ミニコンピュータ
ミニコンピュータ (mini computer) は、コンピュータの種類の一つ。略称として「ミニコン」とも呼ばれた。
目次
概要
コンピュータがまだ黎明時代を過ぎたばかりの1960年代では、コンピュータという言葉はメインフレームのことを指していた。メインフレームは運用に大規模な設備を必要とする大型コンピュータであったが、これに対して研究室や設計室のような環境でも運用利用できる当時としては「小型」のコンピュータをミニコンピュータ (ミニコン) と呼んだ。実際の大きさは、小さめのミニコン本体で家庭用冷蔵庫の半分くらい、大きめミニコン本体なら家庭用冷蔵庫よりも大きいものもある。磁気テープ装置、拡張ハードディスク、各種入出力装置などを加えると、「ミニ」という言葉にそぐわないような規模になることもある。
欧米では単に "mini" とも呼ばれる。様々なコンピュータを巨大なマルチユーザーシステム(メインフレーム)から極小のシングルユーザーシステム(マイクロコンピュータまたはパーソナルコンピュータ)まで並べたとき、ちょうど中間に位置するマルチユーザーコンピュータを指した古い用語である(この位置を占めるコンピュータを、2009年現在ではミッドレンジシステム(IBMでの用語)やワークステーション、あるいはサーバと呼ぶ)。
日本では、ミニコンピュータよりも先にオフィスコンピュータ市場が発達したため、ミニコンピュータとオフィスコンピュータは別のものとされてきた。一方、欧米ではミニコンピュータの中からオフィスコンピュータに相当するものが登場したため、上述のように中程度の規模のコンピュータを全てミニコンピュータと称する。オフィスコンピュータは業務用アプリケーションソフトウェアなどがベンダの側で予め用意してあり、ユーザが即座に運用開始可能な点が特徴である。
1960年代に登場したディジタル・イクイップメント社 (DEC) のPDPシリーズ(特にPDP-8)でミニコンピュータ (ミニコン) という分野が築かれ、PDP-8やPDP-11はミニコンの代表的なものとなった。
当初は、主に科学技術計算などの専門分野での演算業務や、工場などの各種機器や通信の制御を行うために利用されていた。次第に高性能化・高機能化が進み、メインフレームからの置き換えをまかなえるようになり、いわゆるダウンサイジングに影響した。またミニコンの多くは仕様を公開し、UNIXのようなサードパーティによるシステムソフトウェアの拡充と普及など、オープンシステム化にも影響した。
1970年代後半に登場した、32ビットアーキテクチャ(だいたいメインフレームのトレンドに10年のビハインドで追従している)の、高性能・高機能なミニコンは「スーパーミニコンピュータ(スーパーミニコン)」と呼ばれる。
歴史
1960年代:起源 - 1970年代:市場の拡大
トランジスタ技術と磁気コアメモリ技術の使用によって可能になった「小さな」第3世代コンピュータを定義するために、「ミニコンピュータ」という用語が1960年代に登場し発展してきた。この用語は同時期のミニスカートや小型自動車(ミニカー)などと共に欧米で流行した。その形状は1つから数個の大型冷蔵庫程度のキャビネットで構成されている。一方、当時のメインフレームは部屋全体を占めるほどのサイズであった。最初に商業的に成功を収めたミニコンピュータはDEC社の12ビットのPDP-8であり、1964年に16,000ドルで発売された。
1960年代終盤には、ミニコンピュータに7400シリーズなどの標準ロジックICが使われるようになってきた。たとえばALUには74181が使われた。74181は4ビットであり、いわゆる「ビットスライス」アーキテクチャが当時の主流であった。他にも7400シリーズにはデータセレクタ、マルチプレクサ、3状態バッファ、メモリなどがあって、CPUプロセッサはこれらを組み合わせて構成されており、肉眼でそのシステムのアーキテクチャを知ることができた。メーカの保証から外れるが技術力のあるユーザなら配線をカットし電線をハンダ付けして「CPUにパッチを当てる」こともできた。その後1980年代にはミニコンピュータにVLSIが使われるようになり、ハードウェア構造は徐々に分かりにくくなっていった。
パーソナルコンピュータが1970年代から1980年代にかけて発展すると、ミニコンピュータは低能力のマイクロコンピュータと高容量のメインフレームの間の領域を占めるようになった。当時のパーソナルコンピュータはシングルユーザー向けの比較的単純なマシンであり、CP/MやMS-DOSといった単純なオペレーティングシステムを搭載した。一方、ミニコンピュータは高度なマルチユーザー・マルチタスクのオペレーティングシステム(VMSやUNIX)が使われていた。初期のミニコンピュータは16ビットマシンであったが、より高性能な32ビットマシンが登場すると「スーパーミニコンピュータ(スーパーミニコン)」と呼ばれるようになった。
1980年代後半から1990年代:ミニコンからパソコンへ
ミニコンピュータの凋落は、安価なマイクロプロセッサベースのハードウェアの登場と、安価で容易に展開可能なLANシステムの登場によるものと言える。エンドユーザーは柔軟性のないミニコンピュータ業者や「データセンター」と呼ばれるIT部門への依存を嫌ったのである。結果としてミニコンピュータとダム端末は、1980年代後半にワークステーションとPC/AT互換機をネットワーク接続したシステムに置換されていった。
1990年代、広く普及したx86、特に32ビット化したi386以降のプロセッサで動作する様々なUNIX系オペレーティングシステムが開発されるに至って、ミニコンピュータからPCネットワークへの変化は決定的となった。また、Microsoft Windowsもサーバ向けに進化して、Windows NTでは基本的なマルチタスク機能などサーバに必要とされる機能が備わってきた。
マイクロプロセッサがより強力になってくると、メインフレームですらCPUとしてマイクロプロセッサ(すなわちシングルチップで構成されたCPU)を採用するようになり、メインフレームとミニコンピュータの区別も無意味になっていった(あくまでも性能および構成の観点での話である)。
DECはIBMに次ぐ2位の地位にいたこともある主要なミニコンピュータ製造業者であった。しかし、UNIXサーバやPCによってミニコンピュータ市場が侵食されると、DECだけでなくほとんど全てのミニコンピュータ業者が苦境に陥った。DECは1998年にコンパックに買収された。
ミニコンピュータがコンピュータ業界に与えた影響
パーソナルコンピュータやサーバのCPUやオペレーティングシステムは、物理的にもアーキテクチャ上もミニコンピュータの特徴を受け継いでいる。
ソフトウェアの面で見ても、初期のパソコン用OSであるCP/MはDECのPDP-11のOS(RSTS/Eなど)をマイクロプロセッサ向けに実装したものであった。MS-DOSもそれを受け継いでいる。Windows NTの設計チームはDECでVAX用のVMSを設計していた人物(デヴィッド・カトラー)に率いられており、UNIXからも機能が採用されている。
主なミニコンピュータ
- CDC 160A (CDC) - CDC 1604 のI/Oプロセッサとして使われた12ビットマシン
- PDP、VAXシリーズ (DEC)
- Nova、Eclipse (データゼネラル|DG)
- HP 2100/HP3000シリーズ (ヒューレット・パッカード|HP)
- SPC-16シリーズ (ジェネラル・オートメーション|GA)
- TI-9X0シリーズ (テキサス・インスツルメンツ|TI)
- V-xxシリーズ (バリアン|Varian Data Machines)
- Level 6/DPS 6/DPS 6000シリーズ (ハネウェル-ブル)
- System/3, System/34, System/36, System/38, AS/400 (IBM)
日本のミニコンピュータ
日本では、通信制御やプラント制御用としてよく用いられていた。日本の代表的なミニコンピュータには以下のものがある。
- FACOM-230シリーズ, Aシリーズ (富士通)
- HITAC-10/20シリーズ (日立製作所)
- NEAC 3200シリーズ、MSシリーズ (日本電気)
- TOSBACシリーズ (東芝)
- MELCOMシリーズ (三菱電機)
- OKITACシリーズ (沖電気)
- MACC-7 (松下通信工業。現・パナソニック モバイルコミュニケーションズ)[1]
「~AC」、「~COM]という名前が多いが、これは「~AC」は「Automatic Computer」、「~COM]は「COMputer」に由来している。メインフレームの名前を引き継いだものも多い。
日本のミニコンピュータはそれ以前から事務処理用として大型機や小型機が提供され、また大型制御用は米英国と提携ライセンス生産などを行なっていた。しかし匹敵する小型の制御用は無く、米国製を輸入して利用されていたPDP-8を、各社とも寸法や必要機能を参考に作っていった。技術的には大きな困難はなくその後の工場プラント等の自動化に広く貢献した。その後マイクロコンピュータへと世界的に移って行った。