中城村
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中城村(なかぐすくそん)は沖縄県中頭郡の村。村の人口密度は、同郡北中城村に次いで全国で2番目に高い。 村の南部に国立大学法人琉球大学千原(せんばる)キャンパスがあり(本部は西原町だが、法文学部と理学部は同村内に入る)、周辺は学生アパートが建ち、活気がある。
目次
[非表示]地理
沖縄本島中部の東海岸に位置し、中城湾に面している。国道329号の東側は海抜10m以下の沖積低地。
河川
地域
- 安里(あさと)
- 新垣(あらかき) 村内で最も高い標高にある地域で、現在の沖縄県道35号線の基となる道路が昭和4年に開通するまで陸の孤島であった。
- 伊舎堂(いしゃどう)
- 伊集(いじゅ)
- 奥間(おくま)
- 北上原(きたうえばる)
- 北浜(きたはま)
- 久場(くば) 戦後、本土や外地からの引揚者が沖縄本島に帰還する際に上陸地点となった地域。収容所が設けられ、帰還者は米軍にDDTをかけられた。後に米軍の「久場崎学校」が建設されたが、現在は返還されている。
- 添石(そえし)
- 津覇(つは) 450年以上前に富里と山手側の上津覇が合併
- 当間(とうま) 村の行政の中心地
- 泊(とまり)
- 登又(のぼりまた) 明治初期に伊舎堂・屋宜・添石から分立。かつては稲作の地だった。
- 南上原(みなみうえばる)
- 南浜(みなみはま)
- 屋宜(やぎ)
- 和宇慶(わうけ) 戦前、一部が日本軍飛行場として接収され、戦後も暫く米軍飛行場として使用されていた。
隣接する自治体
人口
歴史
- 1611年 中城間切番所が中城城内に置かれる。(以後、中城村に至るまで(沖縄戦前まで)当地域の行政の中心として使用される)
- 1908年(明治41年)4月1日 中城村誕生。
- 終戦後、米軍施設により南北に分断され、行政運営に支障をきたす。
- 1946年(昭和21年)5月20日 やむなく北中城村が分離。
- 2000年(平成12年)12月 中城城跡が琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録される。
- 2004年(平成16年)1月7日 中城村・北中城村合併協議会設立。
- 2005年(平成17年)2月28日 中城村・北中城村合併協議会解散(前年12月の北中城村長選で合併に慎重だった現村長が当選、合併は白紙に)。
行政
村長:浜田京介(はまだけいすけ)
教育
中学校
- 中城村立中城中学校
小学校
- 中城村立中城小学校
- 中城村立津覇小学校
- 中城村立中城南小学校
交通
路線バス
- 一般道のみを通る路線
- 25番・普天間空港線・中城経由 (那覇バス) 県道29号経由(平日1日1往復のみ)
- 30番・泡瀬東線(東陽バス) 国道329号経由
- 58番・馬天琉大泡瀬線(東陽バス) 西原~県道29号~県道32号経由~国道330号へ(ただし平日の4往復のみ)
- 97番・琉大(首里)線(那覇バス) 首里~県道29号~県道32号経由~国道330号へ
- 沖縄自動車道のみを通る路線
- 村内にあるバス停は中城パーキングエリアの「中城」バス停のみである。
かつては中城公園を経由する路線や、県道35号を回った後に当間で折り返す新垣線という路線があったが2005年に廃止された。
道路
- 沖縄自動車道
- 中城パーキングエリア(高速バス停留所あり)
- 国道329号
- 沖縄県道29号那覇北中城線(主要地方道)
- 沖縄県道32号線
- 沖縄県道35号線(2006年の梅雨の大雨による土砂崩れ災害で一部区間が通行止、2008年12月に復旧。)
- 沖縄県道146号線