ファンタジスタ (漫画)
テンプレート:Infobox animanga/Header テンプレート:Infobox animanga/Manga テンプレート:Infobox animanga/Manga テンプレート:Infobox animanga/Manga テンプレート:Infobox animanga/Footer 『ファンタジスタ』は、草場道輝による日本のサッカー漫画作品。
続編『ファンタジスタ ステラ』の詳細は後述を参照。
目次
- 1 概要
- 2 あらすじ
- 3 カンピオーニ
- 4 ファンタジスタ ステラ
- 5 ストーリー
- 6 登場人物
- 6.1 主要人物
- 6.2 水本高校
- 6.3 帝東高校
- 6.4 天神高校
- 6.5 丞南高校
- 6.6 陵東高校
- 6.7 金町高校
- 6.8 久慈山高校
- 6.9 堀川学園
- 6.10 ACミラン
- 6.11 インテル・ミラノ(エンター・ミラノ)
- 6.12 ACチェゼーナ
- 6.13 CSKAモスクワ
- 6.14 アンジ・マハチカラ
- 6.15 R(リアル)・マドリッド
- 6.16 バルセロナ
- 6.17 日本代表
- 6.18 イタリア代表
- 6.19 ブラジル代表
- 6.20 パラグアイ代表
- 6.21 メキシコ代表
- 6.22 FCベルーガ
- 6.23 八丈島高校
- 6.24 マスコミ
- 6.25 エミリオ・デ・アミチーズ高校
- 6.26 その他
- 7 アニメ
- 8 脚注
- 9 外部リンク
概要
「優れた技術を生かし意外性のあるプレーを行うサッカー選手」を意味する[1]、ファンタジスタに焦点を当てた作品。離島で生まれ育ち一人で技術を磨いていた主人公の少年が卓越したボールテクニックを生かして、高校サッカーを経てU-18代表に選ばれた後に、単身イタリアに留学。U-18代表時代のチームメイトらと共に五輪代表としてオリンピックの舞台で活躍するまでを描いた、正統的なサッカー漫画[2]。『週刊少年サンデー』(小学館)にて1999年から2004年まで全222話が連載された。単行本は全25巻、文庫版は全13巻。2014年6月より単行本の復刻版が発売。
番外編として、『週刊ヤングサンデー』2006年20号に読切『カンピオーニ』が掲載された。
『週刊少年サンデー』2012年45号より、サッカー日本代表の本田圭佑を原案として迎え、前作から8年ぶりとなる続編、『ファンタジスタ ステラ』を連載開始した[3]。
あらすじ
九州の孤島で1人サッカーの練習をしていた少年、坂本轍平は高校サッカー部の監督をしている姉の琴音を頼って上京し、水本高校へ転校してくる。間もなく合流して試合に出場したてっぺいは幼馴染みの森川竜司が率いる帝東高校との試合でトリッキーなプレイを魅せ、視察に来ていたACミランのスカウトを虜にしてしまう。てっぺいはライバルたちとめぐり合う中、ファンタジスタとして成長して世界に羽ばたいていく。
カンピオーニ
2006年、『週刊ヤングサンデー』2006年20号(4月25日号)に掲載されたサッカー漫画。『ファンタジスタ』と同じ世界観であり、坂本琴音などがゲスト出演している。『ファンタジスタ ステラ』単行本第1巻に収録。
ストーリー(カンピオーニ)
伊豆諸島・八丈島の八丈島高校サッカー部に在籍する主人公・三原京介(みはら きょうすけ)が、全国高校選手権の東京都A代表を賭けて試合に望む。
ファンタジスタ ステラ
『週刊少年サンデー』2012年45号(10月10日号)より連載開始されたサッカー漫画[3]。
ステラとはイタリア語で恒星を意味する。前作『ファンタジスタ』の世界観を共有し、主人公の坂本をはじめとした登場人物たちが2014 FIFAワールドカップ出場を目指す[3]。
原案協力、および主人公の坂本と並ぶ「もう一人の主人公」役として日本代表の本田圭佑が参画しているが[3][4]、これは作者の草場と草場のファンだった本田が2009年に『ビッグコミックスピリッツ』誌上で対談したことをきっかけに、交流をもっていた縁によるものである[3]。作品内には、本田の経験や哲学が反映される予定となっており[4]本田は「作品に登場する自分から何かを感じとってほしい」とコメントしている[3][4]。
ストーリー(ステラ)
南アフリカ共和国で開催された2010 FIFAワールドカップで決勝トーナメント進出を果たした日本代表の中心には坂本轍平と本田圭佑がいた。2人は世界の強豪チームに対する手応えを感じたものの、同時に足りない部分も痛感し、ブラジルで開催される2014 FIFAワールドカップ優勝という目標のために、互いのさらなるレベルアップを誓う。他の代表メンバーたちも2人に触発され、それぞれの所属クラブで技術を磨きあう。
ストーリー
ここでは作中の時系列に沿って、そのストーリーについて紹介する。第1話から第136話までは「第○○○節」、イタリア編に該当する第137話以降からは「○○ā」という表示になり、「1ā」からカウントされる。
作中では連載当初は年代については不明瞭だったが、作中で開催されたアテネオリンピックを軸に、正確な年代が割り出されることになった。
- 2002年:てっぺい、高校1年生で水本高校に転校。JY杯開催。
- 2004年:オリンピックアテネ大会開催。
- 2010年:FIFAワールドカップ南アフリカ大会開催。
- 2014年:FIFAワールドカップブラジル開催。
日本編
- てっぺいの入部(第1節 - 第11節)
- 水本高校サッカー部で指揮を執る姉の琴音の誘いで上京したてっぺいは間もなく、インターハイ東京都予選の帝東戦に合流。出場するや否や、観客の度肝を抜くプレイを魅せ、観戦していたACミランのスカウトの心を掴む。しかし試合は敗戦し、水本の部員たちの間で不協和音が生じる。
- 天神高校との練習試合(第12節 - 第23節)
- 高校選手権東京予選を控えた水本は、遠征で上京していた天神と練習試合を行うことになる。圧倒的な実力の前に前半2点を取られて意気消沈する水本だが、一人気を吐いた福田のプレイにてっぺいたちは闘志を震わせ、2点を奪い返す。そこに代表合宿から合流した天神のエース・沖田が出場し、水本は再び追い込まれる。
- 選手権予選・地区大会(第24節 - 第33節)
- 天神との練習試合に善戦し、士気が上がる水本。間もなく地区予選を迎え、てっぺいの活躍もあって順調に勝ち進む水本の前に立ちはだかったのは、同地区のライバル・金町だった。
- ユース代表合宿(第34節 - 第55節)
- 1次トーナメントへの進出が決まった水本。小坂からトップ下へのコンバートを勧められたてっぺいは、JY杯に出場するU-18代表合宿に招集されることになる。Jヴィレッジでの合宿に参加したてっぺいは森川や沖田、高校生Jリーガーの近藤らとトップ下のポジションを争うことになる。
- JY杯(第56節 - 第99節)
- 厳しいサバイバル合宿を潜り抜け、登録メンバーに残ったてっぺいたちは国立西が丘サッカー場で開催されるJY杯に挑むことになる。イタリア代表の参加でヨーロッパのスカウトが注目する中、日本代表はメキシコとの緒戦を迎えることになる。
- 選手権・1次トーナメント・2次リーグ(第100節 - 第116節)
- JY杯から戻って来たてっぺいと共に、水本は1次トーナメントへ挑む。そこにACミランからのスカウトが来たてっぺいだが、姉を日本一にする目標からそれを断る。そして2次リーグへ進出した水本に立ちはだかったのは、帝東と並ぶもう一つの東京の雄・丞南だった。
- 選手権・決勝トーナメント(第117節 - 第136節)
- 苦しくも2次リーグを勝ち抜け、東京B代表ブロックのベスト4に入った水本。ブロックの異なる帝東との練習試合を経て、決勝トーナメントを迎えることになった水本はユース代表の山波が所属する陵東、そして2次リーグでも戦った丞南を相手に全国への出場権を挑む。
イタリア編
- プリマヴェーラ(1ā - 41ā)
- 単身イタリアに渡り、ACミランのプリマヴェーラに入団したてっぺいだが、実力は認められつつあるもののトップチームへの壁は厚かった。入団して1年が過ぎようとしたある日、トップチームのコーチだったヴァレンティノがプリマヴェーラの監督に就任。しかしヴァレンティノのやり方に選手たちは反感を覚えるばかり。そんな折、ヴァレンティノの判断でトップチームとの試合が決まってしまい、勝てば全員がトップチームに昇格、負ければ解散という事態になってしまう。そしてトップチームとの試合を迎え、エースのバイエビッチやミスター・ミランごとグロッソら代表級の選手たちを前にてっぺいたちは苦戦を強いられる。
- オリンピック(42ā - 最終回)
- トップチームとの激戦は様々な事情から引き分けのまま終了することになった。トップチームへと昇格したてっぺいだが、ポジションにはバイエビッチが君臨しているためベンチ入りさえままならない状況に陥っていた。そんなてっぺいにオリンピック日本代表への招集がかかり、シーズン終了後に日本へと戻ることになる。そして代表には森川や近藤、西郷、そしてパラグアイに渡った沖田がいた。しかし試合勘を失っていたてっぺいは思うようなプレイを出せず、さらに五輪開催前に起こった悲劇を受けて完全に調子を落としてしまい、スタメンから外されてしまう。そして五輪本番、日本の前に立ちはだかるのは沖田と因縁があるパラグアイ、南米の強豪ブラジル、そしてマルコらを擁するイタリアだった。
外伝
- 「魔法使いの夏」
- 琴音がFCベルーガのセレクションに参加することになった物語。
- ミニ外伝 〜長崎哀愁編〜
- てっぺいたちの故郷の島での小学生時代や、JY杯で来日したイタリア代表の小話を描いた4コマ漫画。
登場人物
実在のサッカー選手をモデルにしている場合があり、『ステラ』では原作者自身も単行本で言及している。声は『ステラ』第8巻特別版OVAの声優。
主要人物
- 坂本 轍平(さかもと てっぺい)
- 声 - 柳田淳一 / 岸尾大輔(サンデーCM劇場)
- 所属(背番号):水本高校(18)→ACミラン・プリマヴェーラ(10)→ACミラン(18)→アーセルナル(18)→R・マドリッド(5)、ユース日本代表(14)、五輪日本代表(14)、日本代表(14)
- ポジション:FW(セカンドトップ)、MF(攻撃的MF、サイドMF)
- 長崎県出身。4月2日生まれ[5]、血液型O型。
- (16歳時)身長165cm、体重55kg。
- (17歳時)身長174cm、体重66kg。
- 本編の主人公。2002年時は高校1年生。ファンタジスタ。通称「てっぺい」。
- 中学までは実家のある島で、一人でサッカーの技術を磨いていた。それまではクラブでの所属経験がなく、水本高校に転校して初めてチームプレーを知った。姉の琴音から教わった抜群のテクニックに加え、驚異的な加速力でDFを振り切るドリブルを得意とし、ユース代表合宿ではファン・ハーレンの指導によりパス能力を向上させるなど、急激な成長を見せていく。水本に加入した当初はサッカーができるだけでも満足していたが、天神との練習試合で苦戦しながらも諦めない福田の闘志を目の当たりにし、代表での激しいポジション争いやマルコと言ったライバルと戦っていくにつれて勝利への強い欲求を見せるようになった。基本ポジションはFW。ユース代表合宿に呼ばれた時にはトップ下を希望し、近藤たちとポジションを争うも、JY杯ではメキシコ戦の後半からイタリア戦の前半まで左ウイングバックで起用。イタリア戦の後半からはよりゴールに近いFWに移り、後にファンタジスタが最も愛するポジションであるセカンドトップ[6]を本職とするようになる。JY杯決勝で対戦したイタリアのマルコのプレーに驚愕し、彼を超えたい思いで、選手権都予選後に単身イタリアへと渡る。ACミランのプリマヴェーラに入団してからの1年はトップチームの練習に何度か呼ばれるも思うように首脳陣の評価を得られなかったが、トップチームとの試合後に念願のトップ昇格を果たした。しかしトップチームに昇格したもののリーグ戦でもバイエビッチの控えとしてリザーブにも満足に入れずにいたが、五輪本戦後を経てUEFAチャンピオンズリーグとリーグ戦の兼ね合いによるターンオーバー制で出場機会を得られるようになり、後にイングランドのアーセルナルへレンタル移籍[7]。『ファンタジスタ ステラ』では2010年南アフリカワールドカップの主軸メンバーとして活躍し、大会終了後の2010-2011シーズンよりスペインの名門リアル・マドリッド(R・マドリッド)へ移籍。リーグ戦の前哨戦となるスーペル・コパのバルセロナ戦では、右サイドハーフで先発し、1ゴール1アシストと華やかなデビューを飾った。ウインターブレイク期間中に恋人だったしおりと結婚することを決めた。新代表戦では右サイドハーフで先発し、1ゴール2アシストの活躍を見せた。W杯前の数試合では本田とは息の合ったプレーが出来ていない。
- 坂本 琴音(さかもと ことね)
- 長崎県出身。2月11日生まれ、血液型O型。
- (23歳時)身長167cm、体重53kg。
- てっぺいの姉。サッカーの指導者で、C級ライセンス所持。東京都に属する教師で、担当科目は英語。2002年時は23歳。
- てっぺいにサッカーを教えた人物。指導者として、威勢の良さで選手たちを鼓舞する。2001年より水本高校に赴任し、サッカー部の監督に就任。弱小だった部を指導し、翌年には弟のてっぺいを実家から呼び寄せ、選手権での全国出場に導いた。てっぺいがイタリアに渡った後は遠征用のバスを動かすために免許を取得したり、五輪大会後はB級ライセンスの取得を目指して地域の子供たちに指導している。その後、八丈島高校へ赴任し、3年目でサッカー部を選手権に全国出場させる快挙を果たす。その功績ゆえに校長から慰留されている。
- てっぺいと同じく、自身も選手時代はファンタジスタで、高校時代はトップ下として全国にその名を轟かせていたが、肺を患ったことでサッカー選手への道を諦めることになる。誘いを受けたFCベルーガでのセレクションを経て指導者への道を選び、コーチングの勉強のために東京の大学に編入した。
- ロベルト・バッジオの大ファン。その偏愛ぶりはてっぺいにミラン時代のバッジオが背負った18番を与えるほどである。
- 結婚願望はあるのだが理想的な男性に巡り会えず、森川からの好意に鈍感で、彼からのアプローチにも気づいていない。
- 本田 圭佑(ほんだ けいすけ)
- 声 - 石川英郎
- 所属(背番号):CSKAモスクワ(7)、日本代表(18→4)
- ポジション:MF(トップ下・守備的MF)、FW
- 『ステラ』における、もう一人の主人公。モデルは実在人物であり、『ステラ』の原案協力となったサッカー日本代表・本田圭佑本人である。
- 強靭なフィジカルと飽くなき向上心を持つ選手で、2010年南アフリカワールドカップではFW登録で出場。日本の決勝トーナメント進出の立役者となった。現状に満足することなく、将来はR・マドリッド移籍を目論んでいる。てっぺいとは同い年で、互いに刺激し合っている部分がある。点が取れる攻撃的なポジション、特にトップ下でのプレイにこだわっており、CSKAモスクワではアンジ・マハチカラ戦で監督の意向によりボランチに配置されて守備に奔走されつつも虎視眈々と得点を狙い、決勝点となる超ロングシュートを決めて監督に認めさせた。新代表戦ではリカルド杉山に対抗してFWとして出場し、ハットトリックを決めるが、直後に左膝半月板損傷をしてしまう。W杯前の数試合では轍平とは息の合ったプレーが出来ていない。
水本高校
東京都の下町にある都立高校。サッカー部は以前は弱小であったが、琴音の監督就任やてっぺいの加入で徐々に頭角を現していき、選手権の東京都B代表予選では決勝で丞南を破り、念願の本大会初出場を果たす。直後にイタリアに渡ったてっぺいを欠いた本大会ではベスト16に入る。その後は遠征用の大型バスを購入したり、グラウンドに照明灯を設置したりするなど環境面でも強化されている様子。1stユニフォームはACミランと同じ、赤と黒の縦じま。
- 坂本 轍平
- 上記を参照
- 坂本 琴音(さかもと ことね)
- 上記を参照
- 春日部 雄太(かすかべ ゆうた)
- ポジション:MF(守備的MF)
- 背番号11。2002年時は高校1年生でてっぺいと同学年。サッカーセンスに優れ、1年生ながらチームの主力だが、練習嫌いでいい加減な面もある。運動量が豊富で、積極的に前線に飛び出してはチャンスメイクに絡むセンターハーフ。てっぺいとの特訓でノールックパスが得意になる。期待されつつもいつも自分を怒鳴ってくる福田は苦手。女子からそれなりに人気がある。てっぺいがイタリアに渡った後にはユース代表候補に選ばれ、3年時にはキャプテンに就任する。2010年時点では就職している。
- 馬場 健二(ばば けんじ)
- ポジション:FW
- 背番号9。2002年時は高校1年生でてっぺいと同学年。長身のポストプレイヤーで、足は遅いがヘディングはてっぺいを驚かせるほどのものがある。根は真面目で努力家。おとなしく、時折弱気な面を見せることから「弱ババ」と揶揄されることもある。てっぺいの加入時はスタメンの座を奪われることを危惧していたが、琴音の言葉で自分の持ち味に自信を付ける。選手権予選が始まってからは思うように点を取れずに苦しんだが、金町戦では決勝ゴールを奪う。てっぺいがイタリアに渡った後は選手権予選で得点を量産している。坊主頭がトレードマークだが、一時期は髪を伸ばしていた[8]。2010年時点では就職している。
- 小坂 浩一(こさか こういち)
- ポジション:DF(センターバック)
- 東京都出身。5月29日生まれ、血液型A型。
- (18歳時)身長176cm、体重65kg。
- 水本のキャプテン。背番号10。2002年時は高校3年生。真面目な性格。選手権県予選決勝では、試合中のシステムの切り替えをスムーズに行うなど抜群の統率力を発揮して、対戦相手の西郷にも賞賛された。卒業後は大学に進学。2010年時点では就職している。
- 福田 正史(ふくだ まさし)
- ポジション:MF(守備的MF)。
- 東京都出身。6月25日生まれ、血液型A型。
- (18歳時)身長179cm、体重67kg。
- 背番号7。2002年時は高校3年生。水本の精神的主柱。闘志を剥き出しにした激しいプレーと体を張った守備が持ち味。小坂とは昔からの親友。サッカーに対して熱く、過去の試合での敗戦で悔しささえ覚えない先輩たちに苛立ちを覚えて殴ったことで部から離れていたが、琴音の就任を機に復帰した過去を持つ。てっぺいが加入した時は部員の中で最も不満を露わにしていたこともあった。天神との練習試合では必死に奮戦し、その姿にてっぺいたちチームメイトは気持ちを奮い立たせた。卒業後は大学に進学した。
- 武井 大輔(たけい だいすけ)
- ポジション:GK
- 背番号1。2002年時は高校3年生。大柄な体格の持ち主。
- 内田 優樹(うちだ ゆうき)
- ポジション:MF(左サイドハーフ)。
- 背番号6。2002年時は高校2年生。陵東戦ではてっぺいとのワンツーから2点目をアシストする活躍を見せる。てっぺいがイタリアに渡った後に、小坂の後を継いでキャプテンに就任した。八重歯がチャームポイント。
- 中岡 遼一(なかおか りょういち)
- ポジション:FW
- 背番号13。2002年時は高校2年生。無口だが負けず嫌いで、テクニックはいまいちだが豊富なスタミナをもって前線から激しいプレスをかけ、正確なFKを得意とする。てっぺいの加入でレギュラーから外れていたが腐らず得意のFKの技術を磨いた結果、てっぺいの出場停止で出場機会が回り、堀川学園戦で活躍。以後はFWのローテーションにも入り、決勝でもスタメンで出場した。弟がいる。
- 綾瀬 猛(あやせ たけし)
- ポジション:DF(センターバック)
- 背番号8。2002年時は高校3年生。天神との練習試合では福田に負担を背負わせてしまったことや、てっぺいが泉との競り合いでポジションを下げてしまったことに責任を感じ、気持ちを奮い立たせた。
- 須賀 修平(すが しゅうへい)
- ポジション:MF(右サイドハーフ)
- 背番号4。2002年時は高校3年生。
- 久楽 拳斗(くらく けんと)
- ポジション:DF(右サイドバック)。
- 背番号12。2002年時は高校2年生。3バック移行時にはWBへ上がる。
- 小林 一通(こばやし かずみち)
- ポジション:DF(左サイドバック・左ストッパー)
- 背番号5。2002年時は高校2年生。冷静な性格。
- 福田 しおり(ふくだ しおり)
- 東京都出身。9月12日生まれ、血液型A型。
- (16歳時)身長153cm、体重41kg。
- てっぺいのクラスメイトで、水本高校のマネージャー。2002年時は高校1年生。福田正史の妹。当初は部に所属していなかったが、地区予選の後にマネージャになる。料理の腕は皆無で、おにぎりはいびつな形になったり、兄からも酷評されるほどである。五輪終了後は講習会の出席で忙しくなった琴音に代わり、部の近況を書いた手紙をてっぺいに送っている。
- 卒業後は東東京新聞のスポーツ記者となり、2010年時点ではヨーロッパの現地特派員として各地を廻る日々を送り、2013年末には日本の本社で勤務している。
- 高校時代はてっぺいに想いを寄せており、琴音たちも気づいていたようだが当の本人にはうまく伝わっていないところがあったが文通を続けたりして、やがて交際。2010-2011シーズンのウィンターブレイク期間にてっぺいからのプロポーズを受け、結婚する[9]。
帝東高校
森川率いる都内の強豪校で、全国大会の優勝校。インターハイの東京都予選では水本と対戦して勝利し、本大会の決勝に進出している。選手権でも東京都A代表として全国出場を決めている。
- 森川 竜司(もりかわ りゅうじ)
- 所属(背番号):帝東高校(10)→横浜F・マリノス(20)→ACキエーヴォ・ヴェローナ→フィレンツェーナ、ユース日本代表(10)、五輪日本代表(10)、日本代表(10)
- ポジション:MF(セントラルMF)
- 長崎県出身。3月31日生まれ、血液型A型。
- (17歳時)身長178cm、体重65kg。
- 2002年時は高校3年生。帝東高校ではキャプテンを務めた。セリエAの選手でも数人しかいない、両足を利き足のように同レベルかつ高レベルのキック精度という稀有の才能を持ち、精度の高いロングパスとスルーパスを得意とする。てっぺいの幼なじみで、小学生の時に島を離れた。後に母親が再婚したため、苗字が変わっている(前の苗字は町田)。そのため、インターハイ予選での帝東と水本の試合では、琴音には最初は気付かれなかった(てっぺいに至っては思いっきり忘れられていた)。代表内ではてっぺいの良き理解者で、チーム内でのもめごとではフォローに入ることも多い。もともとはトップ下だったが、ユース代表のファン・ハーレン監督に適性ポジションを見出されボランチにコンバート、バランサーとしてその才能をより生かすようになる。琴音に想いを寄せているのだが、なかなか伝えることができないでいる。高校在学時からイタリア語を勉強しており、会話の面では問題なく話せる。高校卒業後は横浜F・マリノスに入団し、五輪本戦後に念願だったセリエAのACキエーヴォ・ヴェローナへの移籍を果たす。2010年時点では同国のフィレンツェーナに在籍。2010年イタリア戦ではキャプテンマークをつける。
- 尾地場(おじば)
- ポジション:FW
- 背番号9。正確な学年は不明だが森川に敬語を使っていることからおそらく2年生か1年生。高さのある選手。
- 佐伯(さえき)
- ポジション:MF(右ウイングバック)
- 背番号12。
- ディディエ・ブラン
- 帝東の監督で、フランス出身。来日して10年経っている。選手権予選の決勝トーナメントを控えた水本高校との練習試合で挨拶にと琴音に抱きついた。
天神高校
全国大会では必ずベスト8に入り高校三冠を達成した事も有る福岡県の強豪校で、黄金の中盤と呼ばれる選手達を擁し、高校サッカー界に君臨している。遠征に来ていた時に水本と練習試合を行うことになる。水本のてっぺいの活躍で一時は追いつかれるも途中から合流した沖田たちユース代表の活躍で再び突き放すが、最後に追いつかれ引き分けとなった。インターハイの決勝に進出している。
- 沖田 薫(おきた かおる)
- 所属(背番号):天神高校(10)→リーガ・パラグアージャ→ボカ・ジュニアーズ[10]→レーファクーゼン(21)、五輪日本代表(21)、日本代表(21)
- ポジション:FW、MF(攻撃的MF)
- 静岡県出身。1月3日生まれ、血液型B型。
- (16歳時)身長170cm、体重56kg。
- 2002年時は高校2年生。てっぺいが天神高校との練習試合で初めて対戦したファンタジスタ。天神高校では10番を背負い、MF(トップ下)として活躍。ユース代表にも選出される実力を持つ。ボールが足元に吸い付くようなドリブルが武器で、そのプレーに観客たちを魅了させる。水本との練習試合でてっぺいの才能を見抜き、彼に世界に飛び出すことを勧めた。4人兄弟の末っ子で、幼い頃はキック力などが不足していたことから、Jリーグの清水エスパルスや、その下部組織に所属する兄たちと比較されては、コーチやチームメイトから期待外れと扱われていたが、兄たちからディエゴ・マラドーナのビデオを見せられたことでドリブラーとしての活路を見出した。非常にプライドが高い性格で、後から他人の真似をするのを拒むことも(それが災いして、ユース代表合宿では試合に敗れて落選してしまう)。てっぺいがイタリアに渡った後、高校を中退して単身パラグライへと足を踏み入れる。チームに馴染めずにいた頃にガマーラと仲良くなるものの、練習中にガマーラのチャージによって右足の踵を痛め、その時のすれ違いから関係が悪化。そのガマーラからさらに左目の下の辺りにも傷を負わされてしまう。
- 五輪代表招集時、先に世界で戦っていたてっぺいへのライバル意識からFWにコンバートしてポジションを奪い取るも、そのてっぺいから味方とのコミュニケーションの大切さを教えられ、自身の中にあったわだかまりを氷解させた。五輪決勝では治療明けで後半から出場し、てっぺいとのファンタジスタ同士の2トップを実現させた。五輪本戦後はアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに活動の場を移し、2009-2010シーズンよりドイツのレーファクーゼンに移籍。
- 泉 大河(いずみ たいが)
- ポジション:FW
- 背番号9。2002年時は高校1年生。てっぺいたちと同じ1年生ながら名門天神でレギュラーを奪った。逆立った髪が特徴。東京から単身でサッカー入学した。瞬時にDFの裏をつくプレイを得意とする。水本高校との練習試合では開始当初は(沖田のものである)10番を着ていたものの、途中から合流した沖田から10番を返すよう命じられ、9番に。試合終了後には引き分けの結果に終わったことに納得できず、悔し涙を流すなどプライドの高さが伺える。
- 藤堂 祐介(とうどう ゆうすけ)
- 所属(背番号):天神高校(1)→リエージュFC、ユース日本代表(1)、日本代表(1)
- ポジション:GK
- 静岡県出身。8月30日生まれ、血液型B型。
- (18歳時)身長185cm、体重75kg。
- 2002年時は高校3年生。天神高校と日本ユースではキャプテンを務めた。守備範囲が広いリベロタイプで、状況によってはペナルティエリアを飛び出してプレイできる足元の技術を持ち合わせている。2010年南アフリカワールドカップの代表メンバーに選出。2011年時点で既婚。
- 永倉 迅八(ながくら じんぱち)
- 所属(背番号):天神高校(8)→ブラガFC、ユース日本代表(5)、日本代表
- ポジション:MF(右サイドハーフ、右ウイングバック)、DF(右サイドバック)
- 2002年時は高校3年生。ユース代表合宿に生き残り、JY杯でスタメンを奪った。2010年南アフリカワールドカップの代表メンバーに選出。
- 原田 優(はらだ ゆう)
- ポジション:MF(左サイドハーフ、左ウイングバック)
- 背番号7。2002年時は高校3年生。ユース代表合宿で沖田と共に落選した。
- 山崎 一(やまざき はじめ)
- ポジション:MF(守備的MF)
- 背番号15。2002年時は高校3年生。ユース代表ではそれまでレギュラーだったが、ファン・ハーレン率いる代表合宿では早々に落選してしまった。
- 志賀 遼太郎(しが りょうたろう)
- 天神高校の監督で、琴音のC級ライセンス取得時の研修会の教官。旧知のフランクを通じて、てっぺいをユース代表に推薦した。
丞南高校
東京都では帝東と二強を分け合う強豪で、過去に全国優勝を果たしている。都予選でてっぺいたち水本の前に立ちはだかる。
- 西郷 政光(さいごう まさみつ)
- 所属(背番号):丞南高校(4)→柏レイソル→リヴァプールFC、五輪日本代表(6)、日本代表(6)
- ポジション:DF
- 2002年時は高校3年生。丞南高校ではキャプテンを務めた。冷静だがサッカーに対する情熱を持つ。戦術眼に優れ、ゲームの流れを読むことで敵の攻撃に対応し、DFながら必要ならば攻め上がるなど、リベロとしての能力が高い。当初はユース代表候補に入っていたが、腰痛のために辞退しており、選手権予選では万全の状態ではないものの出場してチームを鼓舞していた。チームメイトからの信頼が厚く、スタメンの見込みのない他の3年の仲間たちが受験で忙しくなるはずの時期でも西郷と共にチームに留まるほどである。高校卒業後は柏レイソルに入団、五輪本戦では準決勝の対ブラジル戦で一度は敵FWのディディーに打ちのめされるも、落ち着きを取り戻すと抜群の戦術眼を見せ、グロッソにも一目を置かれた。
- 五輪後はJリーグでしばらくプレイした後に、イングランドのリヴァプールFCへ移籍。
- 高杉 作次(たかすぎ さくじ)
- ポジション:FW(セカンドトップ)
- 背番号10。2002年時は高校3年生。1.5列目のパサーで、運動量が豊富。決勝でカウンターへの戦術変更に不満を表した武市をたしなめた。
- 武市 慎一(たけいち しんいち)
- ポジション:FW
- 背番号19。2002年時は高校1年生。大柄だがボールさばきがうまく、1年生ながらスタメンを奪っている。チームの勝利よりも自分が点を取れることが大事だと思っており、また西郷と高杉以外は認めていないと公言している。それらの悪態からチームメイトを始め、監督にも目を付けられているが、武市の実力を買う西郷の進言により水本戦に出場し、水本DF陣を苦しめた。
- 岩崎(いわさき)
- 2002年時は高校3年生。ポジションの明記はないがおそらくはFW。練習でDFの裏ばかり狙って失敗したのを監督に叱られていたが、西郷の励ましで気持ちを切り替え、ワントラップシュートを成功させる。武市にポジションを奪われたため、予選決勝では応援席から西郷たちを見守った。五輪出発前の西郷にネックレスを送って励ました。
- 田島(たじま)
- 丞南のOBで、柏レイソルの選手。ポジションは不明。西郷の1年上で、西郷にチームのキャプテンを任せ、全国優勝の夢を委ねた。
- 丞南高校監督
- 老人の域に達している、丞南の監督。名前は不明。普段は穏やかな好々爺に見えるが、ランニングする選手の先頭からバイクに乗って鼓舞激励したりと、なかなか気性が激しい。他チームの選手が近くにいることを嗅覚で察知できる。
- 2010年南アフリカワールドカップの日本対パラグアイ戦では自宅でテレビ観戦をしており、西郷に声援を送った。
陵東高校
トップ下を置かないイングランド式のシステムを採用し、山波を中心としたサイドアタックを得意とする。近藤も1年生時の当初は所属していたが、間もなく退部した。東京都B代表予選の準決勝で水本と対戦するも敗れた。
- 山波 健介(やまなみ けんすけ)
- 所属(背番号):陵東高校(7)→東京FC(3)→マルセイユFC(3)、ユース日本代表(12)、日本代表(3)
- ポジション:MF(左サイドハーフ、左ウイングバック)、DF(左サイドバック)
- 2002年時は高校3年生。高校は東京都内だが神奈川県在住。利き足は左。
- 高校時代は「左サイドのスペシャリスト」の名を持つサイドハーフとして有名で、正確無比なクロスで得点を演出していた。プロ選手になってからはポジションを下げてサイドバックとして確立した。
- 初招集となったユース代表の合宿では、自分が落選されるかもしれないかとの不安に苛まれていたが、上を目指す思いの強いてっぺいに感化されて自信を取り戻す。その後、都大会予選の準決勝でてっぺい擁する水本高校と対戦し、高校では本来のポジションであるイングランド式の4-4-2の左サイドハーフで水本を苦しめる。
- 卒業後は大学進学を経て、プロサッカー選手に。同世代の仲間達より出遅れたが2010年南アフリカワールドカップの日本代表メンバーに選出。決勝トーナメントのパラグアイ戦では先制点を演出するも、その後PK戦で外してしまい、チームが負けてしまったことで悔恨している。海外移籍の際に自らを変えようとあえて目立つために金髪にし、次の大会で雪辱を果たそうと誓うが、代表監督となったグロッソから「得点を生み出せない」と酷評され、代表から外された。しかし、2014年時には代表に復帰している。
- 近藤とは同学年で旧知の仲らしく、近藤の遠慮のない言動には反感を持ちながらも彼のことを認めている。
- 岡本(おかもと)
- ポジション:DF(左サイドバック)
- 陵東高校のキャプテンで、背番号4。2002年時は高校3年生。高校サッカーを侮辱する近藤の言葉に噛みつこうとして山波になだめられた。下の名前は不明。
金町高校
水本高校と同じ地区に属するチーム。収集した対戦チームのデータを解析し、相手の攻撃を徹底的に防ぐ「電子ロックのカテナチオ」を武器とする超守備的なチームとなり、PK戦に持ち込んではキッカーの癖を見抜いて勝利し、地区予選では水本を苦しめた。 2年前にも水本高校と地区予選2回戦で対戦しており、その時は15-0で圧勝している。この試合がきっかけで水本の福田は暴力沙汰を起こし一時期退部している。
- 河合 啓介(かわい けいすけ)
- ポジション:FW、DF(リベロ)
- 背番号6。2002年時は高校3年生。チームのキャプテンで、元々はFWだが、チームの勝利のために選手権予選ではDFにコンバートする。上背はそれほどないが、相手の体格を利用したジャンプ力で制空権を制圧する姿から『ヘリコプター』のあだ名を持つ。試合では高さのある馬場を抑えていたが、終盤では試合中にポジショニングを学んだ馬場に逆に空中戦を制された。
- 大村 博也(おおむら ひろや)
- ポジション:FW、DF(リベロ)
- 背番号5。2002年時は高校3年生。以前は河合とともにFWとして2トップを組んでいたが、選手権予選でDFとしてダブルリベロを組む。パソコンが得意らしく、試合でもパソコンを操作して相手の特徴を分析していた。試合では手数をかけてまでてっぺいをマークした。
- 兼田(かねだ)
- ポジション:DF
- 背番号3。試合ではてっぺいをマークしていたが、てっぺいの動きに振り回されて酸欠を起こし、前半で交代した。
- 秋田(あきた)
- ポジション:GK
- 背番号1。データを分析した大村のアドバイスを受けて、松枝商業戦ではPK戦で完封した。
久慈山高校
鍛え上げられたラインディフェンスと、一糸乱れぬオフサイドトラップが持ち味のチーム。東京都予選一次トーナメント決勝で水本と対戦する。
- 高山 源(たかやま げん) / ンタカ・ヤマゲ
- S級ライセンス所持者。強面で、選手たちに鉄拳制裁も辞さない厳しい指導方針を持つ。2002年時は久慈山高校の監督。
- その厳格な指導が行き過ぎて問題視され、日本サッカー界から追放され国外に逃亡。その後、アフリカ人のように肌の色を変え、名前を「ン・タカ・ヤマゲ」と偽り、ナイジェリアの代表監督に就任。代表チームをワールドカップ出場に導いた。
堀川学園
都予選二次リーグにて、水本と決勝トーナメント進出を賭けて対戦するチーム。西迫・補伽の2トップは相性がよく、相手チームの脅威となる。
- 西迫(にしざこ)
- ポジション:FW、MF(左サイドハーフ)
- 背番号10。非常に態度悪く、丞南に敗れた直後にインタビューに来た吉村に噛みついた。
- 2014年ブラジルワールドカップのメンバーに選出。
- 補伽(ほとぎ)
- ポジション:FW
- 背番号9。西迫とは小学生のころからコンビを組んでいた。
ACミラン
イタリア・セリエAの名門にして、世界レベルのクラブ。イタリア編では、プリマヴェーラに入団したてっぺいがトップ昇格を目指して奮闘する姿が描かれる。
プリマヴェーラ
- 坂本 轍平
- 上記を参照
- アンドレア・ファルコーニ
- 所属(背番号):ACミラン・プリマヴェーラ(6)→ACミラン(24)、ユースイタリア代表(6)、五輪イタリア代表(6)、イタリア代表(6)
- ポジション:MF(セントラルMF)、DF(右サイドバック)
- ミラノ出身。3月5日生まれ、血液型A型。
- (17歳時)身長180cm、体重70kg。
- (18歳時)身長183cm、体重72kg。
- 代表及びACミラン・プリマヴェーラのキャプテン。作中では「フランコ・バレージの秘蔵っ子」とも言われており、ピッチの状況を俯瞰しているかのように把握し、論理的に筋道を立ててゲームを組み立てる同世代屈指のレジスタ(司令塔)で、ファンタジスタのマルコをも計算に入れて使いこなす才能を持つ。長い銀髪とプレイスタイルから「銀の隼(ファルコ・ダルジェント)」の呼び名を持つ。父のルーカもかつてはACミランの名選手だったことからかチームへの忠誠心は誰よりも強く、チームを侮辱する行為を認めない。それ故に、チームの和を乱す行為の目立つトトに対して強い不満を抱いていたがトップチームとの試合では、そのわだかまりを抑えてトトにラストパスを送り後半終了直前に同点に持ち込むことに成功、後の五輪代表でも戦力としてトトを推薦する。トップチーム昇格後はザンキがチームの司令塔に君臨しているため、右サイドバックとして出場している。
- ディノ・シルベストリ
- 所属(背番号):ACミラン・プリマヴェーラ(17)→エンポリFC→ACミラン、五輪イタリア代表(17)、イタリア代表(17)
- ポジション:MF(セントラルMF)
- サルディーニャ島出身。1月6日生まれ、血液型A型。
- (17歳時)身長173cm、体重65kg。
- テクニックは乏しいがそれを補う豊富な運動量でピッチを駆け回り、敵の攻撃の芽を摘むダイナモ。トップチームとの試合ではバイエビッチをマークし、後半から左サイドに移って更に負担を増しながらも最後まで食らいついたハードワーカーである。てっぺいとは同時期に入団、プリマヴェーラの寮でもルームメイトとなり、アントニオも加えた島出身の3人組として私生活でも友人となった。大人しいが芯が強く、周囲の感情に流されずに冷静な思考ができる。頭が良く、弁護士の資格を得る勉強をしている。トップチームとの試合の後、エンポリFCにレンタル移籍して主力級の働きを見せる。五輪前にヴァレンティノに課題を指摘されており、日本との決勝戦では攻撃の起点となるロングパスで先制点に結び付けた。
- アントニオ・ダンテ
- 所属(背番号):ACミラン・プリマヴェーラ(1)→ACミラン(31)、五輪イタリア代表(1)、イタリア代表(1)
- ポジション:GK
- シチリア島出身。5月24日生まれ、血液型B型。
- (17歳時)身長187cm、体重76kg。
- 運動能力が高く、セービングに優れているがそれ故のガサツさが難点。てっぺいとディノよりも先にミランのプリマヴェーラに入団しており、後に2人と同じルームメイトになり島出身の3人組として私生活でも友人となった。性格はガサツだが情に篤くて涙もろく、ヴァレンティノのやり方に当初は不満を抱くも、トップチームとの試合後に事情を知ると他のチームメイトたちに内緒で見舞いに行くなどシャイな面を見せ、ヴァレンティノが死んだ時は代表の壮行試合直前だったてっぺいに涙ぐみながらそれを伝えた。面倒見がよく、イタリアに来たばかりで言葉に不自由していたてっぺいにイタリア語を教えた。トップチーム昇格後は試合でリザーブに入るようになるも、試合中に出場をせがんで監督を呆れさせていた。
- サルバトーレ・ビアンキ
- 所属(背番号):ACチェゼーナ・プリマヴェーラ→ASローマ・プリマヴェーラ→ACミラン・プリマヴェーラ(9)→ACミラン(19)→インテル、五輪イタリア代表(9)、イタリア代表(9)
- ポジション:FW
- チェゼーナ出身。10月4日生まれ、血液型AB型。
- (17歳時)身長179cm、体重68kg。
- 通称「トト」。ヴァレンティノに誘われてACミランのプリマヴェーラに加入した。誰にもパスは出さずに一人でゴールを決める、生粋のストライカー。ゴール前の飛び出しと決定力に絶対の自信がある。守備には全く加わろうとしないが、いつでもDFの裏のスペースを狙っているため、敵のDFにとっては油断のならない相手となる。常にチームメイトに決定的なパスを求めており、マルコから最高のパスを引き出せるFWとファビオから評される。自己中心的な性格でチームの和を乱すなどの問題を起こすことから「味方殺しのトト」と呼ばれ、キャリアの原点であるチェゼーナを離れてからはASローマなど様々なチームを渡り歩いているが、行く先々で問題を起こしJY杯前にユース代表からも外されている。しかしその一方で過去の出来事から誰よりも勝利への意思が強く、トップチームとの試合では脇腹を痛めながらも押し黙って最後までプレイを続け、ロスタイムに同点のゴールを決める。トップ昇格後は主にスーパーサブとして出場して、着実にゴールを挙げている。
- ピエトロ・バルタリ
- 所属(背番号):ACミラン・プリマヴェーラ(10→20)
- ポジション:FW(セカンドトップ)
- てっぺいよりスピードのあるテクニシャンで、狡猾なプレーも辞さない。かつてはチームの10番を背負っていたが増長していた面もあり、加入したばかりのてっぺいに背番号を奪われたばかりか、10番の重みを知らずに譲り返そうとしたてっぺいに怒りを覚え以来、犬猿の仲となっている。性格は陰険だが小心者。同じクラスメイトのクラウディアに片想いしているのだが、本人には相手にもされていない。トップチームとの試合では後半から本職ではない右サイドハーフとして出場、ドリブルで相手を振り切るプレーを見せた。
- ロデオ・ストラーロ
- ポジション:FW
- 背番号19。アルプスのモンテ・ローザのふもとにある町の出身でてっぺい達とは学校のクラスメイト。入院がちな病気の母親がおり、トップチームに昇格して母親を良い病院に入れようと考えていた。懐の深いボールキープが得意だがメンタルが脆く、それをヴァレンティノに見抜かれておりチーム残留を賭けたブレシア戦のテストでも、合格を意識するあまり自分本来のスタイルを見失い、得点を挙げながらもトトの加入と引き換えにチームから放出、他クラブへ移籍した。
- マッシモ・ディ・サントス
- ポジション:FW
- 背番号11。ポストプレイヤー。FW同士のサバイバルテストを兼ねたブレシア戦ではスタメンで出場してゴールを挙げ、ヴァレンティノから合格を言い渡された[11]。
- ロレンツォ・ナターリ
- ポジション:MF(右サイドハーフ)
- 背番号8。祖父の代から家族全員がACミランサポーターである。トップチームとの試合では前半のみの出場で、途中交代した。
- ジョパンニ・デ・ローザ
- ポジション:MF(左サイドハーフ)
- 背番号7。トップチームとの試合で、シュートチャンスを得たもののそれを阻もうとしたグロッソに畏縮してシュートを打てず、そのことでトトに強く責められた。前半のみの出場で、途中交代した。
- ロッカ
- ポジション:DF
- 背番号25。トップチームとの試合では後半からセントラルMFとして出場。経験のないポジションに当初は戸惑いを見せたものの、ファルコーニの言葉で落ち着きを取り戻し体を張った守備、空中戦で敵の攻撃の芽を潰し、結果的にファルコーニを攻撃に専念できるようにした。
- ヴァレンティノ・ダミアーニ
- ミラノ出身。1月21日生まれ、血液型A型。
- (36歳時)身長182cm、体重69kg。
- ACミラン・プリマヴェーラの監督。トップチームのコーチであったが、前任の監督であったデ・ニーロの辞任によりプリマヴェーラの監督に就任した。飄々としていて人を小馬鹿にした態度を見せ、トトのわがままな振る舞いを容認したり、生き残りをかけたトップチームとの試合を強引に推し進めたりするなどで選手たちから反発を受けていたが、実際は選手思いで、自身の体験からトップチームに上がれない選手たちの状況を憂いていた。
- 以前から重病を抱えそれを隠して指揮を続けるも、喀血するなど日に日に体調が悪化していきトップチームとの試合中に倒れて入院。回復を望まれるも五輪開催前に他界した。現役時代はファンタジスタであったが、「見えないものが見えなくなった」ために選手を辞めた過去を持つ。死後にてっぺいたちプリマヴェーラの教え子にアドバイスを書いた手紙を残し、てっぺいたちのプレイに少なからぬ影響を与えた。
- デ・ニーロ
- てっぺいの入団当時のACミラン・プリマヴェーラの監督。てっぺいの才能を認め、背番号10を背負わせた。ロッシとは仲が良い。家庭の事情により監督を辞任した。
- ロベルト・セレーナ
- ACミラン・プリマヴェーラの元選手で、クラウディアの兄。チームでは10番を背負い、将来を嘱望された選手であったが、試合でルイージのスライディングタックルを食らったために靭帯断絶の重傷を負い、選手生命を奪われてしまう。その後、自棄になってしまい実家を出たがサッカーへの未練からヨーロッパ中の医者を回り、フィレンツェの病院で手術を受けることになる。
トップチーム
- ミルコ・バイエビッチ
- 所属(背番号):レッドスター・ベオグラード→ACミラン(20→10)→FCアンジ・マハチカラ(10)
- ポジション:FW(セカンドトップ)、MF(トップ下)
- ユーゴスラビア代表で、作中最強と称されるファンタジスタ。驚異的なテクニックに加え、体格的にはてっぺいと変わりないが大型DFとも渡り合えるほどのフィジカルの強さを持ち、ACミランでは不動のエースとして君臨する。すぐ熱くなりやすい性格で、19歳でミランに移籍してきた当初はイタリアのシステマティックな戦術に対する苛立ちから警告を食らうことも多かった。自分の愛車に「ソフィア」と名づけており、グロッソの自転車で車に傷を付けられた時は号泣した。グロッソとは入団して以来の付き合いで、彼の存在がミランへの移籍の決定打になっていたほど。入団当初の出来事から、口には出さないがグロッソを尊敬しており、グロッソへの悪口は自分以外の人間がやることを認めないと公言している。
- 2010年時点では、ロシアのアンジ・マハチカラに在籍。
- モデルは、かつてのミラン10番で元ユーゴスラビア代表のデヤン・サビチェビッチ。
- カルロ・グロッソ
- 所属(背番号):ACミラン(3)、五輪イタリア代表(3)、イタリアA代表(3)、日本代表監督
- ポジション:DF(センターバック)
- 2003年時は37歳。既にベテランの域でありながらも所属するACミランでは不動のDFとして活躍し、「ミスターミラン」の名を持つクラブのバンディエラ。長年の経験に基づく素早い判断力で敵の攻撃を食い止める。若い頃は体を張った激しいプレーが多かった。28歳の時に妻のアンジェラを交通事故で亡くし、その後に行なわれた代表試合での失態を機に引退を考えるほどだったが、当時のファビオに励まされてそれを撤回する。かなりの酒飲みで、試合の前でもこっそり飲んでいるほど。元々は妻の死のショックを和らげたかったことからの行為であったが、現在も常習的に飲み続けている。てっぺいとはプリマヴェーラとの試合、五輪決勝戦で対戦しておりいずれも作中最強のDFとして立ち塞がったが五輪ではマークを振り切ったてっぺいを追おうとして肉離れを起こし、交代。五輪本戦後はイタリア代表を引退した。
- 現役引退後は指導者となり、体型もすっかり太ってしまった。ACミランのBチームを指揮1年目で優勝に導き、その手腕を買われて翌シーズンはトップチームの監督に抜擢されるが開幕後の連敗により更迭。その翌シーズンはセリエBから昇格したチームを優勝争いにまで持ち込ませ、翌年のチャンピオンズリーグでもベスト8にまで持ち込んだ。2011年からは日本代表監督を務める。
- ポジションや外見のモデルはフランコ・バレージ、背番号のモデルはパオロ・マルディーニ。
- ジェンナーロ・ザンキ
- ポジション:MF(セントラルMF)
- 背番号21。目元を隠すくらいに伸びたパーマの長髪。4-3-1-2の中盤の底からの正確なパス、強烈なミドルシュートとファンタジーな攻撃参加で国内の若手でNo.1の評価を受けている。一方で攻撃ばかりではなくプリマヴェーラとの試合では先制点を挙げたてっぺいをマークして封じ込めるなど高い守備能力も合わせ持っている。
- レナト・マストロヤンニ
- ポジション:DF(左サイドバック)
- 背番号4。ユースとの試合では左サイドバックに入っているが、それ以前にトップチームの練習に加わったてっぺいのマークに付いたことからセンターバックもできるようであり、その時もゴールに振り向かせないようにマークしたてっぺいにダイレクトでループシュートを決められるも感心した。
チームスタッフ
- アルベルト・ロッシ
- ACミランのスカウト。物語冒頭では、代理人の藤井の推薦で当初は森川を視察予定だったが、その対戦相手であった水本との試合でてっぺいのプレーに魅了される。以後、藤井を介して何度か接触した末、てっぺいの獲得に成功する。
- 若い頃は選手だったらしく、引退してもそのテクニックはさび付いておらず、水本の選手達を翻弄してみせた。
- リカルド・コマンディーニ
- ACミラン・ミラネッロの料理長。プリマヴェーラから育った選手が活躍する姿を見るのが自らの喜びである。ヴァレンティノとは旧知の仲で、プリマヴェーラの合宿の最中にヴァレンティノが病で苦しんでいることを知るも、彼の頼みから選手たちに伝えることができずに苦しんだ。
- イザベラ
- ACミラン・ミラネッロのチームスタッフの女性。
インテル・ミラノ(エンター・ミラノ)
世界的な強豪クラブの一つで、同じミラノをホームタウンとするACミランとはダービーで熱い試合を繰り広げるライバルチームである。『ステラ』では「エンター・ミラノ」の名称に変わっている[12]。
- クラウディオ・デ・パルマ
- 所属(背番号):インテル・プリマヴェーラ(18)→インテル、ユースイタリア代表(18)、五輪イタリア代表(18)
- ポジション:MF(左サイドハーフ)
- インテル・プリマヴェーラではキャプテンを務める。やや長めの髪を逆立てた髪型が特徴。飛行機嫌いな一面を持つ。アテネ五輪ではグループリーグでは出場していた姿が見られたが、奇しくも準決勝と決勝では出場機会を得られなかった。五輪終了後はトップチームに昇格。
- レオナウド
- 所属(背番号):インテル・プリマヴェーラ(10)→インテル、五輪ブラジル代表(10)
- ポジション:FW
- サンパウロ出身。大柄でフィジカルに優れるだけでなく、卓越したテクニックを持つ。その実力に、プリマヴェーラの選手でありながら所属するインテルの会長からも絶賛を受けている。当初は前歯が一本欠けていたが、後に金歯を差している。五輪の日本戦では2点目となるゴールを決めている。五輪終了後はトップチームに昇格。
- ルイージ・ヴェルディ
- 所属(背番号):ボローニャFC・プリマヴェーラ(23)→インテル・プリマヴェーラ(5)
- ポジション:DF(センターバック)
- インテルに加入。点を防ぐためならば、反則すれすれのチャージも厭わないプレーをする。それ故に、過去にミランの選手だったロベルトに選手生命を奪うほどの重傷を負わせてしまっている。
ACチェゼーナ
トトがプリマヴェーラ時代に所属していたチーム。何かと移籍先のチームで問題を起こすトトも、当時のチェゼーナのチームメイトたちとはすこぶる仲が良い。
- ニコラス・ザウリ
- ポジション:MF
- レストランで同席することになったてっぺいたちにトトの過去を話した。
- バレリオ
- トトのジュニアユース時代からの親友。チームの不振に加え、個人としてシュート数やアシストがゼロだったことでチームから放出された。このことがトトの現在のプレイスタイルを確立する要因となる。
CSKAモスクワ
ロシアの強豪クラブで、本田が所属するチームである。名前のCSKAは陸軍中央スポーツクラブの略称。
- 本田 圭佑
- 上記を参照
- ジャギエフ
- ポジション:MF(トップ下)
- 所属(背番号):CSKAモスクワ(18)、ロシア代表(11)
- 2010年時は18歳。カデット(軍人養成学校)出身で愛国心が人一倍強く、代表としてワールドカップへの出場を果たせなかったことに責任を感じている。一見細身だがしっかりとした体幹を持ち、体格のある相手でも競り合うことができる。チームメイトであり同じポジションの本田を尊敬していると同時に、彼を超えることを目標としている。2014年ブラジルワールドカップのロシア代表メンバーに選出された。
- モデルはアラン・ジャゴエフ。
- イゴール・アカンエフ
- ポジション:GK
- 背番号1。チームのキャプテン。2014年ブラジルワールドカップのロシア代表メンバーに選出された。
- モデルはイゴール・アキンフェエフ。
- パグネロ
- ポジション:FW
- 背番号9。陽気な性格でコミュニケーション代わりに覚えたての日本語を連呼する余り、本田から鬱陶しがられている。
- モデルはヴァグネル・ラヴ。
- レオタード・キルスキー
- CSKAモスクワの監督。アンジ・マハチカラ戦ではチームの底上げを狙って成長著しいジャゴエフをトップ下に抜擢し、本田をボランチにコンバートする。しかし本田が決勝点を決めたことで本田をトップ下として認めざる負えなくなる。
- モデルはレオニード・スルツキー。
アンジ・マハチカラ
ロシアリーグ所属のクラブで、大富豪のオーナー就任による大量補強が行われている。
- ミルコ・バイエビッチ
- 上記を参照
- ルベルト・カルロス
- 元R・マドリッド所属。ブラジル代表。背番号3。
- サミュエル・カトウ
- 元エンター・ミラノ所属。カメルーン代表。背番号9。
- ルシオ・ダ・オレワ
- 元エンター・ミラノ所属。元ブラジル代表。
- アレサンドロ・エスタ
- 元ACミラン所属。元イタリア代表。背番号13。
R(リアル)・マドリッド
世界でも1、2位を争うスペインのメガクラブ。2010-2011シーズンよりファン・ハーレンが監督に就任し、てっぺいも移籍加入してきた。クラブのモデルはレアル・マドリード。
- 坂本 轍平
- 上記を参照
- ヨハン・ファン・ハーレン
- 別記を参照
- オズマ
- ポジション:MF(攻撃的MF)
- ドイツ代表のファンタジスタで、「オズの魔法使い」の異名を持つ。背番号10。てっぺいとともに2010-2011シーズンよりR・マドリッドに加入。貧民層出身故か野心が非常に強く、R・マドリッドでエースのロナウドを超えることを目標にしている。同じトップ下候補のてっぺいを最初は気に入らなかった様子だったが、移籍後初出場となるスーペル・コパでのバルセロナ戦ではそのてっぺいとの共鳴によるプレイから先制点を演出し、彼を認めている。
- モデルはメスト・エジル。
- クローノス・ロナウド
- ポジション:MF(左サイドハーフ)
- ポルトガル代表。背番号7。R・マドリッドのエース。鍛え抜かれた肉体に桁外れのパワーとスピード、卓越したテクニックを合わせ持った驚異的なプレイヤー。ナルシストで兄貴肌な性格。てっぺいたちに「アニキ」と呼ばせている。
- モデルはクリスティアーノ・ロナウド。
- フェルディナンド・パレス
- R・マドリッドの会長。監督に就任したファン・ハーレンの意向で加入したてっぺいを先に獲得していたオズマの代役程度にしか考えていなかった。
- モデルはフロレンティーノ・ペレス。
バルセロナ
R・マドリッドの最大のライバルにして、世界ナンバーワンの名を欲しいままにするスペインのメガクラブ。モデルはFCバルセロナ。
- ネストール
- 所属(背番号):バルセロナ(11)、ブラジル代表(11→10)
- ブラジル代表で、「ブラジルの至宝」とも呼ばれる逸材。2010-2011シーズンよりバルセロナに加入。飛行機を乗り間違えてバルセロナに降り立ってしまったてっぺいと邂逅する。
- モデルはネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール。
- クアトディアラ
- バルセロナの監督。スキンヘッドに髭面の理知的な紳士。
- モデルはジョゼップ・グアルディオラ。
日本代表
『ファンタジスタ』における日本代表はユース代表と五輪代表の2つが登場。天神の監督の志賀の紹介で、てっぺいはユース代表の合宿に参加する。ユースから五輪代表までファン・ハーレンが指揮。基本システムは連載当時の日本代表の主流であった3-5-2を採用。支配率を高めてパスを繋げるポゼッションサッカーを目的とする。
尚、沖田が五輪で21番を、平田が20番を背負っているが、実際の五輪(2004年・アテネ当時)では登録メンバーは1番から18番までの背番号登録のため、本来はあり得ない設定となっている。
『ファンタジスタ ステラ』ではA代表が登場。本田に加え、てっぺいたちユース代表及び五輪代表の選手たちが中心となって2010年南アフリカワールドカップで活躍している。
- 坂本 轍平
- 上記を参照
- 森川 竜司
- 上記を参照
- 沖田 薫
- 上記を参照
- 近藤 敦(こんどう あつし)
- 所属(背番号):陵東高校→東京ヴェルディ1969・ユース→東京ヴェルディ1969(7)→RCDエスパニョール→バレンシア、ユース日本代表(7)、五輪日本代表(7)、日本代表(7)
- ポジション:MF(攻撃的MF、ボランチ)
- 東京都出身。10月31日生まれ、血液型B型。
- (17歳時)身長177cm、体重69kg。
- 高校生Jリーガーとして活躍する司令塔。クールな野心家で、チームメイトに対しても歯に衣を着せない発言を容赦なくする。敵の当たりをものともしないフィジカルの強さと鋭いキラーパスを武器に中盤を統率し、代表でもてっぺいや森川たちを押さえてトップ下の地位を確立する。1年生の時は陵東のサッカー部に所属していたが、上級生たちとの折が合わなかったことなどが理由で退部し、ヴェルディのユースに入団。中学時代までは線の細いテクニシャンだったが試合で使われなかったらしく、ユースに入団してからは筋トレと正確なパスの練習に励み、今の地位に昇り詰める。その経緯から、ファンタジスタであるてっぺいに対して当時の自分を思い出すことから当初は敵視して衝突を繰り返していたがJY杯のイタリア戦で、ファンタジスタのマルコを使いこなすファルコーニのプレイを強く意識するようになってからは上を目指す手段としててっぺいを使いこなすことを決意する。五輪決勝では、ファルコーニに対するその意識が強すぎたために、パスコースが限定されて攻撃が不全になってしまったが、てっぺいの叱咤を込めた強いパスを受けて自分が為すべきことに気づき、試合の流れを日本へと引き戻して逆転勝利に貢献した。ヴェルディのユースからトップチームを経て、五輪本戦後にスペインのRCDエスパニョールへの移籍、早くもチームの主力となり解説者からは「東洋のグアルディオラ」と賞賛されている。2010年時点では同国のバレンシアに在籍。近年はボランチとしてプレイしている様子で、現状に慣れている自分に疑問を持ち、ロシアの本田のもとを訪ねた。
- ヨハン・ファン・ハーレン
- アムステルダム出身。12月20日生まれ、血液型B型。
- (44歳時)身長186cm、体重72kg。
- ユース・五輪代表のオランダ人監督。冷静で論理的な思考の持ち主で、ユース代表合宿ではJY杯まで1日ごとに評価の低い選手を追放してサバイバル的な意味合いを強めた。その一方で、代表から外された選手にはアドバイスや励ましの書かれた手紙を送るなど、決して冷酷なだけではない一面を持つ。ファンタジスタを戦術における大きなアクセントと認めていると同時に必要悪と考えており、そのプレイスタイルにおけるリスクからファンタジスタを2人同時に起用しようとはしなかったが、五輪決勝でイタリア戦に勝つためにと、てっぺいたちの強い訴えからついにてっぺいと沖田の同時起用を決意する。代表では自らが愛する背番号14をてっぺいに与えるなど、てっぺいに対する期待の大きさが伺える。
- 2010-2011シーズンよりR・マドリッドの監督に就任。自らの希望によりてっぺいをクラブに加入させた。初指揮となったスーペル・コパでのバルセロナ戦ではてっぺいとオズマの二人のファンタジスタの同時に起用する。
- フランク・リーフデ
- ブリュッセル出身。2月7日生まれ、血液型O型。
- (32歳時)身長184cm、体重73kg。
- ファン・ハーレンの通訳で、ベルギー人の父と日本人の母を持つハーフ。それ故に日本語が堪能。父親の仕事の都合でヨーロッパ中を回っていた幼い頃に、カンプ・ノウで見たヨハン・クライフのプレイに魅了され、自身もサッカー選手を目指していたがプロ契約目前で怪我の負い、その道を断念した過去を持つ。代表合宿で知り合ったてっぺいのプレーに魅了され、自身と同じようにサッカーができなくなった琴音の話を聞いて、かつての夢をてっぺいに託す。何かとてっぺいのことを気にかけている。
- 木戸 政孝(きど まさたか)
- ユース・五輪代表のヘッドコーチ。日本が世界に対抗するためにはフィジカルありきと考えているため、ユース代表では近藤を支持し、正反対のファンタジスタであるてっぺいを認めようとしなかった。しかしJY杯決勝のイタリア戦でのマルコのプレーに驚愕したからか、その後の五輪代表時ではファンタジスタに対する苦言は見られない。
- 2010年南アフリカワールドカップでは日本代表のコーチとなっている。2004年のアテネ五輪以来、頭が禿げ上がってしまい風貌が老けた印象になってしまった。
ユース代表
- 藤堂 祐介(とうどう ゆうすけ)
- 上記を参照
- 永倉 迅八(ながくら じんぱち)
- 上記を参照
- 山波 健介(やまなみ けんすけ)
- 上記を参照
- 五代 晃(ごだい あきら)
- ポジション:FW
- 神奈川県出身。5月8日生まれ、血液型AB型。
- (17歳時)身長182cm、体重71kg。
- 背番号9。静岡県の高校に在籍。口数は少ないが、反転が早く、頼りになるポストプレーヤー。得点力も高く選考合宿では岡田等を退けて最も高い評価を得ていた。合宿ではテストの前の厳しいトレーニングでこっそりと手を抜くなど、したたかな面を見せる。高校卒業後は大学に進学しているが、2010年南アフリカワールドカップの代表メンバーに選出されている。
- 岡田 泰蔵(おかだ たいぞう)
- 所属(背番号):大阪府立東河内高校→グラスコーFC、ユース日本代表(15)、日本代表
- ポジション:FW
- 大阪府出身。9月30日生まれ、血液型A型。
- (17歳時)身長171cm、体重63kg。
- 2002年時は高校2年生。100メートル11秒フラットの快速で、そのスピードを活かしたラインの裏を抜けるプレーが得意なために、最初は強いスルーパスが出せる近藤が司令塔になることを嘱望していたが、紅白戦で同じチームを組んだてっぺいのパスによって密集地でも点を決められるようになるなど成長を見せる。JY杯ではイタリア戦の後半途中から出場し、その快速で敵DFをきりきり舞いさせた。「西のロナウド」、「浪速のインザーギ」のあだ名を持つ。2010年南アフリカワールドカップの代表メンバーに選出。
- 樋口 真(ひぐち まこと)
- 所属(背番号):アルクマールFC、ユース日本代表(4)、日本代表(13)
- ポジション:DF(センターバック、右サイドバック)
- 背番号4。群馬県の高校に在籍していた。JY杯では左CBを担当し、守備が出来ない徹平が左SHに入った際はその負担を背負う形となり、不満を持つ場面も。2010年南アフリカワールドカップの代表メンバーに選出されている。
五輪代表
- 西郷 政光
- 上記を参照
- 陸奥 武彦(むつ たけひこ)
- 所属(背番号):ジュビロ磐田→青森FC、五輪日本代表(9)、日本代表(9)
- ポジション:FW
- 2004年アテネオリンピック時は28歳。オーバーエイジ枠で五輪代表に招集された。打点の高さとポストプレイに長けた選手で、その明るい性格はムードメーカーとして若いチームを引っ張った。五輪の決勝では、マルコに対するてっぺいの強い思いを知り、自らそのポジションをてっぺいと沖田に委ねることを決めた。
- 度重なる怪我で足も限界に来ており、2010年冬には引退。その後は解説者として活躍している。モデルは、中山雅史。(W杯日本代表初ゴール、5試合連続ハットトリック<実際は4試合連続ハットトリック>から。)
- 岩倉 秀美(いわくら ひでみ)
- 所属(背番号):鹿島アントラーズ、五輪日本代表(3)
- ポジション:DF(センターバック)
- 2004年アテネオリンピック時は27歳。オーバーエイジ枠で五輪代表に招集された。大仏のような風貌で、ワールドカップでの出場経験を持つJリーグ屈指のハードマーカー。
- 宮部 剛(みやべ つよし)
- 所属(背番号):横浜F・マリノス、五輪日本代表(1)
- ポジション:GK
- 2004年アテネオリンピック時は30歳。オーバーエイジ枠で五輪代表に招集された。バンダナがトレードマーク。
- 2010年南アフリカワールドカップ及び、2014年ブラジルワールドカップの日本代表メンバーに選出された。
- 平田 実(ひらた みのる)
- ポジション:MF(右ウイングバック)
- 背番号20。右目の下にあるホクロがチャームポイント。2010年南アフリカワールドカップのメンバーに選出されている。
- 古高 隆敏(ふるはた たかとし)
- ポジション:FW
- 浦和レッズ所属。五輪予選では主軸だったが本戦では控えに回された。
A代表
- 大久保 塁(おおくぼ るい)
- 所属(背番号): 八丈島高校→セレーゾ大阪、日本代表(22→14→24)
- ポジション:MF(攻撃的MF)
- 琴音の八丈島高校での教え子であり、琴音をして「才能だけならてっぺいを超える」と言わしめられる存在。グロッソによってA代表に選出される。
- つま先でボールを操れる独特の蹴り方が持ち味。性格は根暗で、マイナス思考、被害妄想が強いとあまりよくはない。てっぺい、本田、それぞれと息の合うプレーが出来る。
- リカルド 杉山(リカルド すぎやま)
- 所属(背番号):FCアステカ、日本代表(25→4→2)
- ポジション:DF(センターバック)
- グロッソ監督からスカウトされた18歳。フィジカルは本田と互角。本田を怪我させてしまうが、本田から助言をもらう。
- 由利 速人(ゆり はやと)
- 所属(背番号):新潟シスネ→インテル、日本代表(29→3→15)
- ポジション:DF(サイドバック)
- グロッソ監督からスカウトされた18歳。小柄な体格だが俊足。自ら中に切り込んでシュートを打ち、フィニッシュに持ち込む現代型のサイドバック。左右問わず両サイドでプレイできる。
- 桐野 亜希彦(きりの あきひこ)
- 所属(背番号):日本代表(31→1)
- ポジション:GK
- グロッソ監督からスカウトされた18歳。元々はバレーリーグのセリエAに所属していた。
- 沢村 雪之丞(さわむら ゆきのじょう)
- 所属(背番号):バルセロナBチーム、日本代表(33→21→5)
- ポジション:MF(ボランチ)、DF(右サイドバック)
- スキンヘッドが特徴。パスコースを切る能力に長けている。イレーサーという異名を持っている。
- 古波蔵 英達(こはぐら)
- 所属(背番号):日本代表(30→18→9)
- ポジション:FW(センターフォワード)
- 小柄だが俊足の選手。沖縄弁でしゃべる。
イタリア代表
カテナチオと名づけられた堅牢な守備に、そこから生まれるカウンター攻撃は脅威。本編で日本代表は、JY杯決勝と五輪決勝でイタリア代表と対峙することになる。
- アンドレア・ファルコーニ
- 上記を参照
- マルコ・クオーレ
- 所属(背番号):ACパルマ・プリマヴェーラ→ACパルマ(35)→ユベントス、ユースイタリア代表(10)、五輪イタリア代表(10)
- ポジション:FW(セカンドトップ)
- ナポリ出身。6月6日生まれ、血液型B型。
- (16歳時)身長164cm、体重53kg。
- 代表の10番を背負うファンタジスタで、てっぺいにとっては最大のライバルとも呼ぶべき存在。少女のような顔や華奢な容姿、おっとりした口調とは裏腹に、極めて希少で偉大なファンタジスタとして描かれており、「イタリアの恋人」の称号を受けている。左足だけでボールに触り、ドリブル中は足下しか見ないという特異なプレイスタイルで、その左足から繰り広げられるテクニックや独自の感覚に誰もが驚かされる。試合開始、あるいは自身が試合に投入されてしばらくはピッチ内をうろつき回っているが、ピッチの情報を把握し終えると「マルコの時間」と呼ばれる時間が始まり、本格的にプレイに参入するようになって相手を脅威に陥れる。穏やかでどこか幼げな性格から、チーム内でも監督や選手から愛されているキャラクター性を持つ。JY杯の決勝の日本戦ではてっぺいのプレイに刺激されて監督に直訴し、前半途中から出場し、日本を窮地に陥れる。五輪の決勝で再び対峙した日本戦でも「極上の虹」と表現されるようなスーパーゴールを決める。五輪本戦後は30億もの移籍金で名門ユベントスへ移籍する。
- 2011年時は代表の戦術転換によって代表に招集されていなかったが、その後、再び代表復帰を果たした。
- ファビオ・カステッリーニ
- 所属(背番号):ACパルマ・プリマヴェーラ→ACパルマ、ユースイタリア代表(5)、五輪イタリア代表(5)、イタリア代表(3)
- ポジション:DF(センターバック)
- ナポリ出身。7月23日生まれ、血液型O型。
- (17歳時)身長176cm、体重68kg。
- 上背はないが身体能力がずば抜けており、大柄な相手でも一対一での競り合いで誰にも負けない強さを持つ。マルコとは幼馴染みで、幼少時から一緒にストリートサッカーに興じていた仲。一対一でも常に自分を抜いたマルコを誰よりも認めている。子供の頃からグロッソに憧れており、五輪代表では夢だったCBコンビを形成する。決勝ではてっぺいの策にかかって失点したことで自信を失いかけるも、グロッソのカバーが功を奏して自信を取り戻し、負傷交代したグロッソから後継者と認められる。
- モデルはファビオ・カンナヴァーロ。ちなみに、第4巻のカバー折り返しにカンナヴァーロ本人が紹介され、第42節の表紙でもてっぺいとの2ショットイラストが描かれていた。
- クラウディオ・デ・パルマ
- 上記を参照
- ヴァレリオ・ジャンニーニ
- イタリアユース・五輪代表の監督。陽気な中年で、マルコの才能に惚れ込み、可愛がっている。
ユース代表
- ジャンカルロ・フェラーリ
- ポジション:FW
- 背番号11。名前のフェラーリの通り、快足が持ち味で、日本代表戦ではマルコの絶妙なパスから2得点を奪った。
- ダリオ・ガリバルティ
- ポジション:MF(右サイドハーフ)
- 背番号7。前半では同じサイドに入ったてっぺいとマッチアップし、そのプレイに翻弄された。敬意を表して試合後にてっぺいにユニフォーム交換を求めたが、横からマルコも交換を求め、サイズ的にとてっぺいがマルコに応じたため、涙をのんだ。
五輪代表
A代表
- マリオ・パンテッラ
- ポジション:FW
- 所属(背番号):イタリア代表(45)
- 2011年時は20歳。マルコ・クオーレに代わる新たなイタリアの象徴。1人で服が着られない、家の中で花火をして火災を起こすなど常識に欠けた問題児。身体能力は世界トップレベル。
- モデルはマリオ・バロテッリ。
ブラジル代表
カナリヤの名を持つ、世界最高レベルの代表チーム。アテネ五輪・準決勝で日本と対戦。
- レオナウド
- 上記を参照
- ディディー
- 所属(背番号):サンパウロFC、五輪ブラジル代表(19)
- ポジション:FW
- 小柄ながら抜群のテクニックとスピードを持ち、狡猾なプレーを得意とすることから、ゲームを決定づける「クラッキ」の名を持つ。イタズラ好きらしく、準決勝前のオフで西郷のネックレスを奪い去っても悪びれないなど精神的に幼く、倫理的に欠けている面がある。
- ルジェーリ
- ポジション:DF(センターバック)
- 南米最強の呼び声を持つDF。背番号3。理知的で、スピードとテクニックを兼ね揃えており、DFラインの統率にも優れている。怪我を負っていたとはいえファンタジスタの沖田をほぼ完封するほどの高い守備能力を持つ一方で、どの方向からのボールもヘディングでクリアする際は全て右足だけを使ってジャンプしている癖をてっぺいに見抜かれて失点に繋がってしまった。
パラグアイ代表
堅守が持ち味の南米代表。五輪の準々決勝で日本と対戦。
- フランシスコ・アナベル
- ポジション:GK
- パラグアイ代表のキャプテン。背番号1。長い手足と鋭い出足が持ち味。的確なコーチングで味方に指示を与え、チーム全体を統率する。長い脚から繰り出されるドライブのかかった正確なFKも得意であり、チームの攻守の要となっている。人格者で、パラグアイ帰国後、人を寄せ付けない雰囲気を出していた沖田でさえも、彼に会った時は、笑顔で会話をしていた。
- モデルはパラグアイ代表のGKホセ・ルイス・チラベルトと旧ソ連代表のGKレフ・ヤシン(“黒蜘蛛”の異名から)。
- ガマーラ
- 「壊し屋」の異名を持つプレーヤー。背番号8。ポジションの明記はない。反則すれすれのハードタックルとしつこいマーキングが持ち味。柄の悪そうな風貌だが、パラグアイに来たばかりで言葉も分からない沖田に初めてパスを送るなど、実際は人がいい。沖田に怪我をさせたことを謝ろうと病院に訪れるものの、先にイタリアで活躍するてっぺいに追いつかなければいけない焦りから発した沖田の一言を聞いて傷つき、後に沖田の顔を傷つけるなど、両者の間ですれ違いとなる。
メキシコ代表
テクニカルで狡猾なプレイが持ち味の、北中米の強豪。JY杯の初戦で日本代表と対戦。
- ホセ・ガルシア
- ポジション:FW
- 背番号10。テクニカルかつアクロバティックなプレイが持ち味。貧しい家の出身で、成り上がるためにビッグクラブでのプレイを目論んでいる。
- エデル・エルナンデス
- ポジション:MF(ボランチ)
- 背番号13。端正な容姿から、「プリンチペ」の称号を持つ。JY杯では怪我をしていたために前半途中から出場。審判に気づかれないようなラフプレイが信条で、攻撃の中心となるてっぺいや近藤を苦しめたが、反撃に入ったてっぺいのテクニカルなプレイを抑えきれず、最後にはてっぺいを止めようとチャージを仕掛けた際に怪我を再発させてしまった。
- サルバドール・ルナ
- ポジション:GK
- 背番号1。身長165cmと小柄だが、全身バネのような身体能力を持つ。
- モデルはホルヘ・カンポス。
FCベルーガ
外伝『魔法使いの夏』で登場した、Lリーグ(現・なでしこリーグ)に所属する架空のサッカークラブ。拠点は福岡。正式名称は「大村水産女子サッカークラブ」で、Lリーグに加入して間もないチームである。琴音は監督の長田の頼みからFCベルーガのセレクションに参加した。
- 長田 悦子(おさだ えつこ)
- FCベルーガの監督。高校時代の琴音のプレイに魅了され、琴音の胸の病気を知りながらもFCベルーガのセレクションへの参加を要請した。
- 板垣 志保(いたがき しほ)
- ポジション:FW
- 背番号9。琴音と同い年で、ロベルト・バッジオのファンであることで琴音と意気投合した。
八丈島高校
八丈島にある都立高校で、読切作品の『カンピオーニ』に登場。琴音が赴任し、3年目で選手権出場を果たす。
- 三原 京介(みはら きょうすけ)
- 『カンピオーニ』の主人公。背番号10。地元の八丈島出身で、類まれなテクニックを持ち味とするプレイヤー。中学卒業後は上京し、名門の国岳院高校の門戸を叩くが自身のサッカースタイルが合わないことで監督から冷遇され、失意のまま帰郷したところを赴任してきた琴音の勧誘を受けて入部した。『ステラ』でもR・マドリッドに移籍したてっぺいのエル・クラシコでのデビュー戦を琴音たちと観戦していた。
- 2014年、ブラジルワールドカップのメンバーに選出された。
- 三根(みつね)
- 背番号11。逆立った髪に細め気味な目つきが印象。
マスコミ
- 吉村 寅太郎(よしむら とらたろう)
- 岐阜県出身。12月3日生まれ、血液型A型。
- (35歳時)身長175cm、体重73kg。
- 東邦スポーツに所属するスポーツライター。JY杯でてっぺいのプレイを見て、てっぺいを取材するようになる。ライターとしての経験が長く、サッカーに対する着眼点が鋭い。
- 2004年に『週刊少年サンデー』で読み切り掲載された『大久保嘉人物語』でも出演している。モデルはサッカーライターの吉村憲文。
- 楢崎 泰子(ならさき やすこ)
- 京都府出身。8月16日生まれ、血液型B型。
- (25歳時)身長161cm、体重50kg。
- 東邦スポーツの新聞記者。日本ユース代表の取材でてっぺいを見て、以来てっぺいを追いかけて取材する。若手のため、ライターとしての実力はまだ吉村に及ばないようである。職業柄、森川とは知り合いで、女性にウブな森川をよくからかっている。
- 2010年時点では東東京新聞所属のヨーロッパの現地特派員になっている。部下となったしおりがてっぺいと付き合っていることをネタにからかったり、結婚願望を漏らしたりしている。
エミリオ・デ・アミチーズ高校
ミラノにある高校で、てっぺいたちACミラン・プリマヴェーラの選手たちも所属。
- クラウディア・セレーナ
- てっぺいのイタリアの学校でのクラスメイト。兄のロベルトが重傷を負ってサッカーができなくなり、家を出て行ったことでサッカーに嫌悪感を持つようになり、てっぺいたちサッカー選手に対しても冷たい態度をとっている。フィレンツェの病院に入院する兄と再会したものの、現在もサッカーにこだわる兄を理解できなかったが、同じ病院で検査を受けて五輪の決勝に間に合うことに喜ぶ沖田の表情を見て、サッカーに対するわだかまりを氷解させる。
- ナディア・マリーニ
- クラウディアの友人。ミーハーな性格。弟が日本の古いアニメにハマっている。
- モニカ
- クラウディアの友人。落ち着いた風貌の少女。
その他
- 藤井(ふじい)
- サッカーの代理人。ロッシと接触していた物語冒頭は伝手のあった森川を推薦していたが、てっぺいのプレーに魅せられたロッシの意向に沿って、てっぺいがミランに加入するように画策する。イタリアでのマルコのプレーが映ったビデオテープを渡し、その映像を見たてっぺいに気持ちを向けさせるなど、なかなかの策士である。ミラン・プリマヴェーラ加入直後の練習試合でてっぺいが背番号10の重みを知らないことでピエトロと諍いを起こした時に、「(イタリアのサッカーは)分かち合うサッカーではなく、奪い合うサッカーだ」とたしなめ、てっぺいにイタリアで戦う意思を持たせた。
- 坂本 権平(さかもと ごんぺい)
- てっぺい・琴音の祖父。ミニ外伝で登場。若いころは船乗りだった。
- 中岡 賢二(なかおか けんじ)
- 中岡遼太郎の弟で、小学生。サッカーが得意だが周囲が自分についていけないために一人でいたところを、チームメイトと諍いを起こして部活から逃げていたてっぺいに会い、てっぺいに勧められて仲間たちと再びプレイするようになった。
- アンジェラ
- カルロ・グロッソの妻で、グロッソが28歳の時に事故死した。病院に搬送される際に、試合前にも関わらず駆けつけたグロッソに試合に出るようにと気丈に突き放した。
アニメ
サンデー連載7作品を連続OVA化するアニサン企画の一つとして、2014年9月18日発売予定の『ファンタジスタ ステラ』第8巻特別版に同梱されるDVDにOVAとして収録。「R・マドリッドvs日本代表」篇を収録予定。
脚注
外部リンク
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- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 テンプレート:Cite web
- ↑ 4.0 4.1 4.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 単行本第8巻でのプロフィール紹介時では4月1日だったが、第9巻で読者の指摘により変更。
- ↑ 作中ではトップ脇とも表記されている。
- ↑ 外伝的な存在の『カンピオーニ』では、FAプレミアリーグに移籍しており、A代表にも招集されている模様が描かれている。
- ↑ 五輪代表に招集されて帰国したてっぺいに少し驚かれていたが、五輪の最中に再び坊主に戻した。
- ↑ ただし、籍は入れているが2014年時点では仕事を続けていることからまだ同居していない様子。職場でも旧姓で呼ばれている。
- ↑ 『ステラ』では「ボカ・ジーニアス」に名称変更
- ↑ ただし、後でヴァレンティノが「マッシモにしか合格を言い渡していない」と言って、その前にゴールを決めて自分も合格だと思っていたピエトロを慌てさせたことから、最初からヴァレンティノの構想に入っていたとも推測される。
- ↑ ただし、略称は『インテル』のままである。