説も唱えられた。
- ↑ 10相1組を4つとる教説は仏教だけでなく、他の宗教や祭祀に視野を広げても極めて稀である。他にはユダヤ教・キリスト教の密教または異端とされるカバラが知られる程度である。
- ↑ 大乗起信論と同様、華厳経は十地品・入法界品以外のサンスクリット語底本が発見されておらず、中央アジアで編纂されたとする説が有力だが、発祥期はカバラと大差ないと推定されることから、今後の比較研究などが期待される。