京福電気鉄道永平寺線
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永平寺線(えいへいじせん)は、かつて福井県坂井郡金津町(現あわら市)の金津駅から吉田郡永平寺町の永平寺駅とを結んでいた京福電気鉄道福井支社の鉄道路線。福井県の嶺北地方を横切る路線であった。
1969年(昭和44年)に金津駅 - 東古市駅(現在の永平寺口駅)間が廃止され、残る東古市駅 - 永平寺駅間も2002年(平成14年)に廃止された。
路線データ
運行形態
1998年(平成10年)頃においては、1時間あたり1本(朝のみ30分間隔)の運行であり、列車交換のない折り返し運転になっていた。すべての列車が福井発着であるかのように書かれていた時刻表もあったが、朝に設定されていた永平寺発福井行き1本を除いて実際は東古市駅で乗り換えとなっていた。朝6時台終わり - 夜21時台の運行であった。
定期の優等列車の設定はなかったが、永平寺参拝客の便宜を図って、正月三が日には福井駅から直通の臨時特急列車が、正月三が日とゴールデンウィークには線内折り返しの臨時急行が設定されていた。
歴史
永平寺線は1924年(大正13年)3月に設立された永平寺鉄道の手によって開業した路線である。
1925年(大正14年)に永平寺駅(後に永平寺口駅、東古市駅と改称、現在の永平寺口駅) - 永平寺門前駅(後の永平寺駅)間3マイル48チェーン (5.75km) が開業した。その後、1929年(昭和4年)8月14日に金津駅(現在のJR芦原温泉駅) - 新丸岡駅(後の本丸岡駅)間 10.00km、同年12月10日に新丸岡駅 - 永平寺口駅間 8.53km が開業して全通した。1944年(昭和19年)、丸岡鉄道とともに京福電気鉄道に吸収合併され、同社の永平寺線となった。
モータリゼーションによる乗客の減少により、1969年(昭和44年)9月18日に金津駅 - 東古市駅間 18.4km が廃止された。
2001年(平成13年)6月24日、越前本線での2度目の列車衝突事故(京福電気鉄道越前本線列車衝突事故を参照)のため、翌日から全線で運行が休止された。他の2線はえちぜん鉄道への譲渡が決定したが、永平寺線は利用客が見込めないことから譲渡されず、運転が再開されないまま2002年(平成14年)10月21日をもって廃止された。
年表
- 1922年(大正11年)6月28日 永平寺鉄道に対し鉄道免許状下付(吉田郡下志比村-同郡志比谷村間)[1]
- 1924年(大正13年)3月31日 永平寺鉄道会社設立[2][3]
- 1925年(大正14年)9月16日 永平寺鉄道が永平寺駅(後の東古市駅) - 永平寺門前駅(後の永平寺駅)間開業[4]
- 1927年(昭和2年)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1935年(昭和10年) 鳴鹿駅を西方へ移転
- 1938年(昭和13年)4月18日 永平寺門前駅を移転し永平寺駅に改称、0.4km延長
- 1939年(昭和14年)11月15日 荒谷駅を市野々駅に改称届出
- 1944年(昭和19年)
- 4月20日 菅野駅休止
- 12月1日 京福電気鉄道が永平寺鉄道を合併。永平寺線となる。永平寺口駅を東古市駅に改称
- 1946年(昭和21年)11月1日 菅野駅営業再開
- 1950年(昭和25年)6月1日 諏訪間駅営業再開
- 1957年(昭和32年)12月25日 御簾ノ尾駅・友末駅営業再開
- 1969年(昭和44年)9月18日 金津駅 - 東古市駅間18.4km廃止
- 1989年(平成元年)4月20日 閑散時の1両運転電車をワンマン運転化
- 1991年(平成3年)3月20日 終日ワンマン運転開始
- 2000年(平成12年)12月17日 越前本線で同線と永平寺線の電車が正面衝突
- 2001年(平成13年)6月24日 この日越前本線で再び衝突事故が起き、翌日から全線運行休止に
- 2002年(平成14年)10月21日 東古市駅 - 永平寺駅間6.2km廃止により全線廃止
駅一覧
駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅福井県に所在。
駅名 | よみ | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
1969年9月18日廃止区間 | |||||
金津駅(現芦原温泉駅) | かなづ | - | 0.0 | 国鉄:北陸本線・三国線(廃止) | 坂井郡金津町 |
菅野駅 | すがの | 1.0 | 1.0 | ||
伊井駅 | いい | 1.7 | 2.7 | ||
御簾ノ尾駅 | みすのお | 0.8 | 3.5 | ||
坪江駅 | つぼえ | 0.8 | 4.3 | ||
瓜生駅 | うりう | 1.3 | 5.6 | ||
乗兼駅 | のりかね | 1.2 | 6.8 | 坂井郡丸岡町 | |
長畝駅 | のうね | 1.2 | 8.0 | ||
丸岡口駅 | まるおかぐち | 1.2 | 9.2 | ||
本丸岡駅 | ほんまるおか | 0.7 | 9.9 | 京福電気鉄道:丸岡線(廃止) | |
西瓜屋駅 | にしうりや | 0.7 | 10.6 | ||
末政駅 | すえまさ | 1.8 | 12.4 | ||
油駅 | あぶら | 0.8 | 13.2 | ||
友末駅 | ともすえ | 1.1 | 14.3 | ||
楽間駅 | らくま | 1.1 | 15.4 | ||
鳴鹿駅 | なるか | 1.1 | 16.5 | ||
2002年10月21日廃止区間 | |||||
東古市駅(現永平寺口駅) | ひがしふるいち | 1.9 | 18.4 | 京福電気鉄道:越前本線 | 吉田郡永平寺町 |
諏訪間駅 | すわま | 1.0 | 19.4 | ||
京善駅 | きょうぜん | 1.8 | 21.2 | ||
市野々駅 | いちのの | 1.2 | 22.4 | ||
永平寺駅 | えいへいじ | 2.2 | 24.6 |
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1927 | 193,311 | 3,783 | 32,604 | 42,812 | ▲ 10,208 | 雑損1,200 | 9,115 | 22,082 | |
1928 | 186,365 | 3,894 | 35,948 | 37,778 | ▲ 1,830 | 8,132 | 22,165 | ||
1929 | 359,277 | 8,300 | 61,862 | 65,080 | ▲ 3,218 | 雑損1,179 | 6,821 | 24,280 | |
1930 | 862,921 | 10,110 | 166,951 | 149,462 | 17,489 | 雑損4,150 | 98,103 | 22,558 | |
1931 | 584,801 | 12,697 | 87,165 | 71,994 | 15,171 | 雑損74 | 71,178 | 23,921 | |
1932 | 581,926 | 14,028 | 97,243 | 73,060 | 24,183 | 55,833 | 34,755 | ||
1933 | 745,075 | 14,511 | 108,324 | 83,779 | 24,545 | 雑損79 | 58,149 | 39,791 | |
1934 | 740,348 | 17,972 | 116,604 | 91,166 | 25,438 | 減資差益金80,053 | 雑損32,298 | 38,245 | 96,613 |
1935 | 825,889 | 18,223 | 128,448 | 100,148 | 28,300 | 雑損償却金82,132 | 34,050 | 84,564 | |
1936 | 889,894 | 20,433 | 138,154 | 107,048 | 31,106 | 雑損償却金66,787 | 29,361 | 65,070 | |
1937 | 889,179 | 18,781 | 130,578 | 113,139 | 17,439 | 雑損償却金43,319 | 25,163 | 60,078 | |
1939 | 1,171,612 | 21,289 | 170,257 | 122,657 | 47,600 | 雑損償却金81,223 | 23,767 | 57,493 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注および参考文献
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年6月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年10月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年2月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年8月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年12月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)