伊賀鉄道伊賀線
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伊賀線(いがせん)は、伊賀上野駅から伊賀神戸駅までを結ぶ伊賀鉄道の鉄道路線。全線が三重県伊賀市(旧上野市域)にある。
目次
概要
2007年10月1日に近畿日本鉄道(近鉄)から伊賀鉄道に運営が移管された。ただし線路や860系車両などは引き続き近鉄が第三種鉄道事業者として保有している。
上野盆地の城下町伊賀市中心部と近鉄大阪線・JR関西本線を結んでいる。
沿線が忍者の里であることにちなみ、1997年10月から漫画家の松本零士がデザインしたイラストをペイントした「忍者列車」が運転されている。また、分社化と同時に更新された駅名標は、近鉄時代のデザインから一新したものとなった(白地に、忍者装束をイメージしたと思われる藍色及び薄藍色のラインが入っている)。
合理化のため、伊賀上野・上野市・茅町・伊賀神戸を除き[1]、終日無人駅となっている。ただし、巡回で駅員が無人駅に来て改札を行うことがある。近鉄大阪線との乗り換え駅である伊賀神戸駅では、近鉄時代も駅員による地上改札が随時実施されていたが、伊賀鉄道移管後は近鉄とは独立した有人改札が近鉄用自動改札の隣に設けられたため、乗り換えの際には一旦改札外に出る必要がある。
伊賀線では全線で、スルッとKANSAI対応カード及びJスルーカードが使用できない(スルッとKANSAI対応カードについては一時期係員への提示で乗車することができた)。なお、2007年4月1日に近鉄の他の路線で導入されたPiTaPa・ICOCAにも非対応となっている。運賃は運営移管後別体系となったが、近鉄時代はローカル線の加算運賃が適用されていた。
また、有人駅では近鉄時代には磁気券が発売されていたが、運営移管後は伊賀上野駅以外は非磁気券となった[2]。なお、切符の地紋には伊賀鉄道の社紋が描かれている。
路線データ
- 管轄(事業種別):伊賀鉄道(第二種鉄道事業者)・近畿日本鉄道(第三種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):16.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数:14駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
近鉄からの経営分離
赤字路線のため、2005年12月に近鉄から経営形態の見直しが示唆されていたが、上下分離方式で近鉄が線路や駅舎などの施設を保有して保線などの管理を行い、近鉄や沿線自治体が出資する伊賀鉄道が運営・運行することで存続が決定した。新会社への移行は当初2007年(平成19年)4月を目指していたが、10月1日にずれ込んだ。
この伊賀鉄道へは近鉄が98%、伊賀市が2%を出資し、2007年度(平成19年度)から2016年度(平成28年度)までの10年間、伊賀市は年間最大約0.6億円もしくは赤字額から資本費を控除した額の半額を支援する。赤字額の残りは近鉄等が負担する。なお、2017年度(平成29年度)以降の支援額については関係者間で改めて協議することとしている。
これとは別に、市側は合併特例債により車両の更新を計画している。2009年4月1日号「広報いが市」によると、この更新は2009年度から3ヵ年で実施する予定であり、2011年度までに後述の200系が導入され旧来の車両を置き換えた。
運行形態
すべて普通列車で、伊賀上野駅 - 上野市駅間と上野市駅 - 伊賀神戸駅間の2区間に運転系統が分かれており、前者が毎時1 - 2本、後者が20 - 40分間隔で運行されている。これは前者がJR関西本線との接続を重視していることと、後者が等時隔ダイヤを採用しているからである。近鉄時代は全線を通して運転される列車は基本的にはなかったが、伊賀鉄道になってからは直通する列車が毎日3 - 6本運行されている。ただし、これらの列車も上野市駅を境に列車番号が変わるため、始発駅から上野市駅到着までは「上野市行き」と案内され、上野市到着後に終着駅まで延長運転される形となっている。
各区間でワンマン運転を行っている。しかし、一部乗客専務車掌が乗務して車内改札・乗車券販売及び乗降時の改札を行っている。これは前述の無人駅の巡回とともに不正乗車防止のためである。
なお、2008年7月19日より、ラッシュ時を除き無人駅での乗降扱いは列車最前部の扉(運転士に最も近い扉)のみを開ける方式に変更した。これまでは無人駅でも全扉を開けていたため、信用乗車方式に近い状況であった。
利用状況
輸送実績
伊賀線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。なお、2007年度は近畿日本鉄道は9月までの、伊賀鉄道は10月からの実績である。
年度別輸送実績 | |||||||||
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運 営 主 体 |
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 通勤通学 定 期 計 |
定 期 外 | 合 計 | |||||
近 畿 日 本 鉄 道 |
1966年(昭和41年) | 414 | 輸送実績最高を記録 | ||||||
1993年(平成5年) | ―― | ||||||||
1994年(平成6年) | 307.4 | ―― | |||||||
1995年(平成7年) | ―― | ||||||||
1996年(平成8年) | ―― | ||||||||
1997年(平成9年) | ―― | ||||||||
1998年(平成10年) | ―― | ||||||||
1999年(平成11年) | 275.5 | ―― | |||||||
2000年(平成12年) | 261.1 | ―― | |||||||
2001年(平成13年) | 247.4 | ―― | |||||||
2002年(平成14年) | 243.9 | ―― | |||||||
2003年(平成15年) | 240.3 | 4,036 | ―― | ||||||
2004年(平成16年) | 238.5 | 4,056 | ―― | ||||||
2005年(平成17年) | 230 | 3,912 | ―― | ||||||
2006年(平成18年) | 26 | 150 | 176 | 44 | 220 | 3,741 | ―― | ||
2007年(平成19年) | 上半期の数値 | ||||||||
伊 賀 鉄 道 |
2007年(平成19年) | 20.2 | 83.9 | 104.1 | 21.8 | 125.9 | 下半期の数値 | ||
2008年(平成20年) | 31.1 | 128.1 | 159.2 | 45.0 | 204.2 | 3,412 | |||
2009年(平成21年) | 29.5 | 115.3 | 144.8 | 46.0 | 190.8 | 3,246 | 200系車両への更新開始 | ||
2010年(平成22年) | 27.9 | 110.8 | 138.7 | 43.9 | 182.6 | 3,101 | |||
2011年(平成23年) | 26.3 | 103.4 | 129.7 | 42.6 | 172.3 | 200系車両への更新終了 | |||
2012年(平成24年) |
収入実績
伊賀線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。なお、2007年度は近畿日本鉄道は9月までの、伊賀鉄道は10月からの実績である。
年度別収入実績 | ||||||||||
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運 営 主 体 |
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | |||||
通勤定期 | 通学定期 | 通勤通学 定 期 計 |
定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||||
近 畿 日 本 鉄 道 |
2001年(平成13年) | |||||||||
2002年(平成14年) | ||||||||||
2003年(平成15年) | 228,000 | |||||||||
2004年(平成16年) | 219,000 | |||||||||
2005年(平成17年) | 219,000 | |||||||||
2006年(平成18年) | 213,000 | |||||||||
2007年(平成19年) | ||||||||||
伊 賀 鉄 道 |
2007年(平成19年) | |||||||||
2008年(平成20年) | 54,848 | 112,031 | 166,879 | 115,812 | 0 | 282,691 | 0 | 6,659 | 289,350 | |
2009年(平成21年) | 53,678 | 101,831 | 155,509 | 110,691 | 0 | 266,200 | 0 | 8,091 | 274,291 | |
2010年(平成22年) | ||||||||||
2011年(平成23年) |
営業成績
伊賀線の近年の営業成績を下表に記す。表中、収入・費用の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。なお、2007年度は近畿日本鉄道は9月までの、伊賀鉄道は10月からの実績である。
年度別営業成績 | ||||||||||||
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運 営 主 体 |
年 度 | 営業収益 千円/年度 |
営業経費:千円/年度 | 営業損益 千円/年度 |
営業 係数 | |||||||
人件費 | 修繕費 | 一 般 管理費 |
経 費 | 諸 税 | 減 価 償却費 |
福利厚生 施設収入 |
合 計 | |||||
近 畿 日 本 鉄 道 |
2001年(平成13年) | |||||||||||
2002年(平成14年) | ||||||||||||
2003年(平成15年) | 228,000 | 668,000 | △440,000 | 293.0 | ||||||||
2004年(平成16年) | 219,000 | 614,000 | △395,000 | 280.1 | ||||||||
2005年(平成17年) | 219,000 | 624,000 | △405,000 | 284.9 | ||||||||
2006年(平成18年) | 213,000 | 596,000 | △383,000 | 279.8 | ||||||||
2007年(平成19年) | ||||||||||||
伊 賀 鉄 道 |
2007年(平成19年) | |||||||||||
2008年(平成20年) | 289,350 | 260,684 | 119 | 20,040 | 313,657 | 91 | 2,943 | 0 | 597,534 | △308,184 | 206.5 | |
2009年(平成21年) | 274,291 | 246,800 | 463 | 27,415 | 297,832 | 91 | 3,522 | 0 | 576,123 | △301,832 | 210.0 | |
2010年(平成22年) | ||||||||||||
2011年(平成23年) |
車両
伊賀線用の新車は電化時に導入されたデハ1形(後のモニ5181形)・デ1形以降全く製造されず、近鉄時代は他線からの中古車がかき集められてきた。必要車両数は2両5編成10両と少ない。
現在の車両
過去の車両
- 1977年の全車代替時に転入
車両基地
上野市駅構内に近鉄高安検車区上野市車庫がある。伊賀線は1067mm軌間であり、1435mm軌間の近鉄大阪線と直通できないため、重要部検査及び全般検査などは車体のみを同車庫で整備し、台車等の各装置はトラック輸送で近鉄の塩浜検修車庫へ持ち込んで検査を行う。
歴史
関西本線の伊賀上野駅と上野町(現在の伊賀市)の中心地を結ぶため、伊賀電気鉄道の前身である伊賀軌道により上野駅連絡所(現在の伊賀上野駅) - 上野町駅(現在の上野市駅)間が1916年に開業したのが始まりである。伊賀上野駅 - 名張駅(後の西名張駅)間が全通したのは1922年である。奇しくもこの年に成立した改正鉄道敷設法別表の「81. 奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道」の後段に該当する路線でもあった。電化後は、大阪電気軌道を経て参宮急行電鉄の路線となった。
伊賀神戸駅 - 西名張駅間は、大阪線と競合するため戦時中一旦休止したが、国鉄直通の貨物運行に必要なため戦後に再開された。しかし、道路事情の改善によって貨物のトラック輸送への転移が進んだことから貨物列車運行廃止の目処がたったため、1964年10月に廃止された。廃止に際し、中間駅のなかった大阪線名張駅 - 美旗駅間には桔梗が丘駅が蔵持駅などの代替として新設された。
- 1912年(大正元年)10月:上野町の実業家田中善助らにより伊賀軌道出願。
- 1916年(大正5年)8月8日:伊賀軌道が上野駅連絡所 - 上野町駅間を開業。
- 1917年(大正6年)12月20日:伊賀軌道が伊賀鉄道に社名変更。
- 1919年(大正8年)10月1日:全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
- 1920年(大正9年)3月:上野駅連絡所を廃止し、鉄道院伊賀上野駅に統合。
- 1922年(大正11年)7月18日:上野町駅 - 名張駅(後の西名張)間が開業し全通。
- 1926年(大正15年)5月25日:伊賀上野駅 - 名張駅間が電化。市部駅・上林駅開業[8][9]。
- 12月19日:伊賀鉄道が伊賀電気鉄道に社名変更。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)9月30日:大阪電気軌道が伊賀線を参宮急行電鉄に譲渡[10]。
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が近畿日本鉄道に社名変更。
- 1945年(昭和20年)6月1日:鍵屋辻駅・広小路駅・四十九駅・市部駅・上林駅・伊賀神戸 - 西名張間が休止。
- 1946年(昭和21年)3月15日:広小路駅・上林駅・伊賀神戸 - 西名張駅間が営業再開。
- 1947年(昭和22年)10月21日:市部駅営業再開。
- 1964年(昭和39年)10月1日:伊賀神戸駅 - 西名張駅間 (9.7km) が廃止。西名張の車庫は上野市に移転。
- 1969年(昭和44年)5月15日:休止中の新居駅 - 西大手駅間の鍵屋辻駅、桑町駅 - 猪田道駅間の四十九駅廃止。
- 1973年(昭和48年)10月1日:貨物営業廃止。
- 1977年(昭和52年)7月14日:単線自動化及びATS使用開始。
- 1994年(平成6年)10月1日:ワンマン運転開始。
- 2005年(平成17年)7月2日:自転車を電車内に持ち込めるサイクルトレインを試験的に運行開始(11月27日までの土曜・休日・夏休み期間)。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)8月1日:自転車を電車内に持ち込めるサイクルトレインを毎日運行開始。
- 2009年(平成21年)
駅一覧
営業中の区間
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 乗降人員 -2008年- |
接続路線 | 線路 |
---|---|---|---|---|---|
伊賀上野駅* | - | 0.0 | 763人/日 | 西日本旅客鉄道:関西本線 | | |
新居駅 | 0.8 | 0.8 | 166人/日 | | | |
西大手駅 | 2.5 | 3.3 | 285人/日 | | | |
上野市駅* | 0.6 | 3.9 | 2,065人/日 | ◇ | |
広小路駅 | 0.5 | 4.4 | 249人/日 | | | |
茅町駅* | 0.6 | 5.0 | 1,270人/日 | ◇ | |
桑町駅 | 0.8 | 5.8 | 583人/日 | | | |
猪田道駅 | 2.2 | 8.0 | 120人/日 | ◇ | |
市部駅 | 1.2 | 9.2 | 175人/日 | | | |
依那古駅 | 1.4 | 10.6 | 116人/日 | | | |
丸山駅 | 1.3 | 11.9 | 270人/日 | ◇ | |
上林駅 | 1.1 | 13.0 | 49人/日 | | | |
比土駅 | 2.6 | 15.6 | 46人/日 | | | |
伊賀神戸駅* | 1.0 | 16.6 | 3,883人/日 | 近畿日本鉄道:大阪線 | | |
営業中の区間の廃止駅
廃止区間
伊賀神戸駅 - 美旗新田駅 - 西原駅 - 蔵持駅 - 八丁駅 - 西名張駅
廃線跡は伊賀神戸駅 - 美旗新田駅間が未舗装の農道として残っているが、完全に藪に覆われており立ち入り不可能な部分もある。途中には用水路をくぐったトンネルが残っている。ただし、西名張側は坑口が完全に埋められている。美旗新田駅跡の西名張側には小波田川には鉄橋が残っている。美旗新田駅から西名張駅跡までは完全な一般道と化している。
脚注
関連項目
- 忍者列車
- 日本の鉄道路線一覧
- 近江鉄道宇治山田延伸構想
- 養老鉄道養老線:伊賀線と同様に2007年10月1日に近鉄から運営移管された。
- 木津川:市部駅 - 上林駅間でしばらく並走する