バミューダ諸島
テンプレート:Infobox British territory バミューダ(Bermuda)は、北大西洋にある諸島でイギリスの海外領土である。イギリスの海外領土の中でも、政治的・経済的な自立度が高い。金融部門と観光産業に支えられており、2005年には、一人当たりのGDPが$76,403となり世界で最も高い数値を記録した。タックス・ヘイヴンとしても知られている。2010年には、首都ハミルトンが世界第34位の金融センターと評価されている[1]。
日本語の表記はバミューダの他にバーミューダもある。前にイギリス領や英領をつけることがある。
歴史
詳細はバミューダの歴史 (History of Bermuda) を参照
バミューダ諸島は1500年代の初期にヨーロッパ人によって発見された。スペインの探検家ファン・デ・ベルムデスが1503年に発見したという説もあるが、イタリアの研究家ピエトロ・マルティーレ・ダンギエーラ (Peter Martyr d'Anghiera) が1511年に出版したレーガーティオー・バビロニカによってバミューダ諸島の存在が初めて言及されており、同年にスペインの海図に組み込まれた。しかし、移住者のいないまま、長く無人島であった。バミューダという名は、ファン・デ・ベルムデスにちなんで命名された。
1609年、イギリスから北アメリカのバージニア植民地へ向かうイギリス人入植者達を乗せた8隻の船がバミューダ沖で嵐に巻き込まれ、その中の1隻ジョージ・ソマーズ船長の率いる130人を乗せたシー・ベンチャー号が波にもまれて仲間の船とはぐれ、バミューダのリーフに難破した。乗員乗客は、やむをえずこの島に定住することとなった。しかし、暖かく豊かな島で気力を取り戻した乗員乗客達は島で木を切り、シー・ベンチャー号から計器を取り出し、デリバランス号(Deliverance)とペイシェンス号(Patience)の2隻の船を造った。1610年、この2隻の船に分乗して、島を後に再びバージニアへ向かった。これを機に1612年、シー・ベンチャー号の船長だったジョージ・ソマーズを中心とした60人を始めとするイギリス人のバミューダ諸島への入植が始まった。1684年にロバート・ロビンソンが最初の総督となりバミューダ諸島は正式にイギリスの植民地となる。イギリスからよりアメリカとの距離が近いため、南北戦争時はヨーロッパとアメリカを結ぶ中継地になっていた。ヴィクトリア朝時代に、北アメリカの避寒リゾート地としてこの島への観光旅行が盛んとなり、それ以来、観光業がこの島の経済を支えてきた。
第二次世界大戦でアメリカ合衆国は参戦していない時期にも関わらず、駆逐艦と基地の交換協定 (Destroyers for Bases Agreement) が結ばれ、バミューダ諸島に建設されたイギリス軍の海軍基地と空軍基地はアメリカ軍に貸与された。
1995年、イギリスからの独立の賛否を問う住民投票が行われ、独立は否決された。
政治
首相は、議会で選出され、総督が任命する。
議会は、二院制。上院は、全11議席で、総督、首相、野党が指名。下院は、全36議席で、民選、任期5年。前回選挙は、2007年12月に行われ、進歩労働党 (PLP) が22議席、バミューダ統一党 (UBP) が14議席獲得した。
法
バミューダ法を参照。
地方行政区分
テンプレート:Main 9つの行政教区(村)に分かれる。ウォーウィック、サウスハンプトン、サンディ、スミス、セント・ジョージ、デボンジア、パゲット、ハミルトン、ペンブロク。
地方公共団体は、行政首都ハミルトン市と世界遺産でもあるセント・ジョージ町の2つ。
地理
約150の珊瑚礁と岩礁からなる。最も大きい島は、中心に位置する面積約39Km2のバミューダ島。その周りにセント・ジョージ島、ソマーセット島、アイルランド島があり、他は非常に小さな島である。これらを総称して、バミューダ諸島とよぶ。
経済
通貨のバミューダ・ドルは、USドルと等価であり、両者間の為替レートは、1バミューダドル=1 USドルで固定されている。島内では、USドル紙幣で買い物をすることも可能である。ただし、お釣りはバミューダ・ドルで返ってくる。
観光業が盛んだが、タックス・ヘイヴンとして、米国内はもとより世界的に有名である。
交通
空港はバミューダ国際空港がある。
住民
住民の60%が黒人である。残りのほとんどが白人で、混血のムラートもいる。
公用語は英語とポルトガル語、宗教はプロテスタントがほとんどで多種の宗派があり、カトリックもある。