長野県上田高等学校
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長野県上田高等学校(ながのけんうえだこうとうがっこう)は、長野県上田市大手一丁目にある公立高校。男女共学で、全日制普通科と定時制普通科を設置している。
概要
校舎は上田藩の藩主館跡に建てられており、校門は上田藩主居館表御門を継承している。周囲には堀も残されている。門、塀、堀はともに上田市の文化財に指定されている。学内及び学区内の高等学校では部活を「~部」ではなく「~班」と呼称する。そのため、部活ではなく班活と言う。
同校の学祭は、前身の上田松尾高等学校にちなんで「松尾祭」と言う。
2004年より、公立高等学校の通学区制度が変更され、東信地区は第5から第2通学区へと変更になった。
前期選抜は2011年度より実施しないことを表明している。
沿革
- 1875年7月 - 本校の前身である、第16中学区予科学校を設置。
- 1878年6月 - 上田町立上田変則中学校を設置。
- 1882年4月 - 郡立小県中学校を設置。
- 1884年9月 - 長野県立長野中学校上田支校を設置。
- 1893年4月 - 長野県尋常中学校上田支校を設置。
- 1899年4月 - 長野中学校上田支校となる。
- 1900年4月 - 長野県立上田中学校となる。
- 1901年 - 長野県上田中学校野沢分校を設置。(現:長野県野沢北高等学校)
- 1904年4月1日 - 野沢分校が、長野県立野沢中学校として独立。
- 1920年 - 長野県令38号により、長野県上田中学校に改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革第1段階(6・3制)実施により長野県上田中等学校併設中学校が設置される。
- 1948年4月1日 - 学制改革第2段階(6・3・3・4制)実施により長野県上田松尾高等学校となる。定時制を設置。
- 1950年3月31日 - 長野県上田中等学校併設中学校廃止。高等学校のみとなる。
- 1957年8月 - 野球班が甲子園に出場。(2回戦:平安3-1、準々決勝:広島商0-5)
- 1958年4月1日 - 長野県上田高等学校に改称。
- 1987年8月 - 野球班が甲子園に出場。(2回戦:習志野2-5)
- 1989年1月 - サッカー班が全国大会に出場。(1回戦:加治木工1-2)
- 2003年4月 - 文部科学省より学力向上フロンティアハイスクールの指定(3年間)を受ける。
- 2007年4月 - 未履修問題解決のための土曜授業(隔週)の開始。
校歌
出身者
- 永六輔 - 作家(入学後、転校)
- 丸山博 - 日本野球機構規則委員・元セントラル・リーグ審判
- 小山一平 - 元参議院副議長(旧制中学校卒)
- 堀込征雄 - 前衆議院議員
- 岩崎忠夫 - 前衆議院議員
- 小山峰男 - 前参議院議員
- 加藤学 - 衆議院議員
- 山浦善樹 - 最高裁判所裁判官
- 小林直樹 - 憲法学者、元東大教授
- 柴田寿子 - 政治学者、元東大教授
- 五島慶太 - 実業家
- 宮原清 - 実業家
- 桜井堅一朗 - アナウンサー
- 篠原恵美 - 声優
- 吉岡攻 - ジャーナリスト
- 山川啓介 - 作詞家
- 江文也 - 作曲家
- 白土三平 - 漫画家
- 中澤佳子 - アナウンサー
- 坂口千夏 - アナウンサー
- 牛山美耶子 - アナウンサー
- 小山敬三 - 洋画家(旧制中学校卒)
- 井出孝光 - 実業家 トイズファクトリー代表
- 関嶋梢 - 気象予報士
- 柏木集保 - 競馬評論家
- 倉島今朝徳 - プロ野球選手・東京ヤクルトスワローズ球団専務
- 藤村延魚 - 国際観光ジャーナリスト、生活習慣病予防指導士。元チョイスホテルズインターナショナル副社長兼日本支社長。
- 中山典之 - 棋士、囲碁ライター
- 金井章次 - 蒙古聯合自治政府最高顧問、慶大医学部教授、国際連盟事務局保健部
- 仲村秀生 - 声優
- 田中清光 - 詩人
- 馬場雄二 - デザイナー
- 藤井彰 -歯学者、日本大学名誉教授
- 鈴木隼 - TVディレクター
- 塩沢勝吾 - サッカー選手(松本山雅FC所属)
- 荒井裕司 - 起業家・教育者