フェルディナン・ド・ソシュール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月29日 (火) 15:34時点における英丸 (トーク)による版 (生涯)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:参照方法 テンプレート:Infobox 哲学者 フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857年11月26日 - 1913年2月22日)は、スイス言語学者言語哲学者記号論基礎付け、後の構造主義思想に影響を与えた。

近代言語学の父」といわれ、言語学者のルイス・イェルムスレウロマーン・ヤーコブソンのほか、クロード・レヴィ=ストロースモーリス・メルロー=ポンティロラン・バルトジャック・ラカンジャン・ボードリヤールジュリア・クリステヴァノーム・チョムスキー等多くの思想家がその影響を受けている。

生涯

1857年11月26日スイスジュネーヴに生まれる。ソシュール家16世紀フランスから移住してきた名家で、物理学生物学を中心に多くの学者を輩出して来た一家であった。自然科学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュールは曾祖父、有機化学者・植物生理学者ニコラス・テオドール・ド・ソシュールは祖父、弟には"アンティード"の筆名で活動したエスペランティストルネ・ド・ソシュールRené de Saussure1868年1943年)がいる。

1870年からギリシャ語を学び、1873年ギムナジウムに入る。1876年パリ言語学会に入会し、10代にして数々の発表を行って名声を高める。この頃、ライプツィヒ留学する。

1878年暮れ、論文Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européenes[1]』(印欧語族における母音の原始的体系に関する覚え書き)を発表する。これは、ヨーロッパ圏の諸語の研究から、それらの祖となった印欧祖語の母音体系を明らかにしようとしたものである。この論文において半ば数学的な導出によりソシュールが提出した喉頭音仮説が、後にヒッタイト語解読によって実証され、これが20世紀の印欧祖語研究に大きな影響を与えることになる。

1878年7月にベルリンを訪れ、1879年暮れまでそこに滞在する。1880年からは再びライプツィヒに戻り、ライプツィヒ大学卒業。

2月に論文『De l'emploi du génitif absolu en sanskrit』(サンスクリットにおける絶対属格の用法について)をライプツィヒ大学に提出して博士号を得る。

1880年からパリに滞在する。1881年パリ大学ミシェル・ブレアル講義を聴講し、才能を認められて同大学の「ゴート語および古代高地ドイツ語」の講師となる。そこで10年間に渡って教鞭をとった後、ジュネーヴに戻る。1906年ジョセップ・ウェルトハイマーの後を受けて一般言語学について1906年-1907年1908年-1909年1910年-1911年の三度にわたって講義を行う。

20世紀に入ったころから彼にとって言語学は中心的な興味の対象ではなくなり、もっぱら『ニーベルンゲンの歌』の研究やアナグラムに取り組むようになる。1912年健康を害して療養に入り、1913年2月22日に死去した。テンプレート:没年齢

ソシュールの言語理論

ソシュールは言語を考察するに当たって、通時言語学/共時言語学、ラング/パロール、シニフィアン/シニフィエなどの二分法的な概念を用いた。

通時言語学と共時言語学

ソシュールは言語学を通時言語学共時言語学に二分し、従来の比較言語学を言語の歴史的側面を扱う「通時言語学」と規定し、それに対し、言語の共時的(非歴史的、静態的)な構造を重視したことで知られる(しかし、生前の学術研究成果のほとんどは、印欧語の比較言語学的研究に関するものである)。すなわち、それまでのように言語の起源や歴史的推移を問題にするだけではなく、ある一時点における言語の内的な構造をも対象にすることで、全的に言語を理解することになると考えた。

ラングとパロール

また、共時言語学(記号論)においては、言語の社会的側面(ラング語彙文法など、社会に共有される言語上の約束事。コード)と言語の個人的側面(パロール、「今日は暑い」とか、「私はを食べたい」といった個人的な言語の運用。メッセージ)に二分し、「ラング」を共時言語学の対象とした。

シーニュ、シニフィアンとシニフィエ

テンプレート:See also その上で、言語(ラング)を記号シーニュfr:signe)の体系と規定した。ソシュールにおいて、記号とはシニフィアン(例えば日本語の「イ・ヌ」という音の連鎖。「記号表現」「能記」と訳す。)とシニフィエ(例えば「イヌ」という音のあらわす言葉の意味、すなわち概念。「記号内容」「所記」と訳す。)が表裏一体となって結びついたものと規定した。さらにこの「イ・ヌ」という音の連鎖(シニフィアン)と「イヌ」という音の連鎖の表す概念(シニフィエ)の結びつき方はデタラメつまり恣意的なものであるとした。つまり「イヌ」の概念は"Dog"(英語)というシニフィアンと結びついても、"Chien"(フランス語)というシニフィアンと結びついてもよいということである。

二重分節

さらにソシュールは、音韻においても概念においても、差異だけが意味をもち、その言語独特の区切り方を行っているという。

音韻の面でいえば、例えば日本語では五十音のように音を区切っている。そこに於いては「ア」の音は「ア」以外の音(イ、ウ、エ、オ、……)と区別される音としてのみ意味を持つ。そして、音の区別の仕方は言語によって異なる。 例えば、日本語の音韻体系においては、英語における「r」と「l」にあたる音の区別がない。本来ならば無限に分類できそうな多様な音を、有限な差異によって分類される有限数の音に、各言語の話者族は自己固有の仕方(つまり人類に共通普遍的・必然的とは言えない仕方で)区分けしている。これは現在では"言語の音声面での恣意性"などと表現する。

その一方で、人間は概念も言語によって区切っている。例えば「イヌ」という言葉の概念は、「イヌ」と区別されるすべての他の概念(非イヌ=ネコ、ネズミ、太陽、工場、川、地球……)との差異のみにおいて存立している。このようにして、人間は、「シーニュ」という「概念の単位」によって現実世界を切り分けているのである。その切り分け方は人類普遍ではない。例えば虹の色は物理学的には無限にあるわけだが、日本語では「七色」に切り分けている。言葉の数が有限だからである。「三色」にしか分けない言語もある。つまり色を表す言葉の数によって、虹の色の区切り方が違うからである。また、例えば、日本語では「マグロ」と「カツオ」を別の言語で表現するが、英語では両方とも"tuna"である。これは、どのような差異を有意味なものと考え、どのような差異を無視するかについての、各言語話者族の固有の恣意的な選択として理解される。その選択がその言語に固有の語体系を作り、その語体系はまた逆に、その言語の話者族に、彼らの生きる現実世界を築いて与える。この語体系の固有性を成す側面をソシュールは、"価値"と呼んでいる。価値は話者族の恣意によるという意味で恣意的なのである。この場合、意義は話者族間に共通普遍のほうへ寄った側面である。英語のsheepとフランス語のmoutonは、意義が同じでも価値が異なる、というように表現できる。ここでソシュールは、「各民族語は相互に異なる固有の世界像を持つ」という言語相対論にある。

このように分類・区別という、線引きの集まりを恣意的につくりあげる行為は分節と呼ばれるようになった。現実世界の認識の体系も、言葉を構成する音も、人間はそれら二つの体系を"分節"によって作りあげていることになる。これを二重分節という。線引きが恣意的であることを、後にあえて"差異の体系"などと呼んだ評論家もいるが、それでは力点の置き方が異なってしまい、ソシュールの意図からは外れることになる。

ランガージュ

ソシュールはこのように音韻や概念を分節し、言語を運用する人間の能力をランガージュと呼んだ。ランガージュを所有することにより、人間は「今日は暑い」とか「私は鰻が食べたい」といった個人的な言語の運用(パロール)が可能になるのである。ソシュールは「ランガージュは、人類を他の動物から弁別するしるしであり、人間学的なあるいは社会学的といってもよい性格を持つ能力である」と述べている。

いわゆる記号論について

ソシュールの指摘によって、恣意的な関係性シーニュ」の概念が、言語学の分野において指摘されたことをきっかけとして、同様の恣意性が、言語に限らず様々な象徴や指標でも見出されることが、(ダルシャナを知らなかった)ヨーロッパの人々にも、遅ればせながら意識されるようになった。「シーニュ」の概念は、言語に関する理論にとどまらず、他の論者・評論家たちによっても類推・拡張的に利用され、次第に記号論あるいは記号学と呼ばれる一連の論・評論へと発展してゆくことになった。

一例を挙げると、後の記号論者には、あるブランドに特定のイメージが関連づけられる仕方は、概ね恣意的なものであり、他の類似ブランドとの差異の体系を形成している、ということを指摘した者(例:ボードリヤール消費社会の神話と構造」)もいる。

同様に映画や小説の作品を、作者の個人的な生い立ちや意図ではなく同時代の関連作品との"差異の体系"などとして読み解こうとする後の評論家らによる「間テクスト性の分析」(ロラン・バルト、主にジュリア・クリステヴァ)も元をただせばソシュールの提示した概念に負うところが大きい。

また、クロード・レヴィ=ストロースは記号論的な考え方を文化人類学の領域に導入し、構造主義思想を確立した。その影響は20世紀哲学数学精神分析学文芸評論マルクス主義思想生物学にまで及んでいる。

講義ノートと原資料

ソシュールは存命中一冊の著書も出版しなかった。晩年の1906年から1911年にかけて、計三回ジュネーヴ大学で行われた一般言語学についての講義を、後にソシュールの弟子ではあったバイイとセシュエがまとめた書『テンプレート:仮リンク』(テンプレート:Lang-fr-short)がある。ただし、彼らはこの講義をジュネーブ大学の別の講義に出席したため直接聴いていない。また直接講義を受けた学生による講義ノートがエディット・パルクから第一回から第三回まで全て出版している。

1954年頃からジュネーブ公共大学図書館でソシュールの講義ノート等の資料が収集され、1957年にゴデルにより『一般言語学講義の原資料』、1968年にエングラーにより『一般言語学講義』改訂版が刊行される。

日本への紹介は、小林英夫による邦訳初版が、ソッスュール述『言語學原論』と題して1928年に岡書院から出版。その後、出版元を岩波書店に変え、1972年刊行の改訳版で『一般言語学講義』と改題出版された。丸山圭三郎は「ソシュールの思想」と「ソシュールを読む」を刊行。その精緻な研究によってソシュールが歪曲されたまま伝えられたことを指摘した。

脚注

  1. 論文はガリカフランス国立図書館によるデジタル図書館サイト)で公開されている。[1]

参考文献

  • 『一般言語学第一回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2008年 ISBN 9784901188067
  • 『一般言語学第二回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2006年 ISBN 4901188054
  • 『一般言語学第三回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2003年 ISBN 4901188038
  • 『言語學原論』フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岡書院、1928年。
    • 本書では「ソッスュール」と表記。改版新訳の初版(1940年刊)以降は岩波書店より刊行。
  • 『一般言語学講義』Cours de linguistique générale フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岩波書店、1972年。
    • 『言語学原論』を改版新訳の上改題。
  • 丸山圭三郎『ソシュールの思想』、岩波書店、1981年 ISBN 4000012207
    • わが国のソシュール解説として代表的なもの
  • 丸山圭三郎編『ソシュール小事典』、大修館書店、1985年 ISBN 4469042439
    • ソシュールの思想の用語解説、生涯、影響等が記載
  • 「ソッスュール『言語学原論』を繞って」『本屋風情』岡茂雄著、平凡社、1972年、129~132頁。

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Normdaten