函館ラ・サール中学校・高等学校
函館ラ・サール中学校・高等学校(はこだてラ・サールちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、北海道函館市にある中高一貫制男子校である。
目次
概要
函館ラ・サール学園が運営する私立男子校。 日本全国から入学者が集い、中学生の7~8割、高校生の6~7割が親元を離れて寮生活および下宿生活を営んでいる。 入試は道内各地のほか、青森、盛岡、仙台、東京、大阪などの会場でも同時に行われている。
寮・下宿生活
本校では日本全国より入学者が集うため、多くの学生(中学生の7-8割、高校生の6-7割)が寮・下宿生活を営んでいる。函館市近郊および通学可能圏内に居住する自宅生(中学生の2-3割、高校生の3-4割)は自宅より通学している。中学生は原則として寮生活であるのに対し、高校生には下宿が認められている。
義務自習制度
寮生は土曜など一部例外を除いて自習が義務付けられている。中学生と高校1年生は自習室でそれぞれ取り組み、高校2年生は自分の部屋で取り組む。高校3年生は、あらかじめ年度の初めに、スケジュールを提出する。義務自習を行う時間は中学生は19:20~20:45・21:00~22:10まで、高校1・2年生は19:55~21:30・21:45~23:00までである。なお、テスト期間中(最終日を除く)は30分延長される。(高校のみ)
兄弟校・関連施設
日本国内でラ・サール会が運営する学校の中では本校以外にラ・サール中学校・高等学校(鹿児島市)があり、両校は兄弟校である。 また、児童養護施設のラ・サール・ホーム及びラ・サール会仙台修道院(ラ・サール会日本本部)が仙台市にある。かつてラ・サール・ハウスと呼ばれる学生寮(大学生対象)が代々木上原と日野駅前にあったが、いずれも閉鎖され、日本国内のラ・サール会関連施設は、函館・鹿児島・仙台に集約されている。
兄弟校の生活システムとの比較
毎年約40人前後の東京大学入学者および約100人前後の国公立大学医学部入学者を輩出している兄弟校鹿児島ラ・サール[1]の学生の生活システム[2]と、函館ラ・サールにおける生活システムとの比較を行う。
生活システム
両兄弟校とも中高一貫校ではあるが、高校からの生徒募集を行っており、日本全国より入学者が集うため自宅生以外の多くの入学者が寮あるいは下宿生活を営むことになる。しかしながら、両校には特に高校生の生活において寮と下宿利用の差に特筆すべき大きな違いがある。 寮生活において特筆すべき事柄に、鹿児島ラ・サールの高校生は完全個室であるのに対して、函館ラ・サールでは高校生は大部屋・4人部屋の生活となる。また、鹿児島ラ・サールでは高校2年生までしか在寮できず、高校3年生の全員が個室完備の下宿生活を営む。
函館ラ・サール
中学生と外進と呼ばれる高校受験進学による高校1年生は大部屋。内進と呼ばれる内部進学高校1年生と高校2・3年生は原則4人部屋で生活する。高校生は申請により下宿生活が認められるが、学校側は下宿生活の仲介を一切行っていない。
鹿児島ラ・サール
自宅から通学できない生徒のために、構内に寮がある。高校からの入学者と中学より在学している学生とを区別しない。高校寮は完全個室。中学寮は自習室と寝室があり、寝室に限っては8人仕様となっている。一学年において中学120名程度、高校50名程度が入寮できる。なお、受験環境として寮生活は相応しくないとし、高校3年生は寮には入れないため、高校2年生の終わりに寮生は全員個室完備の下宿に移る。 下宿を希望する生徒に学校側が下宿の仲介を行っている。下宿は、鹿児島ラ・サール生専用のものが、現在、17軒学校周辺にあり、学校と綿密な連絡をとっている。下宿生も下宿主の保護のもと生活を送っている。
学生生活と教育システム
北海道には中高一貫制男子校として函館ラ・サール中学・高等学校と北嶺中学校・高等学校の2校が存在する。ここで、同じく北海道に所在し2014年度には18人の東京大学入学者および約30人の国公立大学医学部入学者を輩出[3]している北嶺中学校・高等学校(一学年の学生数:約120名)と、函館ラ・サールにおける生活・教育システムの比較を行う。
学生
函館ラ・サール高等学校
高等学校でも入学試験の実施により学生を募集し、中学からの在学生と合わせて1学年が多い年で約210名程度となる。開校当時から日本全国より学生が集う。過去、東京大学入学者が札幌南高等学校などともに北海道内屈指であったが、現在のところ東京大学合格者が極端に減少し毎年2-3名程度となっている。年度により変動はあるものの、現在、高等学校において約2割が札幌市や旭川市などをはじめとした道内からの学生、約4割が本州からの学生、残りの約4割の学生が函館市およびその近郊の自宅生となっている。
北嶺高等学校
中学入試により120名の学生を募集[4]し、高等学校からの募集は行っていない。開校当時はほとんど全ての学生が北海道内より集った。しかしながら近年、道外からの入学者が増加している。現在、中高6学年で約40名程度の学生が本州から集っている。生徒の約8割が札幌市内およびその近郊の自宅生。残りの約2割が道内各地および本州からの学生で寮生活している。
生活システム
両校とも寮生活において実施されるチューターと呼ばれる制度が存在する。しかしながら、呼び名は同じものの制度の内容が全く異なるため注意を要する。函館ラ・サール高等学校では学生同士で行われる生活指導の制度のことを指す。同じ名で呼ばれるチューター制度が北嶺高等学校の寮においても実施されているが、北嶺高等学校の卒業生OBで北海道大学医学部医学科、札幌医科大学医学科の現役大学生が北嶺高校の寮生の学習指導を務める北嶺の学習指導制度は、函館ラ・サールの生活指導制度とは完全に異なるものである。
函館ラ・サール高等学校
兄弟校との比較における上述の項も参照のこと。函館ラ・サールでは全6学年合わせて600名以上700名近くの学生が寮生活を営んでいる。また、チューター制度と呼ばれる先輩が後輩の生活指導を行う制度がある。チューターには成績上位の学生が選抜される。選抜された学生は授業放課後、自身の勉強時間を割き、毎日数時間を費やして後輩の生活指導にあたる。
北嶺高等学校
青雲寮と呼ばれる寮に全6学年合わせて約190名程の学生(全校生徒数の約5分の1)が寮生活を営んでいる[5]。東大生や医学部生、医師による講演会が定期的に開催される。学習面においては、寮監および11名の寮教諭(学校の授業も担当している教師)や卒業生OBで北大医学部、札医大の現役大学生が毎日多数チューターとして夜23時まで夜間講習や学習指導を行っている。北嶺高等学校におけるチューター制は、チューター全員が北嶺の卒業生で医学部の現役大学生から選抜されている。青雲寮の学習時間(19:00~23:00)に来寮してもらい中学生の学習のサポートをはじめ、高校生の各部屋で、生徒たちの学習指導や進路相談を行っていく制度。寮では、寮教諭が3名、寮母が1名付き、学校でもクラス担任1名の他に寮生だけに寮生担任が3名付き、1人の寮生に8名の担任が付く。その他、成績不振になった場合も、1~2名をピックアップして家庭教師的寮監が個別指導を行う。また北嶺高等学校卒業生の北海道大学医学部医学科、札幌医科大学医学科などの大学生15名がチューターとして交代で連日生徒の質問や、学習相談、進路相談に対応している。
教育システム
函館ラ・サール高等学校
週37時間授業。特色としては外国人教師による英会話授業OC(オーラル・コミュニケーション)などが行われている。
北嶺高等学校
週6日間、毎日6時間授業。高等学校2年生において高校の学習内容を終える。高等学校3年生では大学入試の演習が始まる。演習では東大クラス、北大クラスなどが開設されている。毎年、高等学校1年・2年生が参加する二日間の「東京の大学見学ツアー」を実施している[6]。一日目には、東大本郷キャンパスを見学し、医学部に進学したOBをはじめ約20数名の卒業生が後輩のために集合しキャンパスを案内する。授業見学後の夜には、OBとの座談会が開催され、東大を始めとする東京の大学に進学している大学生や社会人約100名が集まる。二日目には見学希望別に、東京工業大学、東京医科歯科大学、一橋大学のコースに分かれて大学訪問・見学を行っている。
沿革
1932年(昭和7年)にラ・サール修道会が来日し、函館市での学校設立を計画した。1934年(昭和9年)に同市で函館大火が発生すると、同市での学校設立を断念して一行は本州に渡り、仙台市に外国語学校を設立した(参照)。1950年(昭和25年)に(鹿児島)ラ・サールを開校した後、函館市での開校を再び目指した。
- 1959年1月 - 学校法人函館ラ・サール学園設立認可。
- 1959年10月 - 函館ラ・サール高等学校開校認可。初代校長ブラザー・ローラン・ルエル就任。
- 1960年4月 - 函館ラ・サール高等学校開校。4学級。
- 1961年9月 - 第2代校長ブラザー・モーリス・ピカール就任。
- 1964年8月 - 第1寮完成。
- 1965年10月 - 校舎(図書・音楽・社会科教室等)増築。
- 1967年1月 - 第3代校長ブラザー・アンリー・ラクロワ就任。
- 1967年8月 - 生徒食堂新設。
- 1968年11月 - 講堂・クラブ室増築。
- 1969年4月 - 制帽着用自由化。
- 1993年4月 - 第4代校長ブラザー・アンドレ・ラベル就任。
- 1999年4月 - 函館ラ・サール中学校開校。
- 2004年4月 - 第5代校長(現校長)ブラザー・フェルミン・マルティネス就任。
- 2006年1月 - 高校入試で推薦入試を実施。
- 2010年10月 - 創立50周年を迎える。
著名な卒業生
芸術
文化
政治
経済
- 吉澤慶信(AIR DO(北海道国際航空)取締役会長)
- 菊池育夫(前北海道新聞社長)
- 丸谷智保(セイコーマート社長)
- 山下弘(ニッカウヰスキー社長)
- 本城愼之介(元楽天副社長)
- 若山直(五島軒社長)
- 山田辰己(有限責任あずさ監査法人理事、国際会計基準審議会元理事、公認会計士)
学者
- 新谷恭明(九州大学基幹教育院教授)
- 青山英樹(慶應義塾大学システムデザイン工学科教授)
- 石岡克俊(慶應義塾大学産業研究所准教授)
- 井元秀剛(大阪大学大学院言語文化研究科准教授)
- 池田昌幸(早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授)
- 岡田信弘(北海道大学大学院法学研究科教授・元研究科長)
- 加藤智章(北海道大学大学院法学研究科教授、元新潟大学法学部長)
- 金井一賴(大阪大学大学院経済学研究科教授)
- 梶浦桂司(元札幌大学法学部教授)
- 菅敏幸(静岡県立大学教授)
- 柿崎繁(明治大学教授)
- 佐藤正知(北海道大学大学院工学研究科教授)
- 佐藤鉄男(中央大学法科大学院教授)
- 佐川正(北海道大学大学院保健科学研究院教授)
- 佐藤貢悦(筑波大学大学院人文社会科学研究科教授)
- 栖原暁(元東京大学国際センター長・教授)
- 乗木新一郎(北海道大学大学院地球環境科学研究院教授)
- 玉山和夫(札幌学院大学教授)
- 谷藤悦史(早稲田大学政治経済学部教授)
- 橋本和仁(東京大学大学院工学系研究科教授)
- 加藤久典(東京大学総括プロジェクト機構特任教授)
- 小田原修(東京工業大学大学院総合理工学研究科教授)
- 辻琢也(一橋大学大学院法学研究科教授)
- 高橋智(東京学芸大学教育学部教授)
- 靍日出郎(札幌大学教授・経営学研究科長)
- 當作靖彦(カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)
- 西村孝司(北海道大学遺伝子病制御研究所教授)
- 野村修也(中央大学法科大学院教授、弁護士)
- 林純一(筑波大学大学院生命環境科学研究科教授)
- 林忠行(北海道大学元副学長・理事)
- 門脇誠一(北海道大学名誉教授)
- 森本芳則(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
- 松久三四彦(北海道大学大学院法学研究科教授・元研究科長)
- 村岡裕明(東北大学電気通信研究所教授)
- 宮下憲(筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)
- 金谷武洋(モントリオール大学日本語学科長 文法学者)
医学者
- 吉田晃敏(旭川医科大学学長)
- 廣川博之(旭川医科大学医学部付属病院経営企画部教授)
- 奥村利勝(旭川医科大学医学部付属病院総合診療部教授)
- 長谷部直幸(旭川医科大学医学部教授)
- 石子智士(旭川医科大学医学部教授)
- 山本有平(北海道大学大学院医学研究科教授)
- 丸藤哲(北海道大学大学院医学研究科教授)
- 澤田典均(札幌医科大学医学部教授)
- 佐藤敬(弘前大学学長、前医学研究科長・医学部長・教授)
- 澤田賢一(秋田大学医学部教授)
- 伊藤恒敏(東北大学大学院医学系研究科教授)
- 岡村州博(東北大学大学院医学系研究科教授)
- 辻一郎(東北大学大学院医学系研究科教授)
- 曾我部正博(名古屋大学大学院医学系研究科教授)
- 船越洋(大阪大学大学院医学系研究科准教授)
- 堀井泰浩(香川大学医学部心臓血管外科教授)
国立研究所教授
芸能
- 辻野正人(映画・テレビドラマ監督、演出家)
- 槇大輔(声優、元アナウンサー)
- 植竹公和(放送作家)
- 高佐一慈(コントユニット・THE GEESE)
- 杉山圭一(ミュージシャン、ゲームクリエイター)
- あがた森魚(ミュージシャン)
- 芳野藤丸(ミュージシャン)
- 藤井眞吾 (ギタリスト)
- 寺下誠(ジャズピアニスト)
- 元岡一英(ジャズピアニスト)
- 高橋知己(ジャズサクソフォーン奏者)
技芸
アナウンサー
医療
法曹
- 鈴木和宏(広島高等検察庁検事長、最高検察庁刑事部長)
- 末永進(札幌高等裁判所総括判事)
- 川端和治(弁護士、元第二東京弁護士会会長、元日本弁護士連合会副会長、法務省政策評価懇談会委員)
- 幕田英雄(最高検察庁検事、宇都宮地方検察庁検事正)
校歌等
函館ラ・サール学園では、校内行事の際に下記の3曲が歌われる。
- ラ・サール讃歌
- 函館ラ・サール学園 校歌
- 函館ラ・サール学園 学生歌
これらとは別に学生歌(It's a long way to La Salle High School)も制定されている。この曲は遥かなティペラリーの替え歌であるが、原曲とは異なり英語版のみである(行事の際も英語で歌われる)。
その他
- 卒業寮生は、事前に寮職員に連絡すれば寮に宿泊することが可能である(滞在日数の食事のみ自己負担)。
- 2011年より、夏季休業期間の一部は日能研の合宿会場としても使用されている。
- 毎年夏に「速歩遠足」が開催され、生徒は約27.3㎞のコースを歩く。