中津川線

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Mbox 中津川線(なかつがわせん)は、長野県飯田市にある飯田線飯田駅岐阜県中津川市にある中央西線中津川駅を結ぶ計画だった日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線

概要

当初は飯田市と木曽郡南木曽町を結ぶ鉄道計画であったが、後に中津川市へ接続する計画に変更された。当初は順調に建設が進み、中央本線との直通により中京圏伊那地方を直結する鉄道として開通後の需要も十分見込まれていたが、総花的な新線建設の予算配分が災いしてメインとなるトンネルにほとんど着手できなかった。また、地元も整備新幹線が法制化されると、在来線である当路線よりも中央新幹線の誘致を重視するようになり、熱意が薄れたともいわれる。やがて、1975年(昭和50年)に中央自動車道が開通すると計画は頓挫した。

工事は、伊那山本駅 - 二ッ山トンネル付近の路盤・トンネルが完工し、全長10kmに及ぶ神坂(みさか)トンネルの調査坑がわずかに掘られたのみで、そのほかは手つかずのまま終わっている。着工当時、飯田線は電化済で中央本線にも電化計画があったため、当初より直流電化路線として計画されていた。 本路線は日本鉄道建設公団のB線(地方幹線)として工事が進められていた。1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行で工事が凍結されたB線(久慈線盛線野岩線北越北線、中津川線、智頭線)のうち、唯一鉄道として完成を見ることがなかった。

中京圏と伊那地方を直結するという本路線に期待された役割は、1975年の中央自動車道開通とともに運行を開始した中央道特急バス(現・中央道高速バス)によって担われることになった。

中津川と飯田の二都市間を結ぶ路線としては、1998年(平成10年)4月ジェイアール東海バス信南交通が、中津川 - 飯田間を中央自動車道経由で結ぶ高速バス路線「いいなかライナー号」の運行を開始した。1999年(平成11年)に運行を開始した中央西線の快速列車「セントラルライナー」とも結んで集客策が展開された。しかし、途中中津川駅での乗り換えが嫌われたため、既に利用者が定着していた中央道高速バス飯田 - 名古屋線の旅客を取り込むことができず、2004年(平成16年)10月15日限りで廃止された(信南交通は後に撤退し、最終時は7往復が設定されていた)。現在では、中津川駅近辺と飯田駅近辺の両方を経由する高速バスがないため、中津川 - 飯田間の都市間輸送手段はないという状態になっている。(中央道高速バスの飯田(信南バスセンター)・上飯田バスストップ - 中津川バスストップ双方に停車する便に乗れば越境可能。ただし、本数は少ない)

神坂トンネルの水抜きボーリング中に湧き出た温泉昼神温泉である。昼神駅予定地には「国民年金保養センターひるがみ」が、神坂駅予定地には「中津川温泉クアリゾート湯舟沢」ができている。

中津川線の歴史

  • 1920年大正9年) - 中津川線構想が浮上。
  • 1922年(大正11年) - 飯田 - 三留野(南木曽)間鉄道が建設予定線として鉄道敷設法別表第60号に記載。
  • 1951年昭和26年) - 長野県、岐阜県で建設運動が再燃。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 鉄道建設審議会の総会において調査線に指定。
  • 1961年(昭和36年)6月 - 鉄道敷設法が改正、飯田 - 中津川間鉄道が別表第60号の2に追加。
  • 1962年(昭和37年) - 鉄道建設審議会の総会において建設線に昇格。
  • 1963年(昭和38年)8月 - 国鉄による実地調査開始(飯田、園原、富士見台、中津川の4か所)
  • 1964年(昭和39年) - 日本鉄道建設公団発足、B線(地方幹線)の工事線と位置づけられる。
  • 1966年(昭和41年) - 工事実施計画を承認。
  • 1967年(昭和42年)11月 - 用地買収が難航するも、二ツ山トンネルの掘削工事が着工。
  • 1973年(昭和48年) - 掘削機械が故障して、工事は事実上中断。
  • 1975年(昭和50年)8月23日 - 中央自動車道 恵那山トンネル開通。
  • 1976年(昭和51年) - 中津川線建設に計上された22億5000万円の予算が他線建設に流用。
  • 1980年(昭和55年) - 国鉄再建法施行により建設予算計上が見送られ、工事凍結。
  • 1989年平成元年) - 建設用地が日本国有鉄道清算事業団に譲渡。計画は事実上頓挫。

設置予定駅

飯田駅 - 伊那中村駅 - 伊那山本駅 - 阿智駅 - 昼神駅 -(神坂トンネル内に夜烏山信号場、富士見台信号場)- 神坂駅 - 美濃落合駅 - 中津川駅

関連項目

外部リンク