マグダラのマリア
マグダラのマリアは、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。マリヤ・マグダレナとも転写される。正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。
目次
概要
キリスト教の主要教派でいずれも聖人に列せられている。マグダラのマリアを聖人とする西方教会(カトリック教会、聖公会)での記念日(聖名祝日)は7月22日である。
一方、正教会では8月4日に携香女・亜使徒として記憶する(修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日)。固有の記憶日に加え、復活祭後第二主日を「携香女(けいこうじょ)の主日」として他の聖人とともにマグダラのマリアを記憶する。
マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとともに、西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した罪の女」とした。東方教会(正教会)ではマグダラのマリアを「罪の女」と同一視してこなかった。これまで多くの解釈が生まれ、真実などはっきりしないまま今に至る[1]。従って「罪の女」と「マグダラのマリア」を関連付けたことによる伝承は西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。
古くから存在する異端と言われる宗派では、イエスには花嫁としてのマリアが存在し、イエスと同等に敬愛され尊重されてきた。異端と言われても、教義・慣習に差があるだけで、俯瞰で見れば、同じキリスト教ではある。高度情報化社会となってからは、様々な過去の歴史が明らかになり、第2バチカン公会議以降、カトリック教会もマグダラのマリアを「罪深い女」から区別し、その地位の見直しが始まった。
福音書中の聖女
四福音書中の記述
マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。そして、復活したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められる。『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」 (the Apostle to the Apostles) と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。
マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。マタイによる福音書によると、それは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなく、天使にイエスの復活を告げ知らされた婦人たちは テンプレート:Quotation しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。 テンプレート:Quotation テンプレート:Quotation
また、他の弟子たちにイエスの復活を告げ知らせるようにと言われたのである。
外典の記述
20世紀になって、『(マグダラの)マリアによる福音書』(断片のみ)、ナグ・ハマディ写本からは『トマスによる福音書』、『フィリポによる福音書』などが発見された。
これら外典の中にマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子のみならず、男性たちと並ぶイエスの弟子として現れる。これら最新の聖書研究はイエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。[2]
外典の記述については外部リンクを参照。
伝説
マグダラのマリアは古来より東方教会・西方教会いずれの教会でも崇拝されてきたが、ことにカトリックでは特有の多くの伝説で彩られている。
カトリックの伝説は、マグダラのマリアとベタニアのマリアとを同一人物としている。いっぽう正教会は、ベタニアのマリアは別人としており、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたと信じられている。
正教会での伝承の概略
[3]マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。
- 主の升天後、生神女(聖母マリア)や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主の復活を伝え、第一の証人となった。
- 神の道を伝えるために、方々を旅した。
- ローマへ行き、皇帝ティベリウスに会って紅い鶏卵を献上し、ハリストス(キリスト)の復活を伝え、主の十字架の死を物語り、ピラトによるイイスス・ハリストスの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶(復活大祭)に鶏卵を贈る習慣が始まった。
カトリック教会での伝承の概略
四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。その中のベタニアのマリアなどがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。それゆえ図像ではアラバスターの香油壺を手にする姿が代表的。
伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』 (Golden_Legend)などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。娼婦をも意味する「罪の女」(the Sinner)との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。(罪の女を参照。)
イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボーム[4]に葬られたと信じられた。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張している。しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。
名前の由来
ガリラヤ湖沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」と呼ばれたとするのが通説である。しかし、これには疑問も持たれている。
- 『ルカによる福音書』では「マグダレネと呼ばれるマリア」(8:2)とだけあり、出身地に言及していない。[5]
- カトリック教会はベタニアに住むマリアと同一人物と教えていたことがあった。
- マグダラという地名は『マタイによる福音書』(15:39)に登場する[6]。しかし、2、3の候補地はあるものの、その位置は確定されていない。
- 上記2の問題については、ウァラギネの『黄金伝説』が答えている。すなわち、当のマリアはベタニアに住み、親から譲り受けたマグダラの土地の領主であった。
- 「ヘアー・ドレッサー」を意味するヘブル語「メガデラ・ネシャヤ」から来ており、これは身持の悪い女を暗喩すると、17世紀にJohn Lightfootが唱えた。[7] (Yeshuのben-Stadaの項参照)
- 「塔」を意味するアラム語「ミグダル」あるいはギリシア語「マガダン」に由来し、彼女の揺るがぬ堅い信仰のゆえに名付けられたと、4-5世紀の神学者ヒエロニムスは示唆した。
名前の由来ひとつ取っても、彼女のイメージがさまざまであったことが分かる。
娼婦だったか?
『ルカによる福音書』が紹介するものは次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。
- イエスに七つの悪霊を追い出していただいた
- マグダレネと呼ばれるマリア
- そのほか多くの婦人たちと一緒に
- 自分の持ち物を出し合って
- 一行に奉仕していた
- ガリラヤから付き従ってきた
カトリック教会では一時期、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。(「罪の女」を参照)
この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。
いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われており、彼女が娼婦の出身であると広く信じられていたわけではなさそうである。諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものは、あまり見受けられない。 しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。 [8]
イエスと結婚していた?
さきの『最後の誘惑』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとの間の娘をサラとした。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。
結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。そもそも西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があるのである。古くから中心的な宗派以外は、異端として迫害されたり証拠品を焼き払われたりしてきた歴史がある。迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきた。明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換え、そして迫害が行われてきた。この結婚という内容もその隠蔽の1つとみられている。イエスの結婚を巡り、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。 [9]
世論の変化より第2バチカン公会議を受けて1969年にカトリック教会がマグダラのマリアを「罪深い女」から区別するなど、その地位の見直しが始まった。20世紀の半ばに、異端の書としてこれまで姿を消していた書物がナグ・ハマディ写本の発見など、その姿を現してきた。そんな世論の中、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」と、エレーヌ・ペイゲルス(Elaine Pagels)は指摘した。ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアがイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と。しかし、史実の対象となる古書の中にイエスが結婚をしていないという具体的な表現もなく、重要な文書が削除され教義が歪曲されたとも解釈できる。太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。 [10]
キリスト教美術における表現
マグダラのマリアは西欧キリスト教美術において、聖母と並ぶ重要な聖書の登場人物である。聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれた。聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。但し、東方教会・正教会においてはマグダラのマリアにつき西欧で伝承されたようなマグダラのマリア理解の伝統は生まれなかった。
西欧キリスト教美術において
以下、西欧のキリスト教美術における伝統につき詳述する。
概要
- 宗教画においてルネサンス以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。
- 画題はイエスの受難、すなわち『十字架の道行き』や『磔刑』、『降架』、『ピエタ』、『埋葬』、『磔刑図』、『イエスの復活の場面』の各場面の情景で聖女マグダラのマリアが多く描かれる。
- 多くの宗教画おいては聖母マリアがイエスに近い構図に、マグダラのマリアはイエスの足もと近くの構図へ配置される。
- 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』(Noli me tangere)がある。復活したイエスに気付き、マグダラがすがろうとするのをイエスが台詞とともに制する様子(ヨハネ20:17)である。
- 聖人群像画である『聖会話』などでも他の聖女らの中でそれと判るように、マグダラのマリアはトレードマーク(アトリビュート)である香油壺を手に持つことが多い。幼子イエスを抱く聖母マリアを中心とする聖人群像画『聖母子と聖会話』での主な人物は洗礼者ヨハネであり、周囲の人物にマグダラのマリアが描かれることもある。
- マグダラのマリアのみを描く宗教画は、とくにルネサンス以降の西欧を中心に『マグダラのマリアの悔悛』という主題で多く制作された。晩年の苦行、隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれる(正教会ではエジプトの聖マリアも肌をある程度露出した姿で描かれる)。隠修生活中でしばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして『マグダラのマリアの昇天』という主題でも描かれる。
絵画・最後の晩餐
『最後の晩餐』(さいごのばんさん、伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。
小説『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。
しかし、使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統であり[11]、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の記載は適切な解釈ではない。 『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。
この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている(13:23-26)。 この「イエスの愛しておられた弟子」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれていており、最近になって明らかになったものでもない。
東欧の正教会美術において
東方のキリスト教におけるマグダラのマリアを巡る事情は西欧とはかなり異なる。
そもそも東方教会・正教会において、イコン以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「生神女(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、エジプトのマリアである。
西欧における聖女に因む名前
- 聖女マグダラのマリアに因んで女の子にその名が付けられることも多い。したがって同名の別人も多い。英語では 「メアリ・マグダレーン」(Mary Magdalene)。映画にもなったジューン・ゴールディング著『マグダレンの祈り』は聖女の名を冠する修道院を舞台とする。
- フランス語では「マリー・マドレーヌ」(Marie Madeleine) となる。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂、パリのマドレーヌ寺院はこの聖女を祭る。お菓子のマドレーヌもこの名に由来する。
- 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」(Marlene)。マレーネ・ディートリッヒもこの名前である。イタリア映画『マレーナ』もこの名前を持つ、美しくも運命に翻弄されるヒロインを描き、モニカ・ベルッチがその役を演じた。[12]イタリア語では「マリア・マッダレーナ」(Maria Maddalena)。ちなみにモニカ・ベルッチは映画『パッション』でもマグダラのマリア役を演じている。
- マリリン・モンローの「マリリン」もこの愛称。
- 現スウェーデン国王カール16世グスタフの末娘であるマデレーンはファッション雑誌の表紙モデルを務めるなど、その美貌が人気となる。
- ノルウェーの女性シンガーソングライター、レネ・マーリン(Lene Marlin Pedersen)もこの名前。すなわちレネもその愛称。彼女のデビュー・シングル『Unforgivable Sinner』(邦題:天使のように...)のSinnerは聖女の異名「罪の女」を意味する。
- 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。また地名も多くある。
脚注
関連書籍
- 岡田 温司 『マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女』 中央公論新社〈中公新書〉、2005年、ISBN 4121017811。
- マーガレット・スターバード 『マグダラのマリアと聖杯』 英知出版、2005年、ISBN 4754220404。
- 月本昭男/山野貴彦/山吉智久 『図説聖書の世界』 学習研究社、2008年、ISBN 4054037809
関連項目
外部リンク
- MAGDALENE.ORG(英文)
- "Saint Mary Magdalene." Encyclopædia Britannica Online
- "St. Mary Magdalen", Butler's Lives of the Saints
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- ↑ 『諸聖略伝 八月』(日本ハリストス正教会教団発行)、および『The Orthodox Study Bible』ルカ福音書7章36節から50節の注解:1378頁(英語:『正教聖書研究』ISBN 978-0-7180-0359-3)にも、罪の女(Sinful Woman)とマグダラのマリアを同一視する見解は皆無である。
- ↑ 『マグダラのマリア、第一の使徒 - 権威を求める闘い』 (A.G.ブロック/吉谷かおる訳 新教出版社 2011年) 「罪の女として記憶されてきた女性の初代教会における真の地位を復元し、権威をめぐるジェンダー間の闘争の跡を綿密な考証によって解明した」*帯紙説明文より
- ↑ 出典:『諸聖略伝 八月』(日本ハリストス正教会教団発行)
- ↑ fr:Basilique_Sainte-Marie-Madeleine_de_Saint-Maximin-la-Sainte-Baume
- ↑ 新共同訳では「マグダラの女と呼ばれるマリア」と訳されているが、これはマグダラ出身の女と解釈した上での翻訳。
- ↑ 新共同訳では「マガダン地方」
- ↑ もともとはユダヤ教の文書タルムードの中で、イエスの母マリアについて使われていたもの(Sanhedrin 67a and Chagigah 4b of the Babylonian Talmud)をJohn Lightfootが発見した。 Catholic Encyclopediaもこの説を紹介している。
- ↑
- キング・オブ・キングス(1961年)
- 偉大な生涯の物語(1965年)
- ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年)
- 最後の誘惑(1988年)
- いずれもアメリカ映画。
- サイモン・コックスによる『ダ・ヴィンチ・コードの謎』(2004年)では、研究者リン・ピクネットによるとマグダラのマリアはエジプト人かエチオピア人であり、有色人種だった可能性があるという。
- ↑ この中でマグダラのマリアが2カ所で触れられており、1カ所では「イエスの伴侶」と紹介されている。 テンプレート:Quotation もう1カ所では、弟子たちすべてよりイエスが彼女を愛しているのを見て、弟子たちはその理由を求める。 テンプレート:Quotation 正式な夫婦と認められていたとすれば、弟子たちの問いはやや妙である。妻ではなかったと主張される場合の根拠としては、「伴侶」とされる箇所は原典のコプト語では単なる「連れ」であり、配偶者の意味はないということ。また、接吻についても、グノーシス文書において、接吻は特に性的な意味がなく、イエスは男性信者に対しても接吻をしていたことが挙げられる。
- ↑ There’s something about Mary, April 11, 2006, Minesota Women's Press
- ↑ ヨーメ・セッラによるもの (14世紀末ごろ)や ジョット工房によるもの(14世紀初頭)など。 「イエスの愛しておられた弟子#使徒ヨハネとマグダラのマリア」も参照のこと
- ↑ 『マレーナ』作中では、裁判にかかったマレーナが自らの正式名を「マグダレーナ」と名乗るシーンがある。