三又又三

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox お笑い芸人 三又 又三(みまた またぞう、1967年5月27日 - )は、日本お笑い芸人タレントジョーダンズボケを担当していた。元相方は山崎まさや。旧芸名および本名、三又 忠久(みまた ただひさ)。

岩手県花巻市出身。オフィス北野所属。身長177cm、体重87kg。

来歴

仙台育英学園高等学校卒業。父は医師で実家は開業医をしている[1]コロッケの付き人経験があり、当時コロッケよりもらった芸名はハムエッグだった。

1992年山崎まさやとお笑いコンビのジョーダンズを結成し正式にデビュー、武田鉄矢演じるドラマ『3年B組金八先生』の主役坂本金八の物真似で人気を博する。

2005年10月、新宿シアターサンモールで武田鉄矢原作の漫画の舞台版『お〜い!竜馬 −青春篇−』を主演、企画、プロデュース。2006年8月に劇団「マッチョドラゴン」を旗揚げした。

2007年のジョーダンズ解散を契機として同年2月より、それまでの芸名を本名の三又忠久から三又又三に改めた。

格闘技への関わり

アマチュアレスリングの経験者で、仙台育英学園高校時代は60kg級で宮城県大会の2位になる。タレントとして活躍するようになってから、これを活かして、『やりすぎコージー』の「やりすぎ格闘王」、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の「芸人格闘王」、『レッスルコロシアム ザ芸能界!最強格闘王者グランプリMAX』『世界衝撃のスゴびっくり!大集合 格闘王スペシャル!!』などテレビ番組の企画でグラップリングを主体とした有名人との試合を行なっている。

立ち技格闘技のシュートボクシングの創始者で会長のシーザー武志とも親交を結んでおり、中継番組の司会をしたり、ゲスト解説者を務めている。シュートボクシングには、アマチュア大会の出場経験もある。

プロレスも好きで、新日本プロレスへは入団することも考えていたほどだという。特にアメリカの団体WWEに関しては、芸能界ではトップクラスの通である。2005年2月さいたまスーパーアリーナでのテレビショー日本公演にも、観戦に訪れている。旗揚げした自らの小劇団「マッチョドラゴン」は、プロレスラー藤波辰巳の歌のタイトルであった。プロレスラーエル・サムライは小学校時代の先輩。

エピソード

  • 高校に4年間通っている(3年生を2回)。
  • 実父は内科医、実兄は歯科医で、共に開業医である(しかし内科医院は実父が高齢のため数年前に廃院)。又、姉がいるが、又三に似ているらしい。以前は、姉からモノマネのアドバイスや駄目出しをされていた。
  • 曽祖父は宮沢賢治と親友だったとのこと[2]
  • 野球が上手く、たけし軍団の軍団野球で4番でバッターボックスに立った経験を持つ。
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日テレ系)』など、ダウンタウンとの共演が多い。
  • 風俗店のイメージキャラに選ばれそうになったが、事務所を通して断った。
  • 六本木シャンパンバー「Bar MataZo」を経営していた。実際に行った事がある品川祐品川庄司)曰く「綺麗でもお洒落でもないお店」。
  • 漫画家の小山ゆうと交友があり、その縁で前述の「お~い!竜馬」の舞台化も行った。
  • 作家の大沢在昌と交友があり、飲み仲間である。大沢との出会いは、六本木のある飲み屋で偶然出会ったことによる[3]

脚注

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出演

バラエティ番組

映画

テレビドラマ

PV

ものまねレパートリー

以下に代表的なものを挙げる。

最も多用する持ちネタの武田鉄矢のものまね芸は、元々は三又の実姉が非常に得意としており、直々に伝授されたもの。そのため数ある持ちネタの中でも質を落とさないよう気を配り、大切に使っているという。武田鉄矢の有名な台詞である「このバカチンが!」は三又が真似したことがきっかけで広まったが、あえて実際の言い方とは変えている。

外部リンク