コプト正教会
コプト正教会(コプトせいきょうかい、コプト語:テンプレート:Coptic、英語:Coptic Christianity、Coptic Orthodox Church)は、キリスト教・非カルケドン派(東方諸教会)の一つであり、エジプトで発展した教会。コプト教会とも。
尚、カトリック・コプト教会は東方典礼カトリック教会であって別の組織である。
概要
ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白し、マリアを神の母として崇敬する。『マタイによる福音書』に聖家族のエジプト逃避の記事が有ることから、コプト教会に於けるマリア崇敬は極めて盛んである。
単性論を採ると言われる事があるが、コプト正教会は自身の教説が単性論と看做されるのを拒絶しており、「単性論教会」を自称しない。カルケドン公会議(第四全地公会議)を承認しない事で分離した教会である為、より中立的な呼び名・分類としては非カルケドン派がある。 相互領聖関係(=教派間において、主の晩餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派であるアルメニア使徒教会、シリア正教会、エチオピア正教会との間でフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。ギリシャ系の正教会など他のカルケドン諸派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。
教会の代表者はアレクサンドリア教皇並びに聖マルコ大主教管区総主教(コプト教皇)である(但しアレクサンドリア総主教などは、コプト教だけではなく東方正教会などの教派ごとに存在する)。2012年3月17日、教皇であったシェヌーダ3世が死去。2012年11月4日、第118代教皇にタワドロス主教がタワドロス2世として選出された。
沿革
伝承では1世紀(42年頃)にマルコがエジプト(アレクサンドリア)に立てた教会(アレクサンドリア教会)である。451年のカルケドン公会議の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。
現在、エジプト・エチオピア及びエリトリア・アメリカ・オーストラリアを中心に、総計5千万人のコプト系キリスト教徒がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。20世紀にエチオピア正教会が分離したが、教理上の違いはない。
エジプトは憲法で信教の自由を保障しており、基本的にはムスリムとコプトの間で差別は無いことになっている。エジプトの大ムフティー(高位のイスラム法学者、指導者)であったアリー・ゴマアは、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とするファトワ(宗教令)を2007年に出している。これを根拠としてイスラームからコプトへ改宗する者がわずかながらも出てきている。しかし、少数派という現実と、ファトワがあるとはいえイスラームからコプトへの改宗は不可能とも言えるほど難しく[1]、事実上コプトからムスリムへの改宗のみが容認されていることから、ズィンミー制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。イスラーム教徒による宗教的迫害も参照。
日本国内における活動
2004年(平成17)から『聖ジョージ日本コプト正教会』が日本での礼拝を行っている。教会管区はオーストラリアのシドニー司教区に属する。日本におけるコプト信者は少人数。エジプト人、スーダン人、エチオピア人のコプト信者が留学で来日している。その他、仕事や結婚で来ているエジプト人コプト信者が日本にいる。また、エジプトにて信仰を知り、入信した日本人信者もいる。
エジプトにおける事件
ハーリド・サイード事件
アレキサンドリア在住のハーリド・サイードは、2010年6月6日午後11時過ぎ、自宅近くのインターネットカフェにいたところを突然2人の私服警官に取り押さえられ、殴るけるの暴行を受けた。集まった群衆の中にいた医師がハーリドの死亡を確認。
警官の暴行によってあごを割られ、後頭部から出血したことが死因であると遺族は主張。12日、エジプト内務省は「強盗容疑などで指名手配中」というハーリドを地元警察の捜査員が発見し逮捕しようとしたが、麻薬入りの袋を飲み込み窒息死したとした上で、「自殺」と断定した。これに対して地元メディアが「当局の人権弾圧の象徴」として大々的に報道したことに加え、地元NGOや国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも徹底調査を要請。これを受けて、検察当局は遺体解剖の手続をとるなど、再捜査を開始した。[2]
コプト教会爆破事件
テンプレート:Main 2011年1月1日、アレクサンドリアの教会前で自動車に仕掛けられた爆弾が爆発し、教会と付近のモスクが激しく損傷を受けた。この爆発で少なくとも21人が死亡、79人が負傷。負傷者8人にはムスリムも含まれている[3][4]。
この事件に対し、当日にはアレクサンドリアで、翌日2日にはカイロで、コプト教徒が抗議デモを行い、参加者の一部は暴徒化した。弔問に訪れてシェヌーダ3世と会談したオスマーン・ムハンマド・オスマーン経済開発相らが乗った乗用車にも投石が行われたほか、暴徒化した1,000人ほどが現地警察機動隊と衝突し、投石が行われた。警察官40人ほどが軽傷を負ったと報道されている[4]。
1月2日には、犠牲者を悼む礼拝がアレクサンドリアの教会で行われた。このとき教会前で爆発事件に対する抗議デモを行っていた数百名が警察に排除され、近くのゴミ箱に火をつけるなどの騒ぎがあった[4]。
捜査当局は約20人を拘束して取調べを行っているが、1月2日の段階で事件への直接的関与を示す証拠は出ていない[4]。
ホスニー・ムバーラク大統領は、今回の事件に外国人が関与していることを述べ、内務相はアルカーイダなど外国のイスラム系武装勢力が関与している蓋然性を示唆している[4]。
エジプトのメディアは、エジプト国内のムスリムとキリスト教徒が衝突が拡大すれば宗教的内戦の危険があると懸念し、エジプト人口8,000万人のうち約1割を占めているコプト教会信徒が少数派として差別されていると訴えている現状につき、政府は改善を行うべきであると提言している[4]。
著名な信者
- ブトロス・ブトロス=ガーリ - 元国際連合事務総長
- ハニ・ラムズィ - 元プロサッカー選手、サッカー指導者
- ラフィーク・ハビーブ - 自由公正党副党首。コプト教徒だが、ムスリム同胞団系の政党幹部をつとめている。
- ナギーブ・サウィーリス - 実業家。自由エジプト人党を結成。北朝鮮と親密。
- サラーマ・ムーサ - ジャーナリスト
脚注
関連項目
外部リンク
- Wolfgang Kosack: Der koptische Heiligenkalender Deutsch - Koptisch - Arabisch nach den besten Quellen neu bearbeitet und vollständig herausgegeben mit Index Sanctorum koptischer Heiliger, Index der Namen auf Koptisch, Koptische Patriarchenliste, Geografische Liste. Christoph Brunner, Berlin 2012, ISBN 978-3-9524018-4-2.
- Wolfgang Kosack, Novum Testamentum Coptice. Neues Testament, Bohairisch, ediert von Wolfgang Kosack. Novum Testamentum, Bohairice, curavit Wolfgang Kosack. / Wolfgang Kosack. neue Ausgabe, Christoph Brunner, Basel 2014. ISBN 978-3-906206-04-2.
- コプト正教会・礼拝風景(聖体礼儀=聖餐式) その1 Mary and Archangel Michael Church in Houston ,USA
- コプト正教会・礼拝風景(聖体礼儀=聖餐式) その2 The Heavenly Cathedral in Sharam El-Sheikh South Sinai ,Egypt
- Coptic Orthodox Japan Network コプト正教会ネットワーク
- Coptic Orthodox Church Network
- The Christian Coptic Orthodox Church Of Egypt
- Egyptian Christianity(日本語)