国鉄コキ50000形貨車
国鉄コキ50000形貨車(こくてつコキ50000がたかしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)がフレートライナー輸送用として1971年(昭和46年)度から1976年(昭和51年)度にかけて製作した貨車(コンテナ車)である。
車掌室付きの緩急車コキフ50000形 についてもここで解説する。
目次
概要
名神・東名高速道路を嚆矢とする高速道路網の整備が進展し、長距離トラックの貨物輸送量が増加した状況に鑑み、国鉄は1966年(昭和41年)にコキ10000系コンテナ車を投入し、列車の高速化で対抗した。さらに1969年(昭和44年)4月には、イギリス国鉄で実施されていた方式を参考に、トラックとの協同輸送方式を採り入れた「フレートライナー」方式の営業体制を発足させた。これは物流業者が鉄道コンテナを使用する荷主となったうえで、自社の路線貨物をコンテナ列車を用いて輸送する営業を行い、列車は「夕刻集荷・翌朝配達」の定時定形輸送を行う輸送方式である。
このため、列車の高速化・トラックの輸送単位に適合したコンテナの投入が図られ、同年に 10 t (20 ft) コンテナと、コキ10000系の専用車コキ19000形が製作された。
フレートライナー方式の拡大にあたっては、コンテナ車の積載能力向上と大量投入のための製作費低減が課題とされた。これを受け、10 t (20 ft) コンテナを3個積載でき、夕刻→翌朝の定時定形輸送のため、夜行旅客列車と並行ダイヤで運用可能な最高速度 95 km/h のコンテナ車コキ9200形が1970年(昭和45年)に試作され、各種試験に供された。
試験の成果を基に1971年(昭和46年)から量産された車両がコキ50000形・コキフ50000形である。電磁ブレーキ等を装備しないため最高速度はコキ10000系より5km/hほど低下したが、製作および保守コストが低く牽引機関車を選ばないことから、容積を拡大し雑貨類の積載を容易にした新規格の 5 t (12 ft) コンテナC20系列とともに、フレートライナー列車に充当するため大量に製作された。
本系列は1976年(昭和51年)までに総計3631両[1]が製作され、輸送体系の変遷により種々の改造を受けながらも、後発のコキ100系コンテナ車とともに広汎に使用されている。
構造
台枠はコキ5500形やコキ10000系と同様な魚腹形側梁であるが、 20 ft コンテナを3個積載できるよう台枠長さが延長され、車体長は 19600 mm に大型化された。台枠上のコンテナ緊締装置は 5 t コンテナ (10 ft , 12 ft) 用を左右5組、 20 ft コンテナ用を左右3組装備し、使用しないときは台枠外側下方に回転垂下させる構造である。これにより、専用車両によらず各種コンテナの積載が可能となった。外部塗色はコキ5500形と同一の赤3号(レンガ色)である。車体の一端に手ブレーキ付きの手すりとそれを操作する係員用のデッキ、デッキへの昇降用ステップを有する。コキ10000系のような台車オイルダンパプロテクタは設置しない。
積車時の総重量は最大 60 t (軸重 15 t )として設計され、運用線区は幹線に限定される。荷重はコキ50000形が 37 t 、コキフ50000形が 28 t である。
緩急車コキフ50000形はコキフ10000形と同様、デッキ側にコンテナ1個分の車掌室を設け、コンテナ緊締装置は 5 t コンテナ (10 ft , 12 ft) 用を左右4組、 20 ft コンテナ用を左右2組装備する。車両の両端どちらが列車最後部になっても運用できるように[2]、デッキのない側にも手すりを設け2組の尾灯を装備している。
台車はコキ5500形後期形のTR216形を基に開発されたTR223形である。台車軸距を1,650nnから1,900mmへ拡大し、増加した荷重に対応するため車軸は重荷重に対応する「 14 t 軸」を用いている。ブレーキ装置はKU弁を採用したCL方式(応荷重装置付自動空気ブレーキ)で、電磁ブレーキによらない制動性能の確保を図った。最高速度は 95 km/h である。後年、一部の車両はブレーキ装置の改造により最高速度は 100 km/h (250000番台) 110 km/h (350000番台)とされた。改造の詳細については後述する。
形式・番台毎の概要
新製車
コキ50000形
- 一般車
- 1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)までに3,276両 (コキ50000 - コキ53275) が製作された。
- 初年度製作の275両 (コキ50000 - コキ50274) は、台枠側面ブレーキコック操作穴の数が1つだったが、コキ50275以降は3つとなっている。
- JR化後、コキフ50000形の車掌室を撤去して本形式に編入する改造を実施した車両は、一般車の続番で付番されている。
- 各種改造の詳細については後述する。
各年度による製造会社と両数は次のとおりである。
- 1970年(昭和45年度) - 275両
- 第三次債務車
- 東急車輛製造(協三工業とのグループ製作)6両(コキ50000 - コキ50005)
- 汽車製造 40両 (コキ50006 - コキ50045)
- 日本車輌製造(輸送機工業とのグループ製作)60両(コキ50046 - コキ50105)
- 川崎重工業(富士車輌、アルナ工機とのグループ製作)45両 (コキ50106 - コキ50150)
- 三菱重工業 40両 (コキ50151 - コキ50190)
- 三菱重工業(日立造船とのグループ製作)15両(コキ50191 - コキ50205)
- 日立製作所 59両 (コキ50206 - コキ50264)
- 日立製作所(若松車輛とのグループ製作)10両(コキ50265 - コキ50274)
- 第三次債務車
- 1971年(昭和46年度) - 717両
- 本予算車
- 協三工業 15両 (コキ50275 - コキ50289)
- 汽車製造 85両 (コキ50290 - コキ50374)
- 日本車輌製造 125両 (コキ50375 - コキ50499)
- 川崎重工業 45両 (コキ50500 - コキ50544)
- 三菱重工業 75両 (コキ50545 - コキ50619)
- 日立造船 40両 (コキ50620 - コキ50659)
- 日立製作所 100両 (コキ50660 - コキ50759)
- 若松車輛 25両 (コキ50760 - コキ50784)
- 第三次債務車
- 協三工業 8両 (コキ50785 - コキ50792)
- 日本車輌製造 85両 (コキ50793 - コキ50877)
- 川崎重工業 35両 (コキ50878 - コキ50912)
- 若松車輛 17両 (コキ50913 - コキ50929)
- 三菱重工業 40両 (コキ50930 - コキ50969)
- 日立造船 22両 (コキ50970 - コキ50991)
- 本予算車
- 1972年(昭和47年度) - 1,460両
- 民有車
- 日本車輌製造 70両 (コキ50992 - コキ51061)
- 川崎重工業 108両 (コキ51062 - コキ51169)
- 三菱重工業 45両 (コキ51170 - コキ51214)
- 日立造船 20両 (コキ51215 - コキ51234)
- 川崎重工業 5両 (コキ15000 - コキ150004)
- 第三次債務車
- 日本車輌製造 485両 (コキ51235 - コキ51719)
- 川崎重工業 407両 (コキ51720 - コキ52126)
- 三菱重工業 320両 (コキ52127 - コキ52446)
- 民有車
- 1973年(昭和48年度) - 37両
- 民有車
- 三菱重工業 37両 (コキ52447 - コキ52484)
- 民有車
- 1974年(昭和49年度) - 791両
- 二次民有車
- 日本車輌製造 270両 (コキ52485 - コキ52754)
- 川崎重工業 311両 (コキ52755 - コキ53065)
- 三菱重工業 210両 (コキ53066 - コキ53275)
- 二次民有車
- 15 t コンテナ対応車
- 1972年(昭和47年)に5両 (コキ150000 - コキ150004) が製作された。車体中央に 15 t (30 ft) コンテナ用緊締装置を1組増設した他は、一般車と同じ仕様である。福山通運が計画した 15 t (30 ft) コンテナの輸送用に製作され、コンテナ共々試験に供されたが、実用には移行せず計画は中止された[3]。その後は一般車と混用して運用されている。
コキフ50000形
- 1971年(昭和46年)から1976(昭和51年)までに350両 (コキフ50000 - コキフ50349) が製作された。
- 台枠上の車掌室ユニットは当初、コキフ10000形とほぼ同一のものを設置したが、1972年(昭和47年)製の車両は2重窓などの寒地対策が追加され、1973年(昭和48年)製以降は難燃化仕様を施すなどの仕様の差異がある。
- デッキが無い側の手すりは平板張りにされているが、製造時期によって、手すり全体に張られているタイプと、両端のみに張って中央のみ空けられているタイプがある。
- 台車はコキ50000形と同一の TR223 形を装備した。この台車は走行中の振動が大きく車掌乗務に適さないと判断されたため、製作途中から車掌室側の台車のみをバネの柔らかい TR223A 形に変更した。これは適切な解決策とはならず、後に大半の車両はコキ10000形などから供出した空気バネ台車の TR203 形に交換された。
- 1985年(昭和60年)に貨物列車の車掌乗務が廃止されると、車掌室を撤去し、コキ50000形に編入する改造が1987年(昭和62年)から実施され、1989年(平成元年)までに全車が改造され区分消滅した。本形式にはコキフ10000形からの改造編入車(59000番台)があるが、これは1994年(平成6年)まで残存している。
- 各種改造の詳細については後述する。
各年度による製造会社と両数は次のとおりである。
- 1970年(昭和45年度) - 25両
- 第三次債務車
- 川崎重工業(富士車輌、アルナ工機とのグループ製作) 12両 (コキフ50000 - コキフ50011)
- 日立製作所 13両 (コキフ50012 - コキフ50024)
- 第三次債務車
- 1971年(昭和46年度) - 83両
- 本予算車
- 川崎重工業 21両 (コキフ50025 - コキフ50045)
- 日立製作所 19両 (コキフ50046 - コキフ50064)
- 第三次債務車
- 日立製作所 33両 (コキフ50065 - コキフ50079、コキフ50090 - コキフ50107)
- 三菱重工業 10両 (コキフ50080 - コキフ50089)
- 本予算車
- 1972年(昭和47年度) - 157両
- 民有車
- 川崎重工業 22両 (コキフ50108 - コキフ50129)
- 第三次債務車
- 川崎重工業 135両 (コキフ50130 - コキフ50264)
- 民有車
- 1973年(昭和48年度) - 18両
- 民有車
- 川崎重工業 18両 (コキフ50265 - コキフ50282)
- 民有車
- 1974年(昭和49年度) - 50両
- 二次民有車
- 川崎重工業 50両 (コキフ50283 - コキフ50332)
- 二次民有車
- 1975年(昭和50年度) - 17両
- 第二次債務車
- 川崎重工業 17両 (コキフ50333 - コキフ50349)
- 第二次債務車
コキ9200形
- フレートライナー方式対応の試作コンテナ車で、1970年(昭和45年)に2両 (コキ9200, コキ9201) が製作された。
- 台枠の基本構成は従来形式と同様であるが、車体長は従来形式より約 2.1 m 延長され、国鉄コンテナ車初の 20 m 級車となった。外部塗色は赤3号である。
- 荷重は 37 t で、積載能力は 5 t (10 ft , 12 ft) コンテナ5個、10 t (20 ft) コンテナ3個、15t (30 ft) コンテナ2個に対応するほか、20 t コンテナ1個と 10 t コンテナ1個の積載方も可能である。各種仕様のコンテナに対応するため、緊締装置は台枠側面に折りたたみ可能な構造で、使用時に台枠上に立て起こして固定する仕様である。主として 10 t 以上の長尺コンテナ積載用として設けられたツイストロック式緊締装置はリンク機構で相互に接続され、車体側面に設けた回転ハンドルにより車両単位で一斉施錠・開錠が可能な仕様である。
- 台車は試作の TR99 形で、コキ5500形(後期形)の TR216 形を基に軸距拡大・軸受変更などの改良を施したものである。車軸は重荷重対応の 14 t 軸を用い、軸受は密封コロ軸受である。台車側枠形状や軸箱支持方式などの各部仕様は2両で異なる。ブレーキ装置は従来の積空2段階切替機構を廃し、応荷重装置を付加した ALD 方式である。手ブレーキは車端部デッキ上に回転ハンドル式のものを設ける。
- 「山陽ライナー」(隅田川 - 西岡山)などの列車で試験運用に供され、試用の成果はコキ50000形の量産に反映された。試用終了後、1972年に コキ9201 がリニアモーター敷設用職用車 ヤ250形 (ヤ251) に改造され、コキ9200 は長期間の休車後、JR移行前に除籍されている。
改造車
国鉄時代
- コキフ50000形の台車交換(51000番台)
- 車掌の乗務環境改善のため、コキフ50000形の台車交換改造を1979年(昭和54年)から実施した。当時余剰となっていたコキ10000形[4]のほか、ワキ50000形・ワキ8000形などから空気バネ台車TR203形台車を供出し、交換した。基礎ブレーキ装置も台車に適合したものに換装されている。
- TR203 形台車の許容負担重量 (54 t) に対応するため、車体中央部のコンテナ緊締装置を一部撤去し、積載能力は 5 t (10 ft , 12 ft) コンテナ3個、10 t (20 ft) コンテナ1個となった。コキ10000系と同様、台枠の台車直上部に台車オイルダンパのプロテクタを設置している。車両番号は「原番号+1000」の基準で付番された。
- コキフ10000形の編入改造(59000番台)
- 車掌の乗務環境改善のため上記の台車交換と並行して行われた改造で、1979年(昭和54年)に余剰のコキフ10000形から14両(コキフ10000、コキフ10003、コキフ10006 - コキフ10008、コキフ10011、コキフ10014 - コキフ10020、コキフ10508)が改造された。
- 改造は種車の電磁ブレーキを撤去して、外部塗色を赤3号とした。車体長はコキ10000系と同一で、 5 t (10 ft , 12 ft) コンテナ3個の積載が可能。車両番号は「原番号+49000」の基準で付番された。1両のみ寒冷地仕様の10500番台から改造された車両があり、59500番台を付番している。
- ブレーキ装置指令変換弁追加改造(250000番台)
- 従来、最大 1000 t であったコンテナ列車の輸送力を 1200 t に増強するため、ブレーキ装置の改造を実施した。ブレーキシリンダ圧力の立ち上がりを早める指令変換弁[5]を追加して反応速度を早め、空走時間の短縮を図った。
- コキ50000形一般車の最高速度は 95 km/h であるが、 1000 t までの列車に限り牽引機関車を限定した上でコキ10000形と同じ 100 km/h 走行が可能である。
- 1985年(昭和60年)・1986年(昭和61年)に391両(コキ50000形370両、コキフ50000形21両[6])が改造された。改造後の車両番号は「原番号+200000」の基準で付番されている。
- 当初の車体色は一般車と同じ赤3号で、1985年3月ダイヤ改正から東京貨物ターミナル発着の東海道本線 - 山陽本線系統で主に 1200 t コンテナ列車の専用編成として使用され、1986年11月ダイヤ改正では最高速度 100 km/h の「スーパーライナー」が設定された。JR貨物の発足後、コキ100系の完成・津軽海峡線の開業を契機として東北本線 - 北海道方面に転用され、同区間においては最高速度 100 km/h の運用からコキ10000系を淘汰した。同時期に、識別とイメージアップのため全車が車体色を淡緑色に変更している。
- コキ100系の投入進展に伴い本区分の限定運用は漸次減少し、コキ50000形一般車との共通運用が主となっていった。コキ107形による本形式の取替計画が具体化して以降、特殊なブレーキ装置を有し保守に特段の注意を要する本区分は一般車に先んじて淘汰が進み、2012年度(平成24年度)に全廃となった。
JR貨物時代
- 車掌室撤去改造(コキフ50000形→コキ50000形、コキ53276 - コキ53413)
- 1985年(昭和60年)に貨物列車の車掌乗務が廃止され、用途のなくなったコキフ50000形が余剰となった。輸送力向上に鑑み、本形式の車掌室を撤去してコキ50000形に編入する改造が1987年(昭和62年)の日本貨物鉄道(JR貨物)発足直後から実施された。
- 本形式には空気バネ台車TR203形を装備した車両が多く、台車の許容重量が小さいため、改造に際しては極力オリジナルのTR223形へ再交換された。車端部の手すりは一般車と同一のものに変更され、TR203形台車を装備していた74両は基礎ブレーキ装置も一般車仕様に復元された。
- 137両が改造され、コキ50000形一般車の続番 (コキ53276 - コキ53413) に付番された。指令変換弁装備車(250000番台)から改造された4両は「一般車の続番+200000」の基準で付番されている。
- 車掌室撤去改造(コキフ50000形→コキ50000形、58000番台)
- 上記の改造でTR223形台車の在庫が途中で払底し、TR203形台車のまま改造編入された車両である。1987年(昭和62年)から206両(コキ58000 - コキ58205)が改造された。番号は落成順に58000から付番され、原番号との関連はない。指令変換弁装備車(250000番台)から改造された17両は「改造後の続番+200000」の基準で付番されている。
- 台車の許容重量が小さいため、車体中央の緊締装置が撤去され、荷重は 28 t とされた。積載能力は 5 t (10 ft , 12 ft) コンテナ4個、 10 t (20 ft) コンテナ2個である。車端部の手すりは識別のため、平板張りのまま残された。
- 積載効率の悪さと台車の保守が煩雑であることから淘汰の対象となり、1994年(平成6年)までに全車が廃車され区分消滅した。
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コキ50000形58000番台コキ58204。(高松駅)
- 電磁ブレーキ化改造(350000番台)
- 1988年(昭和63年)3月ダイヤ改正で設定された最高速度110km/hのコンテナ列車「スーパーライナー」(東京貨物ターミナル-東広島)に充当するため、1987年(昭和62年)10月から1988年(昭和63年)2月にかけて[7]、コキ50000形から45両(コキ350000 - コキ350044)が改造された。
- 改造工事は、輪西車両所(9両)・郡山工場(2両)・新小岩工場(11両)・名古屋工場(2両)・広島工場(17両)・小倉工場(4両)の全国6ヶ所で行われた[7]。
- 改造種車は製造時期・製造メーカーに関係なく、無作為に選ばれた[7]。番号は落成順に コキ350000 から付番され、原番号との関連はない。
- ブレーキ装置をコキ10000系と同様のCLE方式(応荷重式電磁自動空気ブレーキ)に改造している。台枠側面には、小型のブレーキコック操作穴が1つ、追加で設けられている。
- 台車は基礎ブレーキ装置の仕様を変更したTR223C形で、従来のコキ50000形と異なって、灰色に塗られている。
- 既存車との識別のため、車体色は黄かん色(湘南電車のオレンジ色)[8]に変更され、車体表記も従来の白色から黒色になっている。
- なお改造工事竣工直後の塗装は、改造工場によって、朱色1号に近い色に塗装されていたり、台車が黒色のままだったり、車体表記が白かったりと、差異があった[7]。最終的に上記の塗装に統一された。
- 本区分は新系列コンテナ車投入までの暫定的な措置であり、コキ100系が「スーパーライナー」に投入されると250000番台との共通運用に転用された。コキ250000形にダウングレードする話もあったが[7]、そのような改造はされず、後年には関東地区内での限定運用とされ、川崎市のゴミ収集列車「クリーンかわさき号」などに用いられた。
- 特殊仕様の少数区分であり、2007年から本格的な淘汰が開始された。2008年3月に残存車が一斉に廃車[9]され、うち12両はレール輸送用長物車(チ50000形、チラ50000形)に改造転用されている。改造の詳細は後述する。
- 台車交換
- JR移行直後から本形式の台車枠の亀裂が多発し、1993年(平成5年)には羽越本線で台車枠破損による脱線事故が発生した。これを受け、JR貨物では1994年(平成6年)までに全車両の台車を対策型のTR223F形台車に交換した。台車枠は識別のため、灰色としている。
- さらにその後、台車からの微振動に起因する荷ずれなどの問題に対応するため、2001年(平成13年)より、台車枠と各軸受の間に防振ゴムを挿入し、軸受の一つ(4位)に接地装置を取り付けたTR223G形台車への改造を全車に実施した。
- クールコンテナシステム対応改造(57000番台)
- 集中電源方式の冷凍コンテナ専用車として、1988年(昭和63年)・1989年(平成元年)にコキ50000形から延べ23両[10]が改造された。編成で運用され、機能の差異で57000番台・57100番台に区分される。
- 改造項目はコンテナ電源の引き通し回路新設が主である。塗装は青20号に変更され、車体には『COOL EXPRESS』のロゴマークが描かれていた。
- 57000番台は電源コンテナ積載車で、5両(コキ57000 - コキ57004)が改造された。電源コンテナ[11]を中央に搭載し、自車および各車に積載する専用の冷凍コンテナ[12]に給電する設備を持つ。
- 57100番台は57000番台から電源の供給を受け、自車に積載した冷凍コンテナに配電する機能をもつ。18両(コキ57100 - コキ57107, コキ57110 - コキ57119)が改造された。
- 本区分は 57100番台2両+57000番台1両+57100番台2両 の5両ユニットで首都圏 - 北海道間で運用された。個別電源を装備する冷凍コンテナの投入により本システムでの輸送は終了し、1996年(平成8年)に一般車への復元改造が行われ、車号も改造前に戻された。
他用途への改造
- チキ900形
- スライドバンボディシステム方式のインターモーダル用試作貨車である。長物車に分類される。1988年(昭和63年)にコキ50000形一般車から1両が改造された。
- チキ100形
- チキ900形の量産車。1988年(昭和63年)にコキ50000形一般車から5両が改造された。
- チ50000形・チラ50000形
- ロングレール輸送車で、2008年(平成20年)にコキ50000形350000番台から2形式合計12両が日本車輌製造で改造された。種車はJR貨物から北海道ジェイ・アール商事が購入し、北海道旅客鉄道(JR北海道)がリースを受ける形態で運用される。
- 青函トンネルを含む津軽海峡線区間において、新幹線軌条の敷設・新在共用軌条の交換などの新幹線対応工事を施工するための車両で、12 両 1 編成で使用される。200 m 長の 60 kg レールを 16 本積載でき、レールの敷設現場では走行しながらレールの取卸を行える仕様である。
- チ50000形(チ50001・チ50012)は編成の両端に組成され、レール積卸設備のみを設ける。チラ50000形(チラ50002 - チラ50011)は編成の中間に組成され、積荷のレールを緊締する設備を設けるほか、車両によっては作業用の付帯設備を追設する。台車はコキ50000形一般車と同一の TR223G 形台車に変更された。外部塗色は黄色である。車両番号は形式ごとに分けず、編成順の通番で付番されている。
- チ50000形・チラ50000形の全車が2012年(平成24年)2月3日に一斉に廃車になり形式消滅した[13]。
現況
コキフ50000形や積載効率に難があった58000番台はすでに淘汰され、57000番台は一般車に復元されたが、それ以外のグループは現在もコキ100系とともに、コンテナ車の主力形式として各地で使用されている。
本系列は製作から35年を超え、後継車両開発の計画が実施されつつある。2006年(平成18年)年にコキ100系の新形式コキ107形1両が先行試作され、2008年から量産が開始[14]された。同形式の製作によって本形式を順次淘汰する計画であり、コキ100系の所要数充足によって本来の用途を喪失した高速化対応改造車(250000番台・350000番台)を中心に転用や淘汰が行われ、両形式はすでに全廃となっている。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、石巻港駅が津波に襲われて、多数の車両が被災し、現地で解体された。
同車両の改造によって登場したチ50000形、チラ50000形も津軽海峡線区間に於ける新幹線対応化工事のレール敷設作業の終了に伴い用途を消失、ミャンマーに譲渡されることになり、2012年2月3日に五稜郭駅から陣屋町駅へ甲種輸送されている。[15]
コキ50000形のトップナンバーであるコキ50000は埼玉県さいたま市の鉄道博物館で保管・展示されている。
脚注
- ↑ 総製作数にはコキ9200形(2両)を含まない。
- ↑ 貨物列車の車掌乗務が廃止される直前の国鉄末期には、衝突事故から乗務員を保護するためとして、車掌室を編成の内側(逆向き)に連結する運用方がしばしば採られた。これはコキフ10000形についても同様である。
- ↑ JR化後の2013年3月25日より、15 t (31 ft) コンテナのみを積載する専用列車「福山レールエクスプレス」を運行開始している。
- ↑ 台車交換後のコキ10000形はレール輸送用長物車チキ5200形に改造されている。
- ↑ 指令変換弁の採用は、1984年(昭和59年)にコキ5500形23両を改造のうえで試用した成果に基づくものである。供試車は試験終了後にコキ60000形の先行改造車として再改造されている。
- ↑ コキフ50000形250000番台は後年、全車が車掌室を撤去してコキ50000形250000番台(4両)コキ50000形258000番台(17両)に改造されている。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 JR貨車研究所012_コキ50000形350000 - 貨車研究者・吉岡心平のサイト
- ↑ その色合いは山吹色に近い。
- ↑ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 2008年10月臨時増刊号 No.810 「鉄道車両年鑑 2008年版」
- ↑ 1988年(昭和63年)12月に事故で1編成5両が廃車となり、1989年(平成元年)に補充の改造を行っている。
- ↑ G30A形・ZG形の各形式がある。
- ↑ R27A形(→F27A形に改番)・UF15A形1000番台・UF26A形1000番台・UF27A形1000番台の各形式がある。
- ↑ 鉄道車両年鑑2012年版 p.207
- ↑ JR貨物 Web サイト プレスリリース『平成20年度のコンテナ車及びコンテナの新製について』による。
- ↑ railf.jp 鉄道ニュース・2012年2月4日掲載「チ・チラ50000形が甲種輸送される」[1]
参考文献
- 誠文堂新光社 『国鉄客車・貨車ガイドブック』 1971年
- 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1991年3月号 No.540 特集:コンテナ貨車
- 交友社 『鉄道ファン』 2002年7月号 No.495 特集:コンテナ特急
- ネコ・パブリッシング 『Rail Magazine』
- 2008年6月号 No.297 p109
- 吉岡心平 「プロフェッサー吉岡の貨車研究室 第17回」 - 2009年1月号 No.304 pp.142 - 145
関連項目
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