ナグ・ハマディ写本
ナグ・ハマディ写本あるいはナグ・ハマディ文書(The Nag Hammadi library)は1945年に上エジプト・ケナ県のテンプレート:仮リンク村の近くで見つかった、パピルスに記された初期キリスト教文書。
概要
農夫ムハンマド・アリ・サマン(Mohammed Ali Samman)が壷におさめられ、皮で綴じられたコデックス(冊子状の写本)を土中から掘り出したことで発見された。写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。ナグ・ハマディ写本研究の第一人者テンプレート:仮リンク(James M. Robinson)による英語版の『ナグ・ハマディ写本』の解説では、本書はもともとエジプトのパコミオス派(テンプレート:仮リンクがはじめた共住修道生活(cenobitism)を行うグループ)の修道院に所蔵されていたが、司教であったアレクサンドリアのアタナシオスから367年に聖書正典ではない文書を用いないようにという指示が出た[1]ために隠匿されたのではないかとしている。
写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。このことから本写本の成立はギリシャ語で『トマスによる福音書』が書かれた80年以降、すなわち1世紀から2世紀で、土中に秘匿されたのが3世紀から4世紀であるとみなされている。
ナグ・ハマディ文書そのものは現在カイロのテンプレート:仮リンクに所蔵されており、日本語を含む各言語に翻訳されている(日本語版は1997年から1998年にかけて岩波書店から全四冊で出版されている)。
発見の経緯
文書発見の経緯は1945年12月、エジプト人農夫がナイルのほとりテンプレート:仮リンク村に近いハムラ・ドム(Hamra Dom)で肥料に使う土を得るため、洞窟の内部の土を掘っていたところ、偶然土中から壷を掘り出したことにさかのぼる。農夫は文書を秘匿し、密かに売却しようと考えた。
しかし、古文書発見のうわさは徐々に広まっていたため、1946年に彼が事情あって村を離れることになったとき、コプト派のある司祭に文書を託した(この部分の記述は研究家テンプレート:仮リンク(Christoph Markschies)の2000年の著作『グノーシス主義入門』による[2])。司祭の義理の兄弟はこの文書の一部をコプト博物館に売却した(これがコデックスIIIにあたる)。同博物館の研究員だったジャン・ドレーセ(Jean Doresse)は同文書の重要性を初めて認識し、1948年にその内容を公開した。件の司祭は写本を骨董商に売却していたが、エジプト政府によって買い取られ、1956年にガマール・アブドゥル=ナーセルが政権につくと国有財産としてコプト博物館に収められた。だが、一つだけ国外に流出した写本があった。それはベルギーの骨董商に買い取られたもので、最終的にチューリヒのカール・グスタフ・ユング財団が買い取って1951年に心理学者のカール・グスタフ・ユング当人に寄贈している。この写本(コデックスI)はこうしてユング・コデックスと呼ばれるようになった。
1961年にユングが亡くなると写本の扱いを巡って議論が起こったが、最終的に1975年にコプト博物館へ寄贈された。こうして1945年の発見以来、30年ぶりにカイロに全ての写本が揃うことになった。それは11の写本および二つの断片からなり、総ページ数は1000ページにも及ぶ[3]
各言語への翻訳
1956年、カイロでユング・コデックスに含まれる写本の一部が初めて翻訳・出版された。ファクシミリ版の出版も計画されたが、エジプトの政治状況が不安定だったため、遅々として進まなかった。
1966年にイタリアのメッシーナでグノーシス主義の研究者たちによるシンポジウムが開かれ、そこでグノーシス主義の研究のためにナグ・ハマディ写本を早急に公開することが求められた。シンポジウムのまとめ役だった研究者のジェームズ・ロビンソンはアメリカのクレアモント大学キリスト教研究所の協力を得て、ナグ・ハマディ写本の英訳の出版を推し進めることになった。1970年には国際連合教育科学文化機関とエジプト政府の文化庁が共同で立ち上げたナグ・ハマディ文書委員会の委員長にロビンソンが選ばれた。同時に待望のファクシミリ版が1972年から1977年にかけて徐々に公開され、1979年と1984年に相次いでオランダ、ライデンのE.J.ブリル(E.J. Brill)によって出版された。
ファクシミリ版の出版によって各言語への翻訳が本格化した。ロビンソンは1977年にブリルとアメリカの出版社テンプレート:仮リンク(Harper & Row)の共同出版という形で英語版を出版。1981年から1984年にかけてペーパーバック版も出版された。最終的に1988年に校訂版が出版された。1987年にはエール大学のテンプレート:仮リンクによっても英語版(The Gnostic Scriptures: A New Translation with Annotations (Garden City: Doubleday & Co., 1987)が出版されている。
テンプレート:仮リンク(Alexander Bohlig)、マルティン・クラウゼ(Martin Krause)ら西ドイツの研究者たちも早くから翻訳を進めていたが、2001年にようやくドイツ語版の完全版が出版されている。
日本語版は1997年から1998年にかけて荒井献、小林稔らの手によって岩波書店から全四巻で出版されている。
各コデックスの内容
- コデックスI(ユング・コデックス)
- 使徒パウロの祈り
- ヤコブのアポクリュフォン
- 真理の福音
- 復活に関する教え
- 三部の教え
- コデックスII
- ヨハネのアポクリュフォン
- トマスによる福音書
- フィリポによる福音書
- アルコーンの本質
- この世界の起源について
- 魂の解明
- 闘争者トマスの書
- コデックスIII
- ヨハネのアポクリュフォン
- エジプト人の福音書
- 聖なるエウグノストス
- イエスの知恵
- 救い主の対話
- コデックスIV
- ヨハネのアポクリュフォン
- エジプト人の福音書
- コデックスV
- エウグノストス
- パウロの黙示録
- ヤコブの黙示録一
- ヤコブの黙示録二
- アダムの黙示録
- コデックスVI
- ペトロと十二使徒の言行録
- 雷、全きヌース
- 真正な教え
- われらの大いなる力の概念
- プラトンの『国家』の一部 - 本来グノーシス主義とは無関係だが、ここに収められている版はかなりグノーシス寄りに改変されている。
- 第八の教え、第九の教え - ヘルメス文書の一部
- 感謝の祈り - ヘルメス思想による祈り
- アスクレピオス21-29 -ヘルメス思想に属する教説
- コデックスVII
- シェームの釈義
- 偉大なるセツの第二の教え
- ペトロの黙示録
- シルワノスの教え
- セツの三つの柱
- コデックスVIII
- ゾストゥリアノス
- 使徒ペトロのフィリポへの手紙
- コデックスIX
- メルキゼデク
- ノレアの思想
- 真理の証言
- コデックスX
- マルサネース
- コデックスXI
- 知識の解明
- ヴァレンティアヌス派の解説
- アロゲネース
- ヒュプシフロネー
- コデックス XII(断片)
- シクストゥスの言葉
- 真理の福音(断片)
- 断片
- コデックス XIII(断片をまとめたもの)
- 三つのプロテノイア
- この世界の起源について
脚注
- ↑ NPNF2-04. Athanasius: Select Works and Letters - Christian Classics Ethereal Library
- ↑ Markschies, Christoph (trans. John Bowden), (2000). Gnosis: An Introduction. T & T Clark.
- ↑ マークスキース、上掲書、p48
参考文献
- 荒井献他訳、『ナグ・ハマディ文書』全四巻、岩波書店、1997年~1998年
- テンプレート:仮リンク(Elaine Pagels)、荒井献、湯本和子訳、『ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端』、白水社、ISBN 4560028990