レフ・ヴァウェンサ

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レフ・ヴァウェンサ
Lech Wałęsa ノーベル賞受賞者
ファイル:Lech Walesa.jpg
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任期 1990年12月22日1995年12月23日

出生 テンプレート:生年月日と年齢
テンプレート:Flagicon ドイツ国ダンツィヒ=西プロイセン帝国大管区(現クヤヴィ・ポモージェ県) リプノ郡
政党 独立自主管理労働組合「連帯」

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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1983年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:

レフ・ヴァウェンサポーランド語Lech Wałęsaテンプレート:Audio-IPA1943年9月29日 - )は、ポーランド政治家労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国の第三共和制初代大統領ノーベル平和賞受賞者。

「ヴァウェンサ」は原語での発音に基づいたカタカナ転写で、比較的新しい表記法。日本では一般に「ワレサ」という表記が多く用いられているが、これはポーランド語アルファベットに対する誤認識から生じた不正確なものであり、発音もポーランド語の原音から著しく乖離している( → 詳細は下記「表記の異同」節を参照)。

生い立ち

ポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県リプノ郡にあるポポヴォという小さな村で生まれる。高校を卒業したのち、1967年グダニスク造船所(旧レーニン造船所)で電気技師となる。

ソルトレイクシティオリンピックの開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。

政治経歴

1970年12月、ストライキ委員会に参加していた[1]

1980年の独立自主管理労働組合「連帯」創設メンバー。当時の政策を批判したため、戒厳令により身柄を拘束された。その後1990年の大統領選挙で当選し、次々と自由化・民営化を行っていく。

再選をかけた1995年の大統領選では、クファシニェフスキに僅差で敗れた。

外国との関係

「連帯」の組織化に伴い、既存の共産主義要綱の再編成を求め、マルクス主義ルイ・アルチュセールの見識を参考にすべく、フランスの各大学を訪問。

また中国カンボジアのようなアジアにおいて見られた社会主義国の状況を知るべく、旧労働者インターナショナルのネットワークを伝い、各国の知識人層と交流を持つ。

「連帯」議長であった1981年5月に初来日。その後、大統領在任時の1994年には国賓として来日している。

日本において、最も交流を得たのはマルクス主義研究の領袖であった明治大学である。後に同大学より名誉博士、教授の称号を与えられ、時折来日し教壇に立っている。政界から去った後、再び労働者として活動し、各大学や教育機関にも参与している。

ポーランドを第2の日本に!」と叫んだ [2]

表記の異同

“Wałęsa”を原語の発音に極力忠実な形でカタカナ転写するならば「ヴァウェンサ」となるが、日本では「連帯」での活動中から今日に至るまで外務省[3]や新聞・報道は一貫して「ワレサ議長」「ワレサ大統領」と表記しており、現在テンプレート:いつでも一般にはこの「ワレサ」の方がより広く知られている。

「ワレサ」という誤った発音・表記は、ポーランド語本来の綴りである“Wałęsa”が、英語アルファベット転写されて“Walesa”となってしまい、これを英語式に発音した「ワレサ」が英語圏経由の報道により日本に伝わり、そのまま定着してしまったものである。しかしポーランド語アルファベットにおける Ł (ł) と Ę (ę) は、英語アルファベットにおける L (l) と E (e) と字体こそよく似ているが発音は全く異なるものである。

ヴァウェンサの登場する作品

アイルランドのロックバンド「U2」の最初期の大ヒットシングル「ニュー・イヤーズ・ディ」は独立自主管理労働組合「連帯」を歌ったもので、ヴァウェンサが描写されている。

「連帯」支持者でもあったアンジェイ・ワイダ監督の映画『鉄の男』(1981年)には本人役で出演した。出演場面は男女の主人公が結婚する箇所で、介添人として(他の「連帯」幹部2名と)登場している[4]。この映画では1980年8月の統一ストライキ委員会(のちに「連帯」の母体となる)と政府の合意書調印の場面も再現されているが、そのシーンの撮影にヴァウェンサのスケジュールが合わなかったため、同じ造船所に勤める容貌のよく似た人物が演じた[5]

脚注

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関連項目

外部リンク

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 |-style="text-align:center"

|style="width:30%"|先代:
ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(第三共和制)
リシャルト・カチョロフスキ(亡命政府) |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon ポーランド共和国大統領
第三共和制初代:1990 - 1995 |style="width:30%"|次代:
アレクサンデル・クファシニェフスキ テンプレート:S-ach

 |-style="text-align:center"

|style="width:30%"|先代:
ナタン・シャランスキー |style="width:40%; text-align:center"|ロナルド・レーガン自由賞
2011 |style="width:30%"|次代:
(直近の受賞者)

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テンプレート:ポーランド大統領 テンプレート:ノーベル平和賞受賞者 (1976年-2000年)テンプレート:Politician-stub

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  1. フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅳ 世界大戦ー現代 原書房 2005年 417ページ
  2. テンプレート:Cite news
  3. 外務省公式サイトにおける「ワレサ大統領」の表記例。
  4. NHK取材班『わがポーランド - ワイダ監督激動の祖国を撮る』日本放送出版協会、1981年、p.211
  5. NHK取材班、2011年、p.144